アドラー心理学では褒めることや叱ることは「支配になる」からダメだと言われています。

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アドラー心理学では褒めることや叱ることは「支配になる」からダメだと言われています。

私が今まで自分で考えていたことと、多くが一致するのがアドラー心理学です。 アドラー心理学の思想が入った青年と哲人との対話形式の物語でわかりやすく書かれた本があります。 それは「嫌われる勇気」です。

フロイトやユングと並んで現代のパーソナリティ理論や心理療法を確立したアルフレッド・アドラーの思想が詰まっている、おすすめの本です。 機会がありましたら是非、読んで見て下さい。

私たちの悩みはすべて対人関係の悩みだとアドラー心理学では言います。 この対人関係に問題があるから、あらゆる悩みが起こるわけです。 私たちは自分で気が付かないレベルでも多大な影響を与え合って生きているものです。 ですので、自分が意識していなくても影響を出して、それが巡り巡って返ってきたりすることもあります。

悩みを解決する為に大事な事が縦の関係を横の関係にすることです。 アドラー心理学では縦の関係を否定し、横の関係を重視しています。

縦の関係を否定する理由は、

・劣等感は縦の関係から生まれてくる意識

・縦の関係の背後にある目的は支配や操作 です。

人は自分の人生における課題や責任、苦しみなどを他者に背負わせたり、背負ったりしているのです。 そしてこれは私の考えですが、苦しみや症状でさえ、他者のものを背負わせたり、背負ったりしているのです。 つまり、対人緊張や、視線恐怖、赤面症なども他者の症状を背負ってしまっている場合もある。と私は考えています。

本人が自分の症状だと認めないことで、相手に自分の症状を投影して相手にレッテルを貼って思い込ませていく・・・そういうカラクリもあるでしょう。 だからアドラー心理学でいうところの課題の分離が必要なのです。 課題の分離とは、人生における「勉強や仕事など」自分でやるべき課題を、自分のものと他者のものを分離させることです。 この他者の課題に土足で踏み込んだり、踏み込ませるから、対人関係の問題が起こるのです。

<<下に続く>>

ですので、相手の課題には踏み込まず、自分の課題には踏み込ませず。ということが大事になります。 つまり、自分と相手をしっかり区別し、空間的な縄張りであるパーソナルスペースに侵入せず、侵入させずということが大事です。

更に、人々が言う「悪魔」これは主観世界に根付くマイナスエネルギーの集合体のようなものであると私は考えていますが、この悪魔の影響は「縦の関係」を通じて流れてくると思っています。逆に「横の関係の客観世界」には「悪魔の支配の影響は届かない」と私は考えています。なので他者の課題を背負わず、嫌われる勇気を持って、横の関係を作っていく事が健全だと思います。

あらゆる悩みを解決するための横の関係を築くには「ありがとう」から始めましょう。 「ありがとう」という本当の感謝は、相手が自分に価値があると思える言葉です。 価値があると思うことで、次は勇気が出てくるのです。 相手を支配し操作するのではなく、相手を勇気づけることが本当の横の関係です。

アドラー心理学では叱ることも、ほめることも、してはいけない事だと言います。 ほめるも叱るも縦の関係で背後には操作が隠れているからです。 ほめるのでも叱るのでもなく、勇気づけること。 「自由とは、他者から嫌われることである」 嫌われることを怖がっていては自分の生き方を貫くことはできず、課題や苦しみを知らない内に背負わされてしまうのです。

アドラー心理学を深く本当の意味で理解して生き方が変わるようになるには、今まで生きてきた年数の半分が必要になると言われているそうです。 非常に深いものがありますが「気づき」を高めいたい方にはアドラー心理学はおすすめです。

アドラー心理学を本当に理解し生き方を変えるには、「それまで生きてきた年数の半分」が必要になると言われています。 今40歳の方は、理解し生き方を変えるには20年くらいかかるということです。 そんなアドラー心理学の思想が分かりやすく書かれた本でしたので非常に納得できました。 生きているうちは遅いことはありません! どんどん学びたいですね。 是非、読んで見て下さい。

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  1. アドラー心理学、気になるので調べてみます!心理的な成長ほど幸せに満ちたことはないです。

