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相手の気持ちを妄想で思い込むのはやめてみよう

Aさんが「パソコンを寝室に持っていく」と前もってBさんに話していました。そしてAさんがパソコンを寝室に持って行ったところ、Bさんは寝室のパソコンを置くであろうと予想していた部分においてある台を既に移動させていました。

そこにあるはずの台が無く、これはBさんが邪魔だと思い移動させたのです。Bさんの妄想では『Aは床にパソコンを置くから、私は気が利く人だから台を移動させ役立った』と思い込んでいるのです。

しかしBさんの『私は気が利く人だから役立った』という思い込みは妄想で現実とは違ったのです。現実ではAさんは置いてある台の上にパソコンを置きたかったのにBさんがどかしてしまい、台がどこかにいってしまいBさんに『ここにあった台知らない?使うんだけど?』と主張にBさんは『なんなの?せっかく親切に片付けたのに…』とネガティブに捉えます。

このBさんの『Aは床にパソコンを置くから、私は気が利く人だから台を移動させ役立った』という思い込みの妄想は現実とは違うので、相手を無視して嫌な思いをさせているので現実ではトラブルの元になります。

BさんがAさんの気持ちを勝手に読んだつもりで、決めつけて、親切の押し売りをするための妄想がAさんの気分を害してしまい、Aさんが自己主張をさらにその正しい主張まで潰そうとするのでBさんの行いは相手が意見が言えない場合、相手の思考をコントロールする働きにもなりやすいのです。妄想とは自分では気が付かなくても非常に悪影響を与えてしまうのです。

Bさんの主張『ここにあった台知らない?使うんだけど?』と自分の気持ちを正しく言った

Aさんの主張『なんなの?せっかく親切に片付けたのに…』とネガティブの押しつけ

これではBさんは『なんなの?ってなんなんだよ?』となるのが当たり前です。

<<下に続く>>

この場合、Aさんの出方次第で、Bさんの『ここにあった台知らない?使うんだけど?』の主張を封じ込めるやり方になってしまいます。Bさんの『ここにあった台知らない?使うんだけど?』は正しい自己主張ですので他者がこの主張をコントロールしようとしてはいけません。例え『ここにあった台知らない?使うんだけど?迷惑だから勝手に移動させるのは今後やめてね』といってとしても別に悪い事でもなんでもありません。それを悪いと決めつけようとする側に問題があるのです。ここがでっち上げのポイントです。

大事なことはBさんがAさんの気持ちを決めつけてはいけないということが大事なので、台を移動させたいのならBさんはAさんに『寝室の台、使う?使わないなら移動させようと思うのだけれど?』と相手に伝えた上で、相手に意見を聞いて移動させるか移動させないか話し合いをすればトラブルなんて起きるわけがないのです。

トラブルとは、現実を無視した妄想が引き起こすのです。妄想をやめるために正しい根拠を出すことや、論理的な思考をすることが大事なのです。人はたくさんのことを思い込んでいるものです。その思い込みから解放されることが楽になる道なのです(#^^#)

相手の気持ちは、自分の妄想で決めつけるのではなくて、相手に確認をしたりして現実的な解釈をしましょう。そうすることで正しい良い感情が生まれます。

そしてBさんは幼少期から『みんなの気持ちを考えないBは悪い奴だ』と言われてきたことで、

人の気持ちは考えるのは無理…

人の気持ちは考えなければいけない…

このように無理なのに考えなくてはいけない自動思考に縛られていました。

ですので、

相手の気持ちを察するのは本当は無理だけど考えなくてはいけない

↓ ↓ ↓

無理だから考えないで相手に聞こーっと(#^^#)

このように変換すると良いと思います。

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コメント一覧

  • Comments ( 8 )
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  1. by 妄想者

    相手の気持ちを妄想する事は無いが

    すれ違う、可愛い女は

    妄想で犯している

    現実的に犯すのは犯罪になるで、妄想止まりですが

    妄想は他人に迷惑をかけないから、1番安全な

    違法行為

    • 菅原隆志
      by 菅原隆志

      『妄想で犯している』と無意識で非言語メッセージが出てしまい、相手の無意識に不快感を与えることがありますよ;^^

      相手の無意識ですから相手も気が付いていないことも多いですが、無意識に気が付く人は増えてているので、
      今は『妄想で犯している』相手から何も言われなくても将来的には『妄想で犯している』相手から

