※画像はAIで生成したイメージです。
僕が19歳の頃に更生した理由1つ。
それは「心有る者」を知り、
「心無い者」を知ったから。
僕は機能不全家庭で育ち、
支配に抵抗し、
非行に走ることで心を守っていた。
しかしそんな生き方は、
「心無い者」ばかりを知る道だった。
人を殺しても悪いと思わない者。
動物を轢いても罪悪感すら感じない者。
車で人を轢き殺しても償わない者。
お年寄りを植物人間にして笑っている者。
償わない者たち。
僕はそんな者がいる中で生きて、
居場所がなかった。
どこにも居場所がなかった。
唯一の安らぎを求めて薬物に逃げていた。
そして少年院に入ってまた「心無い者」と出会った。
違う形の「心無い者」。
だから逃走した。
そして戻って移送された別の少年院で、
生まれて初めて「心有る者」を知った。
それは1つの「心の明かり」だった。
自分が生きていた世界に、
「心有る者」がいると知った。
同時に「心無い者」が
多かったことにも気づいた。
それが「更生したい」と
思うキッカケの1つだった。
「心無い者」たちから
馬鹿にされても、否定されても、
関わりたくない、そう思った。
僕は、
取り返しのつかない過ちは犯してはいない。
「心の明かり」を見つけたことで、
「心無い者」が嫌になり、
自分が「心無い者」になることを防げた。
しかし、
前記したような「心無い者」たち、
人を殺しても悪いと思わない者。
動物を轢いても罪悪感すら感じない者。
車で人を轢き殺しても償わない者。
お年寄りを植物人間にして笑っている者。
この「心無い者」らは、
罪を償うこともしていない。
【償いは人間の証】
人間は誰もが「償うべきこと」を抱えている。
その大きさは人それぞれ。
どんな小さなことでも償えることは幸せなこと。
ChatGPT4.0より
下記の曲を聴いてほしい。
下記は「静かなる償い」に書いたこと。
罪悪感を持ったあなたは良心ある誠実な人です。人は誰もが間違いを犯し、失敗して、悪いことをします。この世に悪いことを全くしないという人は一人もいません。犯罪も同じです。逮捕されたことがなくても、人生の中で犯罪に該当することを何かしらしています。人間は誰もが罪を犯しています。ですので、罪悪感があるということは、誠実な人である証拠です。良心を持ったからこそ罪悪感が生まれます。 静かなる償いより
罪悪感を通して償えること、それは幸せなことなのです。何故なら、人は自分の心に「償っていないもの」を蓄積させています。そしてその「償っていないもの」が無意識のうちに自分を不幸へと誘導してしまうからです。だから償えるということは幸せに近づくということなのです。本当の罪悪感は償いで手放して、架空の罪悪感は捨てましょう。 静かなる償いより
これは僕個人の意見ですが、罪を償わないで生きている者は、20年くらい経って不幸になり出しているケースが多いと感じています。罪を償わないで生きる20年という長い月日が本人を徐々に不幸へと誘導していると感じています。この「20年くらい」を僕は、「心の執行猶予」と考えている。
ChatGPT4.0より
思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。マザーテレサの名言
僕は上記の言葉は、20年以上経って起こる変化だと思っています。
つまりこれが「心の執行猶予」が関係していることだと考えています。
ChatGPT4.0より
僕は2度更生しました。1度目は少年院を出た後の更生。2度目は「心の更生」です。「心の更生」は「深い自己認識」と「深い自己理解」によって出来ました。
ChatGPT4.0より
あなたは「償うべきこと」を心の奥に抱えていませんか?
それはただの時間の経過だけでは消え去ることはないでしょう。
「心の執行猶予期間中」にしっかりと解決することが大切だと僕は思います。
「償うべきこと」は「心の中の種」であり、やがて芽が出てくるでしょう。