  2. アドラーの基本思考は愛をもらえない人が個人の幸せを享受する為の方法論だと思っている。

    例えば褒めるでもなく叱るでもなく勇気つけるというのは他人がまたは親が思う今の自分と未来の自分を比べるからこそ発せられる言葉であり、そこから生まれる物は希望に満ちた自立心ではないと考える。それは未来に対する強制を意味するからだ。

    僕はアドラーに反して素直に褒める、それが最前の策だと思う。褒めるという言葉に強制があるとアドラーは考えているようだが果たしてそうだろうか。そこまで自力で上ってきた。それから先どういう道を上っていくかは分からないが今そこにいる事を認める。それが褒めるという事だと思う。その安心感があるからその先を進もうと思える希望が生まれる。

    テストの点が悪かった時にまだまだやればできるよ!と言われるほどプレッシャーな事はない。ただし発する人間が個人を認めるという共通認識の元であるならば勇気つける、褒めるは同義であると考える。ただどうしてもアドラーを紐解くと排他的個人思考が見え同義とは思えないのだがそのあたりはどうお考えなのだろうか?

    • 「褒める」という意味は、人のした行いを優れていると評価して伝えることです。つまり「褒める」には評価しなくてはいけないんです。

      評価した時点で上の立場になります。評価とは物事の性質や能力などの良い悪い美しい醜くいなど比較できる前提で価値を定めることとされています。

      比較を持ち出して上から定めているのです。本来、人間とは比較するものではありません。比較できるだけ、その個人の全てを知りようがありません。
      それなのに比較を持ち出して定めると、そこに劣等感が作られていきます。

      比べなければ劣等感は生まれません。更に生まれた劣等感を蓄積させるように蓋をすれば劣等コンプレックスになり害が発生するようになります。つまり「褒める」は劣等コンプレックスの原因になっていきやすいのです。

      支配はとても巧妙ですからアドラーは深く知ったうえでの「褒めるも叱るもだめ」と言っているのだと思います。「ユダヤ人迫害により、アドラー派が殺されてしまった」と言われているように、支配者からすれば消したいくらい邪魔だったと思われます。「褒める」には支配しコントロールするだけの力があります。

      仰る通り「発する人間が個人を認めるという共通認識の元であるならば勇気つける、褒めるは同義」だと私も思います。匿名さんの「褒める」という解釈自体が「支配の無い勇気づけ」なのではないでしょうか?

      一つとして同じ花が無いとして、すべての花が違うのに、一つの花が勘違いをして自分は醜い花だと勘違いしたとします。すると他の花まで自分の同ジャンルのものの中で下に見えるようにメッキをかけてしまった。それがエスカレートして複雑巧妙な支配へと変化していった。その支配を大きく変えるのにはアドラーの課題の分離と勇気づけが効果的だと私は考えています。勇気づけとは「あなたが勘違いしただけであなたも世界に一つだけの素晴らしい花なんだよ」と教えてくれるものでしょう。

      しかし褒めるはすべてを同じジャンルの花だと勘違いした状態からのもの。

      つまり人間の成長として、今までは「褒める叱る」から学ぶ時期であったけど、ステップアップして「勇気づけ」に変わってきている。そう考えています。
      ですので排他的ではなく受け入れる姿勢があるものだと私は感じます。

      説明が上手く出来ませんが、メッキ状態は排除するけど、本質の素晴らしさを受け入れるものがアドラーだと思います。

      • 御丁寧な回答ありがとうございます。

        人間の支配についての捉え方なのではないかと思いました。私は人を褒めるときに上からという意識は一度も無くむしろ感嘆に近い感情からなのでアドラー思考の褒める=支配、上から目線というのは彼個人の価値観ではないかと思うのです。

        逆に勇気つけるというのは褒めるに対して曖昧な概念、行動思考であり、同じ勇気つけるとしてもそのやり方は相当のアプローチの違いがあると思うのです。個を受け入れるのはベーシックとしてもその後の行動が曖昧になりやすいということです。なぜなら勇気つける相手も横の繋がりで自分の個を大切にするからです。悪くとらえれば人によっては無意識の内に支配的に、あるいは作為的に。例えばスパルタ教育もそれは厳しく叱るという行為ではなく厳しさのある勇気ある親の愛を与えるとしてみればアドラー的にみれば勇気つけるかもしれません。

        だいたいの親は子供を勇気つけて下さいと言われたら、もっと出来るよ。一緒にがんばろうよと同じ目線で励ますと思います。ただその言葉の中にこそ比較と支配があると思いませんか?