      『非言語メッセージばしばし飛ばすのやめてくんない?マジで迷惑だわ』って言われてしまう日が来るかと思いますよ。

      ですので時代の変化と同時に、自身も変化し、何故『妄想で犯している』のか、何故その必要性があるのか、向き合ったほうがよろしいかと思われます。

      物理的に何もしていないから迷惑ではないというのは過去の話です。

      本人も気が付かないで発する無意識からの非言語メッセージは迷惑になるのです。

      これからたくさん明らかにされるポイントです。

      自分の無意識に責任を持つという高い意識が求められるのがこれからの時代です。

      自然淘汰されてしまう可能性がある人間は、自分の無意識に責任持てず気付けない人間です。

      無意識だから迷惑をかけたことに気づけないから仕方ない。というのと、飲酒運転で記憶が無いから人を轢き殺しても仕方ない。というのは同じですので、
      自分が気づこうが気づかなかろうが、無意識には責任を持っていく必要が出てくるのです。

      『妄想で犯さなければいけない現実未対応』の自分と向き合っていきましょう(#^^#)

  2. by とろろ大王

    考えさせられます。

    私は神経が剥き出しの傷つきやすい人間なのでもしかしたら「責められた!」と考えていたことは間違いだったかも。

    また「今のはどういう意味で仰有ったのですか?」「それって私に仰有ってるんですか?」と聞くのも喧嘩を売っているようだし…。

    十人十色。

    生まれも違えば考え方も違う。

    そして全員自分の方が正しいと考えている。

    とりあえずトラブルには一呼吸おいて

    妄想に苦しんでるのかも…と自問してみます(^_^)。

    • 菅原隆志
      by 菅原隆志

      認知の歪みが修正されていくと、比べることも不必要で、人には全員それぞれ違った個性があることに気づいていきます。同じものは一つもないので『全員自分の方が正しいと考えて良い』のです。
      但し『自分のものではない刷り込まれた常識や暗示』などは自分のものではないのでそこを正しいと考えたら自分を見失います(‘ω’)

      十人十色こそ、眠っている個性が出てきたときの姿ですね。

      『神経が剥き出しの傷つきやすい人間』は
      他者が気付きにくい細かい点を知ることができるのでプラスになりますよ(#^^#)

      「責められた!」と考えていたことは間違いの場合もあり、
      「責められた!」と考えていたことは本当の場合もあり、
      そして『責めならない自分』『責めなれない世界』に心を置くと抜け出せます。

      それが依存から脱することです。

      どんなに親から離れて自立したと思っても、人は自分でも気が付ないですが、
      心の中で親への依存が消えていません。

      この親からの依存から脱することが、自己肯定感を高めることです。

      上からきた圧力を下ではなく上に返すことが大事です。
      そして返したら理解を深めると自分の上の親を理解できるようになり、
      それが自分の力になります。

      1、親へ依存している人は親への恨みを隠し無意識に抑圧するので気付かないで親に偽の感謝をしている
      2、隠された恨みに気が付くと、恨みが溢れる
      3、恨みから依存と自己肯定感を学ぶ
      4、自分が上に媚び、下に流す奴隷だと気づく
      5、本当の自己肯定感を高める
      6、親に心から感謝できる
      7、そして心の中に気づきで本当の先祖供養になる

      このような流れが大事なんです♪

      多くの方は自立したと思いながら1にいることが多いです。

      自分の妄想に気が付くことが、本当に大事です!
      私も日々、自分の中の妄想に気づき、整理しております!(笑)

  3. by 雅

    この場合は妄想というには大袈裟な気もします。
    誰にでもよくある“思い込み”と“思い違い”。

    自分はこの文章の事柄のBさんの立場だった場合、「台を移動させようか?使う?」と確認しますが、気を利かせたつもりが余計な御世話だった…ってのは、人それぞれ元々の考え方が違えば、その時の感情によってもやりたい事や思う事も違ってくるので、そういう食い違いが出てくるのも当然。