        しかし褒めるというのは勇気つけるに比べて遥かに単純で本人が気づかない素晴らしい個性や満足を他者が自分と同義であるように見つけるというその定義のみでも十分成し遂げられる行動であり、その意味でとらえればそこに評価はあっても比較や支配は一切存在しないと思います。

        しかしならがらここでは主様本人の考えではなく主様が思うアドラーの考えにもとついた意見交換ですので
        どちらの考えであれ、主様がおっしゃる通り個人を個人として慈しみその可能性をのばす為に全力で思考を働かせるのは私も心から同意する所です。

        何故アドラーに対して考えを持ったかといいますと昨今のコミュニケーションのインタラクティブ化はアドラーの個を利己的に誤って思考する、例えばよく言われる嫌なら見るな、来るな、見たいものだけ見ればいい、付き合いたい人とだけつきあえばいい、嫌な人はブロックという風にある種排他的にもとれる言動を無意識のうちに行う人が非常に多く見られる事です。

        そこにきてこのアドラーブーム。個を大切にするというのが本当に正しく伝わっているのかが知りたかったのです。つまり自分の可能性をのばす為のアドラーではなくテリトリーを守り自らの殻を破らない為のアドラーになってはいないかと言う事です。それはアドラーの全体思考からは遠く離れているのではないか?私はどうしても後者の解釈をする人が多い気がしてなりませんが専門家のご意見を伺いたいです。

        • アドラー個人の価値観ではないでしょう。
          褒めると勇気づけは区別するべきものです。

          仰る通り比較や支配はあります。
          逆に無いという人間ほど信用できませんしそこまで超越することは非常に難しいと思います。
          だからこそ横の関係、横からの勇気づけ、支配の無い関係を目指すことが大事であり、出来なくとも出来るように向かっているのでしょう。
          アドラーを本当の意味で理解し実践するには今まで生きてきた年数の半分はかかると言うのも頷けます。

          褒めるを単体で見れば支配に気づかないと思いますが、複合的に客観的に見ていけば支配はあります。
          褒める叱る、飴と鞭を使い分け人は本人が気が付かなくとも支配しているものです。

          「嫌なら見るな、来るな、見たいものだけ見ればいい、付き合いたい人とだけつきあえばいい、嫌な人はブロック」

          こちらはよく私が言っていることですね。
          とても良いことです。

          嫌なら見なけれないいですし、自分の自由にすればよいのです。
          嫌な人と関わりたくなければ関わらなければよいのです。

          ~~~~~~~~~~~~~
          例えばよく言われる嫌なら見るな、来るな、見たいものだけ見ればいい、付き合いたい人とだけつきあえばいい、嫌な人はブロックという風にある種排他的にもとれる言動を無意識のうちに行う人が非常に多く見られる事です。
          ~~~~~~~~~~~~~
          私には上記の考え方が排他的で支配的に感じました。
          人は好きも嫌いもあって当然ですし、嫌なものと関わらなくても良い権利があるのです。
          世界中のたくさんいる中の人間。その中から全てと関われるわけではない。ですので自分の自由に選んで良いでしょう。
          逆に嫌われているのに寄り付くほうが介入になりませんか?

          また「テリトリーを守り自らの殻を破らない為のアドラーになってはいないか」でも心の通過点として良いではありませんか。

          逆にご質問をしますが、「テリトリーを守り自らの殻を破らない人」がいたとして、あなたは、その人に何がしたいのですか?

          • 御回答ありがとうございます。

            御質問にお答えします。

            仮にそういう相談を私が受けたとしたら寄り添う事を第一に大切にしたいと考えます。
            今そのときどこに向かえばどうやって破ればいいのか分からないのが不安なのですからその不安を取り去るべきです。

            ですので分からないままでも通過点だから気にしなくていいんだよとはかえって相手を不安にさせてしまい選択には入りません。またそのニュアンスに着地点がすでに分かる言い方にもとれてしまい対等に話す関係ではないのではとも思います。

            自分もその人の着地点はどこか分からない。でも苦しいのなら寄り添ってあげて話だけでも聞いて楽にしてあげたい。そして少しでも良さを褒めてあげたい。その一心だと思います。主様ならばどうされるのでしょうか?