    例えば、普段、「コーヒーが大好きで毎日飲んでるけど今日は紅茶が飲みたい気分」って人に、親しい人が「あの人はコーヒーが大好きでコーヒーを毎日飲んでるから」と自販機でコーヒーを買って奢ってあげるのは、どちらを責めるような問題では有りません。

    この様な些細な食い違いは、お互いの気持ちの持ちようだと思います。

    変化のあるその時その時の気分までは察するのは難しいし、して貰った事が的外れだったら「自分は〇〇したかったのよ。でも、気持ちは嬉しいよ。有難う」でいいと思うし、
    してあげた事が的外れだったら「ごめんね〜」でいいと思います。
    肝心なのは、お互いの想いやり精神ではないでしょうか。お互い様ですし。
    お互いが大切な相手ならば、話し合いも大事ですね。

    涙を流してる時に、何も言わずにハンカチやティッシュを差し出してくれるのは有り難いですし、日頃から想いやり精神が高い人は自然と差し出してくれるものです。

    自分は一度、バスで60歳以上ぐらいの女性に「どうぞ」と席を譲ったら凄くムスッとされ小声で「結構です!」と明らかに怒ってる雰囲気で断られ、此方も気分が悪くなった事が有ります。その女性は席がガラガラになってから漸く空いてる席に座りましたが。
    この件が微妙なトラウマになり、自分は数年程、妊婦さんや高齢者を見掛けても席を譲る行為をしなくなりましたが、席を譲られるのに怒りながら拒否した女性は負けん気が人一倍強かっただけかもしれないし、ただ単に人からの親切を受け入れられない心理状態だったのかもしれないし、あまり気にせず妊婦さんや高齢者や病人さんには席を譲るようにしなくちゃな…と思い直しました。

    自分も外出先で貧血を起こして倒れそうだった時に席を譲られ、助かった事があります。相手がお腹の大きな妊婦さんだったので悪いと思い、「いえいえ。大丈夫ですよ。妊婦さんにそんな事をさせるわけには…」とお断りしてたのですが、その人に強制的に座らされ(汗笑)
    申し訳ない気持ちでしたが、おかげで持ち直して倒れずに済みました。

    お年寄りも「年寄り扱いされたくない」とか思う人も中にはいて、上記の様に此方の親切が『余計な御世話』扱いされる事も有りますが、足腰が弱ってる人と一緒に歩く場合は相手が気兼ねせぬよう自然な形で足並み合わせてゆっくり歩いたりしてますし、気配りや配慮は人間として当たり前だと思います。

    • 菅原隆志
      by 菅原隆志

      この記事に詳細を記載していない為、正しく伝えることが出来ていないようでした(#^^#)

      そうですね。仰る通り『気配り、配慮は』人が成長していく上で大事だと思いますが、人間として当たり前ではないです。つまり気配りをしたい人はすれば良いですし、したくない人はしないほうが良いのです。何故かと言いますと、『気配り、配慮がしたくないのに、しなければならない』と言う方は根底にしたくない気持ちが隠れているので、それが非言語メッセージとして相手にマイナスが伝わります。親切の押し売り、メサイアコンプレックスに突き動かされた言動、モラル・ハラスメントに繋がりやすいのです。Bさんも『親切でやってるのにそんな言い方をするわけ?』と相手の主張をモラルを振りかざし制限をかけようとするのです。

      コミュニケーション論では言語でのメッセージと、非言語でのメッセージが矛盾した時は、本音は非言語メッセージにあるとされています。ですので言語でどんなに気配りや配慮が出来ていても、その本人が気付いていない非言語メッセージにマイナスが潜んでいることはよくあることです。そしてこの非言語メッセージは本人はコントロールがしにくいことや気づかないことがよくありますので、人はこの非言語メッセージに目を向ける必要性があります。そうしますと今まで言語ではプラスを出しながら、非言語メッセージではこっそりマイナスを出してしまっていた側は、明るみに出やすくなるのです。