            次に仰る中で褒める時に複合的に客観的に見れば無意識の支配はあるとありましたがそれがどのような視点なのかが抽象的で分からないのでまずそこから具体的に事例をあげて頂ければと思います。

            • ご回答ありがとうございます。

              「相談を受けたとしたら」という前提だと良く分かりますし、とても良い方法だと思います。

              しかし、前回のHALさんのコメントの「つまり自分の可能性をのばす為のアドラーではなくテリトリーを守り自らの殻を破らない為のアドラーになってはいないか」という部分で、通過点として殻を作って破らない人が居たとして、それがよろしくないという解釈をされていませんか?

              よろしくないから今回のHALさんのコメント「ですので分からないままでも通過点だから気にしなくていいんだよとはかえって相手を不安にさせてしまい選択には入りません。またそのニュアンスに着地点がすでに分かる言い方にもとれてしまい対等に話す関係ではないのではとも思います。」と仰っていますが、殻を保持したい方にとっては嫌がらせ行為ともなるのではないでしょうか?

              つまり「相談を受けたとしたら」という前提だと良く分かりますが、「相談を受けてもいないのに殻を壊そうとする」では全然違うし一歩間違えは侵略、無断介入になるのではないでしょうか。

              そういった点を考えて私は「殻を作っている人にはそれなりの理由があるので通過点としてとても良いことだと」考えています。
              本人が殻を破る準備が出来たので協力してほしいと申し出れば仰るように相談を受けたり寄り添ったり行動を起こせるようにサポートしてあげると良いと思います。

              また話を聞いてあげたいと言われますが、話を聞くだけでは三才以前の潜在的なマイナスは取れないかと思われます。
              傾聴カウンセリングでは恐怖のある扁桃体記憶を消せないそうですから。行動が大事になりますよね。

              HALさんが「良さを褒めてあげたい」とおっしゃいますが、その良さを判断し評価するのは誰基準ですか?
              そこにどうしても上から目線での支配が隠れているでしょう。

              「褒めて」「あげたい」

              「楽にして」「あげたい」

              こう書かれていましたが、

              つまり「あげる」ということですね。

              ではこう言われても平気ですか?

              「HALさん、あなたの褒めなんて全然いらないんですけど。お願いですからくれないでください」

              こういわれてムッとしませんか?

              • 長文での丁寧な御回答有り難うございます。
                お返事遅くなり申し訳ありません。

                ムッとする事はありません。なかなか相談されてそういわれた事が今までなかったので仮になりますが、そのような事があれば、その人が今は破りたくないという意思を一番大切にしてあげたいです。自分がではなく、あくまで相手の今の状態を尊重し出来るなら、何らかの形で元気にしてあげたい。これが私のポリシーです。

                お話をまとめるに勇気づけるにしても褒めるにしても、少なからず互いに支配が存在するようです。これを一つの結論に致しました。ただだからといってそこにおびえる必要はなく、両方のよさをうまく使いながら人と接していければと思いました。そのリスクがある事を頭においておきさえすれば、勇気も褒めるも人を笑顔に出来る同義の道具だと思い積極的に使うべきだと思いました。

                主様は今後も限りなく支配のない世界を目指されると思いますが、私はちょっぴり泥臭く生きる方が楽しい人生を送れそうという結論に達しました。時には支配されてでも叶えたい願望がある。それが認識できないくらい様々な事を吸収したい。その欲の塊である自分を改めて素直に認め、ありのままの自分を大切にしたいと思います。

                また、主様に教えられた、支配が嫌になったらその時は大声で嫌だといい、いつでも堂々と逃げられる自分になりたいとも思いました。おかげでもっと自由になれる気がします。

                今回は自分の思考の真反対側ともとれる論理を伺えて大変貴重な経験になりました。それは教えて頂いたどのような自分でもそのままで良いというアドラーの言葉がポジティブに響いたからです。今後の変化する自分の事も含まれているからです。だから自信を持ってよいと思いました。

                アドラーの全てを受け入れたくない自分もまた偽りのない自分です。やはり勇気づけるだけでは危険で褒める事が人にとって最も力を与えられるという事に今も変わりありません。しかし、その中でも互いに支配があるという共通点も見つける事が出来た事は、人は論理の枠を超えて思想は違えども理解し合うことができ、またそれぞれもありのままの自分を受け入れていいのだと今回教えられたようで、その事自体が、アドラーの目指す全体社会の幸福の一つの形なのではとも思いました。