      ですので今回の記事の内容のように『Bさんは当たり前の気配りや配慮をした』と感じるかと思いますが、幼少期から『みんなの気持ちを考えないBは悪い奴だ』と言われてきたことで、『相手の気持ちを察することは今の自分には無理なのに、考えなくてはいけない。考えられなくてはいけない』と強い、訂正困難な自動思考に縛られていました。そして『相手の気持ちを察することは今の自分には無理なのに、考えなくてはいけない。考えられなくてはいけない』に新たな認知を無数に追加することで、妄想が大きくなっていき『相手の気持ちを先読みしたつもり、相手の気持ちを深くわかっているつもり』が非合理的な妄想思考になっているので、相手が嫌なことを嫌だと主張しても、それは相手が性格が悪いからだと決めつけ、その性格の悪い人間と関わっている自分は優しい人間なんだというストーリーを繰り広げていくのです。

      妄想とは、正しい根拠のないありえない内容なのに確信をもつ非合理的な思い込みのことですので、誰にでもよくある“思い込み”も広い意味で言えば妄想です。もっと広く言えば人間はほとんどが妄想する生き物だと思います。今回の話もBさんには思い込みの背景に強い妄想があります。その妄想を正すのが論理的思考、認知の歪みの修正です。

      今回の話も認知の歪みで

      5、結論への飛躍
      ・心の読みすぎ(読心術)
      人の一部分の行動や言葉で、その人がどう思っているかを決めつけてしまい、それが本当か確かめようとしない思考パターン。

      ・先読みの誤り
      根拠もなしにマイナスな結論に飛躍する。誰にでもわかるはずのない未来を決めつけて「自分はずっと不幸なんだ!」という思考。

      こちらに当てはまるかと思います。

      Bさんが『心の読みすぎ』をしなければ今回はトラブルになりません。

      雅さんのおっしゃる『涙を流してる時に、何も言わずにハンカチやティッシュを差し出してくれるのは有り難い』も広い範囲で言うと勘違いになることもあるのですよ。人は良い人もいれば悪い人もいます。当然、涙をハンカチやティッシュでふきたい人もいれば、ふきたくない人だっているのです。ふきたくない人の場合で例えばですが、涙を流して下に落とすことを相手に見せたい人だっているのです。(実際に涙で相手の感情を脅迫する女性から聞いた)この場合、この涙を利用する方からするとハンカチを差し出すと『余計なことしやがって…』恨みを持ってしま場合もあるそうですよ。世の中にはそういった人もいますので、良かれと思ってやったことは全員に良いことはないのです。そこが一部の人間を尊重しない、変わった人間を尊重できないところです。

      ですので、一般的な人への理解ではなく、自分が想像も出来ない考え方の人もいるという深い理解が必要になってきているのです。私は『気配りや配慮は人間として当たり前』は変えなくてはいけない考え方だと思っています。『気配りや配慮は相手がそうされたい、自分がそうしたい』と互いの気持ちが一致したときのみ有効だと思います。

      ~~~~~~~~~~~~~~~~
      普段、「コーヒーが大好きで毎日飲んでるけど今日は紅茶が飲みたい気分」って人に、親しい人が「あの人はコーヒーが大好きでコーヒーを毎日飲んでるから」と自販機でコーヒーを買って奢ってあげるのは、どちらを責めるような問題では有りません。
      この様な些細な食い違いは、お互いの気持ちの持ちようだと思います。
      ~~~~~~~~~~~~~~~~

      上記は、どちらを責める問題ではありませんが、『コーヒーを奢ってもらった側が、俺コーヒーいらない。もらっても飲まないから捨てることになるから』と主張した場合、奢ったほうが気分悪くなりやすいですね。そこが問題です。コーヒーを飲みたくないし捨てるからいらないという正しい自分の本音を言うと、勝手に相手が怒り出すのです。そこにはコーヒーを奢り感謝などの見返りを期待するからです。今回の話のでBさんは些細な食い違いを問題に変える人です。そして非言語メッセージで相手に罪悪感を植え付けていくことを始めるのです。