                最後に問いかけとはいえ主様の価値観に深く入り込み、巡り会った大切な物に危害を加えてしまった事に対してはこの場で深くお詫び致します。お互いの思想でよい部分を見つけあい、こだわる事なく補い合いながら今後の人生を楽しんでいきましょう。

                アドラーという論理もあくまで他人の思想であり、個人ではありません。もし今回、至らない私の言葉も何か主様に響く物がありましたら大変光栄です。貴重なお時間を頂き本当にありがとうございました。

                • ご返信ありがとうございます。

                  「その人が今は破りたくないという意思を一番大切に」というのが大事なことで、それを破ろうとしたりするのは無断介入になることもありますよね。殻は外からは破ることは困難ですが、内から本人が破りたくなったら簡単に破れるのです。

                  ですので本人が自ら殻を破る為の準備が整い本人の意思で破るときがくるように「勇気づけ」を行うと良いのではないでしょうか。
                  私は「褒めるには支配がある」と考えているので「支配が必要な人には褒めるが有効」で「褒めるは支配を学ぶためには必要」だと思います。

                  HALさんのおっしゃる

                  「私はちょっぴり泥臭く生きる方が楽しい人生を送れそうという結論に達しました。時には支配されてでも叶えたい願望がある。それが認識できないくらい様々な事を吸収したい。その欲の塊である自分を改めて素直に認め、ありのままの自分を大切にしたい」

                  こちらですが、支配があるということは、「支えて配る必要がある」ということ。
                  支えて配る必要があるということは、支えてもらえなければいけない人がいるという事。
                  つまり、自分を確立できていないから支えてもらわなければいけなくなるのです。
                  自分を確立できていないから苦しくなり不満が出たりするのです。

                  では何故自分を確立できないか?

                  それは比較の中に入れ込んで、劣等感を植え付ける仕組みだからです。
                  本来比較するべきものではない違う種類の人間なのに、同じようなものだと決めつけ比較し劣等感を生み出しています。

                  誰かが強いと比較の上で主張する時、弱いと決めつけられる存在が必要になります。
                  2:6:2の割合で、2割り比較の上で強がると2割は弱さのレッテルを貼られます。

                  そして自分を確立できない状態へと追いやられているのです。
                  つまり約二割の人間が踏み台としての人間を支配によって利用している仕組みがあるのです。

                  ですから、支配の無い世界ではなく支配されない自分を作って行く事が大事なのです。
                  そこに自由がありますよね。

                  つまり支配は自由を手にしていくための材料であり、教科書であり、導かれるものだと思われます。
                  世界が支配的だと言うのなら、世界は個人が自由を手に入れる為にバックアップしてくれているのではないか。そうとも考えられます。

                  「褒める事が人にとって最も力を与えられるという事に今も変わりありません。」
                  ↑こちらは褒めるという支配をしておかなければ無断介入、侵食、する人がいるからではないでしょうか。

                  アドラーの考えを全て受け入れたくない偽りのない自分もとても良いことだと思うのです。
                  HALさんは私の考えに無断で介入し操作しない。私もHALさんの考えに無断で介入し操作しない。
                  そして互いに違う考えを尊重できれば互いに攻撃する必要などもなく、認め合えるのではないでしょうか。

                  つまり、極端に言えば支配されたい人と支配したい人が互いに目的が一致しているのだから、それはそれでいことだという事です。
                  極論で言えば、殺人したい人と殺されたい人が二人で一致すればそれはそれで良いのではないかということです。
                  一致しないものをどうにはしようと支配しコントロールしようとするからおかしくなると思うのです。

                  そして人ぞれぞれ心の成長過程があり、それは比較するものではないことです。

                  支配が恐いのは、支配を知らず支配をネガティブに捉えてしまっているからだと思うのですね。
                  支配は、支えて配ること、自分に足りない部分を支えてくれているものだとう考え方も出来ますよね。
                  私は危害を加えられたとも感じませんし、お詫びをいただくような気持には一切なっていませんよ(^^)

                  全体としての支配としての学びが一つ終わろうとして、新たな成長のステップに入っているのでしょう。
                  だからこそアドラー心理学が今必要なのです。