      ~~~~~~~~~~~~~~~~
      自分は一度、バスで60歳以上ぐらいの女性に「どうぞ」と席を譲ったら凄くムスッとされ小声で「結構です!」と明らかに怒ってる雰囲気で断られ、此方も気分が悪くなった事が有ります。その女性は席がガラガラになってから漸く空いてる席に座りましたが。
      この件が微妙なトラウマになり、自分は数年程、妊婦さんや高齢者を見掛けても席を譲る行為をしなくなりましたが、席を譲られるのに怒りながら拒否した女性は負けん気が人一倍強かっただけかもしれないし、ただ単に人からの親切を受け入れられない心理状態だったのかもしれないし、あまり気にせず妊婦さんや高齢者や病人さんには席を譲るようにしなくちゃな…と思い直しました。
      ~~~~~~~~~~~~~~~~

      上記は他の理由を考えることが素晴らしいですね(#^^#)
      確かにムスッとされると気分が悪くなることもありますが『相手はムスッとする嫌な思いをした』のがほぼ現実ですから、相手を尊重して相手は嫌だったのだと。またはおっしゃる通り人からの親切を受け入れられない心理状態だったのかもしれませんので、そこで一言『どうぞ』ではなく『もしよろしければ変わっていただけますか?』と言えばムスッとしなかったかもしれませんね。その60歳くらいの女性は『どうぞ』という言葉を認知の歪みで『お前は年寄りだから座れ』と言われたと感じてしまったのかもしれません。そうであれば『すいません。もしよろしければ席を変わっていただけますか?私座ってると血流がわるくなるので(笑)』が有効だと思います。認知の歪みが大きい場合、『どうぞ』が『どうぞ』として伝わらないことが多いのです。ですので『どうぞ』ではなくて『すいません。もしよろしければ席を変わっていただけますか?私座ってると血流がわるくなるので(笑)』のように根拠を少しでも入れた言い方が相手をムスッとさせないことに繋がることもあります。

      つまり、こういった食い違いが上手くいかない場合は、意識と無意識の矛盾が大きいからです。言語メッセージと非言語メッセージが矛盾があるからです。無意識からの非言語メッセージは本音であり、本性です。人はこの無意識の非言語メッセージの本音、本性部分を、深く理解していく必要があります。ここを深く理解すれば食い違いは不必要になります。

      『Aさんの意識と無意識でしてほしい』と『Bさんの意識と無意識でしたい』が一致すれば良いのです。しかし人は無意識にとてつもない本性を隠していることがありますので、意識と無意識が一致していない人がいます。そういう人は良かれと思ってやったことなのに無意識の非言語メッセージで相手にマイナスを与えてしまうのです。

      ~~~~~~~~~~~~~~~~
      お年寄りも「年寄り扱いされたくない」とか思う人も中にはいて、上記の様に此方の親切が『余計な御世話』扱いされる事も有りますが、足腰が弱ってる人と一緒に歩く場合は相手が気兼ねせぬよう自然な形で足並み合わせてゆっくり歩いたりしてますし、気配りや配慮は人間として当たり前だと思います。
      ~~~~~~~~~~~~~~~~

      上記も仰っていることはよく分かりますが、【此方の親切が『余計な御世話』扱いされる】という点が、あなたの被害者意識かなと感じました。【此方の親切が『余計な御世話』扱いされる】ではなく、【此方の親切が『余計な御世話』だった】と考え直す必要があります。何故かと言いますと、そのお年寄りが『余計な御世話』だという態度をとったのでしたら、その通りでしょう。そこに親切にしてやったのにという思いが無ければ、素直に【此方の親切が『余計な御世話』だと感じさせてしまった】と認めることが出来ると思います。

      そして、『足腰が弱ってる人と一緒に歩く場合は相手が気兼ねせぬよう自然な形で足並み合わせてゆっくり歩いたりしてますし、気配りや配慮は人間として当たり前』も決めつけているかと思います。足腰が弱っているけれど実は一人で歩きたいのに言えないのかもしれません。ですので『無意識で圧力をかけない信頼形成をした上での相手の意見を尊重』することが大事で、これが出来ればトラブルは起こらなくなるので難しいですが人は自分の無意識に目を向けなくては、自分の気づかない問題に気付けないのです。

      無意識がクリーンになれば、気配りや配慮は不必要になるでしょう。

      人間は、正義と言う名の暗示、親切と言う名の暗示、常識と言う名の暗示を、巧妙に利用して、相手をばれないように心を縛り付けていることがあるのです。ですから親切は押し売りはいけないのです。相手が『誰か助けてくれ!』と言えば助けたい人が助ければよいだけです。やりたい人とやられたい人で成り立つのですから不満が出るわけもありません。不満が出るのは『○○しなければいけない』と思い込んでいるからです。

      何故、相手に確実な確認をする前に、決めつけてしまうか?
      ここが大きな問題であり失敗するクセなのです。

      これが仕事でやってしまうとどうなりますか?
      ありえない話ですが、例えば今回の話が『パソコンの移動が仕事』だったとして、台の位置も一寸のズレもない固定も仕事の一環で修正困難だとすれば、確認もせず『Aは床にパソコンを置くから、私は気が利く人だから台を移動させ役立った』はとても迷惑な行為で、事前に確認くらいしろと言われますよね。確認に数秒使うことをしないだけで問題が発生する可能性があるのですから、確認くらいするのは大事なことです。ですので、確認して相手の意見を尊重すれば良いだけのことなのです。

      その確認が何故、出来ないのか?何故したくないのか?そこを突き詰めていくと妄想で出来上がったストーリーが崩れるのが怖いので、その背景の妄想を理解することが大事です。理解した上での解体が必要なのです。理解して解体しようとすると、相手の幼少期の傷が必ずと言ってよいくらい出てきます。ですので大袈裟だと思うのは私の説明不足と、あなたの理解不足が重なったことが一つの原因ではないかな?と思います。大袈裟でもなんでもなく、この話は背景にある妄想と繋がっているので決して単体での話ではないと言うことです。

      雅さんに必要なのは【相手に確認】することだと思います。繰り返しになりますが、圧力が無いアサーティブな関係(自分も相手も尊重した自己主張・自己表現)であれば問題は起こらないのです。
      その為に【相手に確認】が大事ですし、ネット上でも大事なことは確認ページが出て、確認ボタンがあったりします。この確認が無いと、曖昧、馴れ合い、依存、くっつく、などのマイナスになりますので、確認が大事です。

      今回の記事ですが、アサーティブな関係(自分も相手も尊重した自己主張・自己表現)での相手への確認ががあれば問題にはならないのです。いたってシンプルなのです。そこに親切にしなければいけない、思いやりの精神が…、など入れ込むと複雑になってしまい余計おかしなことになりやすいのです。相手に引き寄せられたら、跳ね除けれるか引き寄せられるか、ただそれだけのことですので、思いやりの精神を持とう!と偽りっぽいことがあるからおかしなことになるのです。自分と相手をしっかり区別し、依存しなければ、圧力が無いアサーティブな関係(自分も相手も尊重した自己主張・自己表現)になっていきます。

      そして、これを目指すために【相手に確認】することは最低条件となります。確認もせず決めつけて思いやりの精神だ!というやり方では繰り返しのループ状態になってしまいます。このことに気が付いたら自分が傷ついたり苦しむ必要がなくなるので是非、理解してみて下さい!

      今、これが大事なのです。

      それではご返信をお待ちしております(#^^#)

      • by 雅

        ん?
        最初の方に書きましたが(自分がBさんの立場だったら…)、私はワリとイチイチ確認する方ですよ(笑)
        とは言え、状況により常に確認作業をしてるわけでなく、急いでる時や知らない人に声を掛ける時は[簡潔に済ませたい]場合が有り言葉数が少なくなる事も(それで「どうぞ」の三文字になる事が)。