                  嫌なものは嫌だ。好きなものは好き。偽りない自分を大事にしていけば「褒められることが嫌だと感じる」時もあります。
                  ですが人のせいにし支配し操作したい時、褒められることが嬉しい時もあるのです。

                  といった感じで私の考えです。

                  HALさんの「あくまで相手の今の状態を尊重し出来るなら、何らかの形で元気にしてあげたい。これが私のポリシーです。」は褒めると言うよりは勇気づけだと思いますよ。

                  長くなってしまいましたが、私の意見も単なる材料として、良い材用がもしもあればその材料を使って、自分を自分の好きなように自由に成長させていくことが良いと思います。
                  すべては心の成長過程です。

                  自分と違う経験が聞けて良かったです。
                  ありがとうございました。

  3. 人と関わらずして生活出来ることは出来ないのだから、コミュニケーション能力は大事ですね。本を読んでみます。

  4. >私たちの悩みはすべて対人関係の悩みだとアドラー心理学では言います。
    病気を苦にして悩むとかお金の問題で悩むのは対人関係ではないような気がします。
    茶化してるわけではありません。読んでみたらいいことが書いてあり、自分に当てはめて
    生かしたいのですが、基本的なところでつまずいています。

    • >病気を苦にして悩むとかお金の問題で悩むのは対人関係ではないような気がします。

      病気を苦にする ⇒ 生きたい ⇒ 人と繋がりたい

      お金の問題で悩む ⇒ お金で何かを手に入れたい ⇒ 対人関係において必要なモノや足りないモノを手に入れたい

      このように対人関係に繋がっていると思います。

  5. 影響を与え合って生きている。確かにその通りだと思います。
    他人にたった一言言われただけで一喜一憂してしまうのですから。
    そして一喜一憂する背景には恐らく嫌われたくない。好かれたい。そういう気持ちが潜んでいるからなんですよね。

    嫌われることを怖がっていては自分の生き方を貫くことはできず、課題や苦しみを知らない内に背負わされる。確かに…。
    けっしてそれは嫌われるような行動を取れと言ってるわけではなく、自分の生き方を貫く事で孤立する可能性が高くなるという事ですよね?。

    自分は自分、他人は他人と
    自分と他人をしっかり区別し、自分と他人を比べることもせず覚固たる信念を持って行動する事の大事をわからせていただきました。

    • そうです。

      決して嫌われるような行動をとれと言うことではありません。

      自分の生き方を貫くことを喜んでくれる人と、喜んでくれない人がいます。

      多くは後者の自分の生き方を貫くことを「喜んでくれない人に依存し縦の関係を作る」のです。

      ここが全てだと思い抜け出すのが怖いのです。

      そうではなく前者の自分の生き方を貫くことを「喜んでくれる人と横の関係を作る」ことが大事なのです。

      自分の生き方を貫くことを「喜んでくれる人と横の関係を作る」と、孤立ではなく深いつながりを感じることが出来るのです。

      アドラー心理学でいうところの共同体感覚(他者を仲間だと感じ、そこに自分の居場所がちゃんとあると感じる)の状態です。

      自分と他人を区別し信頼し尊重する人達は横の関係を作る人たちです。

      本来はすべての人が世界に一つだけの存在なので、比べることなど出来ないのです。

      しかし、無理やり比べるために、人の一部分だけにフォーカスし似た部分だけを寄せ集めて比べて劣等感を生み出しているのです。

      人を深く知り理解すると世界に一つだけの存在なので、比べることなど出来ないことが分かるのです。

  6. ついつい、嫌われることを恐れて、自分の気持ちを押さえて、自分の気持ちを言わずにみんなに合わせてしまいがちです。

    嫌われる勇気を持って、本当の自分を生きていきたいです

  7. 心理学には今まで興味無かったのですが、時間があるときに読んでみようと思います。

  8. 確かに縦の関係から、問題が発生しやすいことは事実ですね。

    この世の中、縦の関係が張り巡らされていますから。

    でも「ありがとう」がキイワードなのですね。まずは相手に感謝する。これならば私にも出来ます〜♪

  9. 勇気付けること、大事ですね。

  10. 叱らず、褒めず‥難しいですね。
    確かに言われてみたらそれって縦の関係になりますよね。親と子でもそれってダメなんでしょうか?