        確認作業は基本的に大事ですよね。
        私はウッカリ忘れ物をしやすい為、外出先等で指差し確認をするようにしてます(自転車の鍵やキャッシュカード抜き忘れ、使用した台の置き忘れ再チェック等)。指差し確認をやるようになってから、置き忘れや鍵の抜き忘れ等をしなくなりました(^―^)
        視角のみに頼る確認だと見落しが出てくる場合がある為、指差し確認は効果が高いです☆
        (でもヤッパリ、たま〜に疲れてボーッとしてたら確認作業をし忘れる事があります 汗)

        想いやり精神は人として当たり前という思考は、生きてきた中での私の一つの結論であり信条としてますので、それが思い違いとも思いませんし貫きます。
        ただ、これは、私の考えであり、そんなモノは要らないと思う人はそれがその人の考えです。そう思う経緯がその人なりに有ってその考えが生じているのですから、その人にはその考えが必要な場合もあると思いますよ。

        考えや行動には大体がそこに至る理由がありますし。

        例えば、元々が素直に人の言う事を聞く、根っからのお人好しさんの場合、酷い詐欺等に遭遇する率も割合が高く、実際に酷い目に何度か遭遇してその結果「人を信用してはいけない」という考えが生じたりもします。あまりに酷い目に遭ってたらネガティブ的に「人間なんか!!」ともなるかもしれません。
        素直な事は良い事ですが、世の中には人を騙してウッヒッヒとほくそ笑む人が居るので、素直過ぎる人は警戒心が足りないのも事実ですから警戒心を少し強化した方が良いですからね。トコトン素直な人が[人を少し疑う]のは必要なバランス要素。

        根っから親切な人で、その為に大きな痛手を負った経緯がある人は、自分自身を大事にする事に少し重点を置いた方が良いですし、
        内気過ぎて意見が言えない人は、自己主張する事も大事だと学んだ方が良いし、
        逆に、我が儘過ぎる人や欲深過ぎるは抑制力を養わないと。

        時に自己主張する事も抑制する事も大事なのも、当たり前と言えば当たり前。

        私の場合、自身のベースが闇系で冷めてるんです。幼少の頃から十代半ばまで感情を殺して我欲を潰して生き、人間なんか大嫌いでした(今でも人間嫌いです)。

        潜在的な部分というモノは、理解してても変えられない面も有りますが、それが個性を築きもしますしね。
        個性が有ってこそ面白味や深みもあるモノです。

        私は、半分[猫]さん達に育てられた状態で、想いやりはニャンコ達から学びました。冷めた私の中で、抑制されて小さく踞った優しい自分や不安がってる自分等を見抜き、なついたり労ってくれたのはニャンコ達。
        我が家は私が産まれる前から家庭崩壊しておりましたが、家庭崩壊の原因は想いやりの欠如です。自分勝手に生き過ぎて周囲を蔑ろにし過ぎた親が、ブロック崩しでもやってるのか?って感じで破壊工作しておりました。自分は便利な道具としての役割ばかり求められ、道具化してました。

        私も根に冷めきった自分を持ってるので、幼い頃にニャンコ達から学んだ想いやり精神を活かさなければ、冷淡なロボットに成りかねません。

        ただ、冷めてる自分も便利なんですよね。常時この状態だとよろしく無いですが、感情を殺し、自分を殺すと、頭の巡りは頗る速い(機械的になりますが)。緊急時・非常時は本当に便利。根にロボット的要素が有るから、歳を取っても感情のコントロールや抑制はやりやすいですし。…だけど「ロボット的になるべきだ!!」だなんて、人には絶対にお薦めしない側面です。

        「人間として、想いやり精神を持つのは当たり前だ」
        という考えに信念を持ち、そうする事で元々ロボット的になりやすい自分が人間臭くなれてます。壊れたロボットが、コレでバランス取ってるわけでして。

        まあ、この信念の強さで、何故か私を気に入ってくれた荒くれ者さん方々も更生していったのもありますし、私はこの姿勢を変えません。

        自分は、喧嘩っぱやい人や短気な人は大嫌いなんですが、何故かそういう人に気に入られやすいんですよね。本人らにも「直ぐに喧嘩を売るような人は嫌いだゾ!」とハッキリキッパリ告知してるのですが。
        私がかなり普通じゃなくて面白いらしいです(;´▽`)

        私の事を気に入ったというやたら暴力的な人達から「部下をボコボコにしてやった(笑)」とかも聞かされ、ウンザリしながら大説教したりして。
        他人をボコボコにした事は笑いながら自慢する事じゃないし、仕事上での軽〜いミスで顔が変形する程何度も殴るとか…思い出してもムカつく話。

        そこまで殴る事柄ではない事や、それを自慢するなんてどんな神経してるのか、少しは想いやりを持ちなさい

        といった事を、もう少し乱暴な舌巻き口調で大声出して怒鳴りつけ。。

        皆さん、私が怒鳴った以降は部下を粗末にしなくなり、労り可愛がるようになってくれました。言われて判るなら最初からそうしろよッて思うし言うと、皆さん
        「お前は信念が強く実際に他人への想いやりが厚くて、発言に説得力が有り過ぎるから目が覚めた。忘れてる事を思い出した感じ」
        と返してきました。
        部下さん達もワザワザ私に会いに来て感謝してくれたりでビックリです。(どれだけ酷い職場だったんだろ…)。
        バイオレンス濃度や混沌さがかき消え、一定の秩序が取り戻されたのは良い事です。想いやり・労りの心が置き去りにされたらムヤミな争い等が起こりやすい。組織も簡単に崩壊します。

        人様の記事に対して、長文に更に長文を追加してしまい(しかも、書きたい事を書きまくってしまい)、大変失礼致しましたm(_ _)m
        記事主さんも色々苦労されたと思いますが、時にはリラックスしてたまに温泉や旅行へ行って息抜きしてみたり、良い年末年始をお過ごし下さい。

        • 菅原隆志
          by 菅原隆志

          思いやりを信念としている雅さんが『少しは想いやりを持ちなさい』と言う点で、
          どのような思いやりの持たせ方を教えているのかをお聞きしてもよろしいでしょうか?

          『少しは想いやりを持ちなさい』と言う場合『思いやりが無い』ことが前提となっていますから、
          『思いやりが無い人』が『思いやりを持てるようになるための方法』が当然ですが必要になります。
          その方法を教え、相手が出来るようになることが『少しは想いやりを持ちなさい』という言葉通りになります。

          その方法を教えない場合は、『少しは想いやりを持ちなさい』は『出来ない事をやれよ?やってみなよ?ほらできないでしょ?』というふうになります。
          何故なら『少しは想いやりを持ちなさい』と言う場合『対象者に思いやりが無いと感じる』ことが前提ですから。
          そして『思いやり』を持てないから持っていないですし、持てるのなら自然に持てるものなのです。
          何かわからないものを持ちなさい。といってもわからないので、言われた方は『これが思いやりだ!』と本当の思いやりではないものを思いやりだと思い込んでいきます。
          良くありますのが『思いやりと言う名の心の支配』です。

          『思いやり』は『相手の立場から理解する』ことですので、理解できるのであれば自然と思いやりを持つことになります。『思いやりを持とうと意識する必要が無い』のです。

          この場合、『少しは想いやりを持ちなさい』と言っていますから、対象者は『相手の立場から理解できない』事になります。『相手の立場から理解出来ない場合、自分の理解もできない』ので、自分の理解が出来ない方に『少しは想いやりを持ちなさい』とだけ言うのは、『相手の言いなりに、道具になりなさい、支配されなさい』と無意識でメッセージを送っていることになります。

          雅さん自身が『思いやりが無い』人の立場を理解すれば当然、思いやりを持てない理由もわかるでしょう。それが分かれば、方法もわかります。ですのでどのような方法で教えているのかに興味がありました。

          『思いやりが無い人』が『思いやりを持てるようになるための方法』をどのようにしているかを聞きたいです(#^^#)

          よろしければお聞かせください。

          明確な、方法が無い場合、雅さん自身が支配を思いやりだと勘違いされている部分があるかと思います。
          もしそうでしたら、それはとても傷ついてきた幼少期に愛情をもらえず支配されたことで、今でも愛を支配だと勘違いされているでしょう。
          頭では分かっていても腑に落ちない感じです。

          如何でしょうか?

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