    • 親と子でも支配や操作になる上から目線の「ほめる」ではなく、対等の立場で「勇気づける」ことが大事です。

      私の考えですが、支配や操作をしない限り、子はしっかり育つはずだと思っております。

      子どもが先におかしくなるのではなく、先に親が支配や操作をするから反発するはずです。

      子どもにこうしろ、ああしろとは言わず、ありのままの存在自体を受け止めてあげれば、叱るもほめるも不必要になりますよね^^

      ありのままの存在を受け止められない時、劣等感に自分が支配されているのでしょう。

      「他の子はああなのに・・・」

      劣等感を生み出すのは縦の対人関係です。

  11. 『他者から嫌われる事が大事』でもそれは、自分自身で作り上げた世界で生きているように感じます。実際自分も社会と分離し自由きままに生きていると思います。叱る事も誉める事もないと善悪の判断も出来ない人間になるのではないか少し心配です。

    • 他者に好かれようとするから、おかしなことになるのです。

      そもそも「嫌われたくない」というのは相手の「好き嫌いの判断を操作」しようとしている考えからになるんです。

      相手が嫌う権利はありますので、相手に嫌われたくないというのは相手を尊重しない事になるのですね。

      ですので「嫌われる勇気」は「他者を尊重する」ことに繋がります。

      「叱る事もほめる事もないと善悪の判断も出来ない人間になる」というのが子供への操作です。

      子どもは操作されると何かしらの反発を起こします。

      そうすると、今度はほめて快感を与え子供を騙す行為に繋がるのが「ほめる」ことです。

      アドラー心理学では褒めるのではなく「勇気づける」ことが大事だと言っていて本当に納得です。

      上から目線の「ほめる」ではなく、対等の立場で「勇気づける」ことが大事です。

      「勇気づける」対等な立場なら、あるがままの存在に感謝が出来るようになるので、操作が必要なくなるのです。

  12. 私は叱られるのが嫌いなので、ほめて伸ばしてもらいたいです

  13. メグミ(二児のママ)

    叱るのは、相手のためでなくて、ほめるのは後で嫌われないためとかですかね。でも怒る・叱る・うるさいって人は嫌われやすいって気もするけど、どうなのかなって思います。この本を探して勉強したいと思います。

    • 叱るのもほめるのも、縦の関係で成り立つものだから、劣等感が生み出されるんです。

      劣等感が生み出されてしまうと次は支配したり操作したりするようになります。

      そしえ、支配し操作する手法として「叱り、ほめる」を繰り返し、操作していくからです。

      ・劣等感は縦の関係から生まれてくる意識
      ・縦の関係の背後にある目的は支配や操作

      つまり「ほめる」ことの背景に操作が隠れていたんです!

      これは今まで私も知りませんでしたが納得出来てきました。

      図書館などでも探せると思いますので、探してみてください^^

      便利です

      ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

      カーリルという全国6,000以上の図書館からリアルタイムの貸出状況を簡単に検索できるサービス
      http://calil.jp/

      本のタイトルは「嫌われる勇気」です。

  14. 確かに誰しも人に嫌われたくなくて自分を偽っていきていますもんね。ときには自分を貫く勇気ちょっと持ってみたいですね

    • 私も嫌われることが怖いですし、誰しも持っているものですよね。

      嫌われる勇気をもって、自分を貫いてみると違う世界が見えると思います。

  15. 中々難しいです

  16. そう言われれば対人関係の悩みが多いと思います。死ぬまでなくなりそうにないです。

  17. 確かに自分の好きなように生きていくには、色々言われるなぁと思うこの頃です。

    私なんてセミナーに一回だけ参加しただけでも、周りから非難されてますからね。

    好きなように生きるって大変だよなぁと思いますホント。

    • 区別できると楽になれますよ^^

      ・色々言われる
      ・セミナーに一回だけ参加しただけでも周りから非難

      これは相手と自分を区別するんです。

      ・相手が言ったこと
      ・自分がどう受け止めるか

      区別しましょう。

      自由になる為には記事で紹介した本のタイトルのように「嫌われる勇気」が必要なのです。

      「嫌われる勇気」を持たないと、いつまでも非難されて色々言われることに左右されてしまうんです。

      非難するのもしないのも相手の自由なんです。

  18. 自由は欲しいですが他人から嫌われるのも嫌なので難しい問題です。

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