人からどう思われるか怖い?批判、否定が怖い人必見!根拠とかウザい!?根拠はとても大事なもので「不安に効く薬」みたいなものが「根拠」であり「あなたが自分の道を逸れないようにしてくれる道しるべ」でもある!

すごく良い動画を発見しましたので、まずは上記の動画を見て下さい。
人からどう思われるか怖い人は自分を信じていませんので、まず「自己肯定感を高める」ことが大事です。そして自己肯定感を高めることとセットでこれから書く内容をしっかりと吸収してみて下さい。そうすると人から否定的に思われることが気にならない考え方に変わるかもしれません。
釈迦はこう言っている!
では、書きますね。
誰もが知ってるであろう釈迦はこう言っています。
「理性ある人に批判されないようにがんばりなさい」
何故、理性ある人?
そう思いましたか?
そう思った人は素敵です☆
理性って何?
まず理性とは、何かを判断する時に「道理によって判断する」ことが前提の心の働きであり、能力のことです。
こちらの引用文を併せてお読みください。
1 道理によって物事を判断する心の働き。論理的、概念的に思考する能力。
2 善悪・真偽などを正当に判断し、道徳や義務の意識を自分に与える能力。「理性を失ってつっ走る」
如何ですか?
理性とは、「人間らしく生きるために大切なこと」だと思います…。
ということは、「理性の無い人は何者だ!?」となりますよね。
「妄想」に憑りつかれた?
はい。理性の無い人は論理的、概念的に判断できない…ということ、つまり「妄想」に憑りつかれたような考えをしていると言うことです。妄想に憑りつかれた考えをしているということは正しくない考えなので、その人の妄想だと言うことになり現実ではないということになります。
釈迦の言う「理性ある人に批判されないようにがんばりなさい」は、とても素晴らしい言葉で、理性の無い人にどう言われてもそれはその人の妄想や勘違いなので気にする必要性がまったくないということです。
つまり理性のない人が言っていることは自分の妄想を言っているだけなので、それは相手の妄想であるから受け取り必要は全くないということになります。「それは、あなたの妄想だから受け取りません。」で良いのです。
「妄想」に憑りつかれた匿名掲示板の書き込み
例えば、匿名掲示板は「嘘」「妄想」「事実の歪曲」のオンパレードですが、そのようなことを雨の日も風の日も13日の金曜日である今日(記事を書いた日がそうだった)も、せっせと書いているのです。いったい何が彼らの妄想をここまで突き動かすのでしょうか。書いてある内容を見て分かるように、論理的でも概念的でもないですよね。ということは「単なる妄想」に憑りつかれた書き込みと言うことになるので気にする必要は0(ゼロ)ということになります。
匿名掲示板で「○○は、人間の屑で汚いやつだ!」と「嘘」を書くのは、書いた本人が必死に○○なる人物の印象操作をしてイメージを下げたいからなんです。つまり現実では勝ち目がないから妄想の世界だけでも必死に相手のイメージを下げて妄想の世界で優越感に浸りたいのです。そして現実に戻ったら焦燥感によって、また妄想に逃げるという悪循環にはまるのです。
そういう相手からの否定や批判はまだ怖いですか?この記事を読んで少し怖くなくなったのではないでしょうか?(^^)
嫌がらせには刑事告訴や民事告訴
相手が、インターネット上で、あなたの嘘を書いていたら「おっ!?今日も理性ない妄想で頑張って、必死に宣伝をしてくれてるのか?」と思えば良いのです。度を超すのであれば、名誉毀損事件にもなる場合もありますので、警察に相談したり、民事裁判などで対処するのも1つの手です。ただ裁判で勝利しても心は完全には晴れないと思います。あくまでも、邪魔臭い嫌がらせをする者をルールにのっとって抑えておくために活用するのが良いと思います。
例えば、インターネット上で、あなたの嘘が書かれるとする。あなたは気にしないからそれでいいとする。だけど、子供たちや、理解力のない人は、その「嘘」を信じる可能性があります。「嘘」を信じることへ誘導させると、その人たちの未来を不幸にするかもしれません。そういった意味も踏まえ、誹謗中傷や、名誉毀損事件は、刑事告訴、民事告訴などで対処していくことが、社会的に健全性を保つ上でも大事なことなんです。
厳しいと思う人もいるかもしれませんが、社会は遊びじゃないんです。ルールがあって、ルールを守ってくれている方々がいるから安心して生きていける側面もあるんです。餓鬼のように「硬いこと言うなやwwwww」だけではやっていけない面もあるんです。ですので、バランスが大事なのであまりひどい場合は刑事告訴、民事告訴などで対処していくことを考えてみて下さい。
根拠は大事だけど信者にはなるな!
話は戻りますが、理性ある人は根拠に基づいているので正しい意見になるので、理性ある人の意見は真剣に聞いた方が自分が向上します。ただしこれは、自分が相手の意見を聞きたいと思った場合です。聞きたくもない相手の意見が根拠があろうがなかろうが聞く気はしませんよね。しかも根拠のことばかり考えてもいられません。
根拠、根拠うるさい人を一度は見たことがあるかと思いますが、根拠とは物事がそうなる理由で「不安に効く薬」みたいなものが「根拠」です。ただ根拠の信者になり根拠ばかりに依存するのは危険です。根拠ある自信は根拠が崩れたら共に自信も崩れます。だから自分を信じるのに根拠なんかいらないんです。
根拠は不変ではない!
例えば、この話を聞けば、「根拠が全てだと思い込む妄想」をして、起きながらにして寝ていた人は目が覚めるかもしれません。
乳酸は筋肉疲労の原因物質として考えられてきた。これは、乳酸の蓄積によるアシドーシスにより収縮タンパクの機能が阻害されたためと理解された[5]。しかし後の研究において、アシドーシスを筋肉疲労の原因とする説に対して反証が報告されてきた[5]。そして2001年に Nielsen らによって、細胞外に蓄積したカリウムイオン K+ が筋肉疲労の鍵物質であることが報告された。Nielsen らの系では、K+ の添加により弱められた筋標本について乳酸などの酸を添加すると、従来の説とは逆に回復がみられた[6]。
引用元:乳酸 – Wikipedia
この本もおすすめです。
このような感じで、「根拠」なんて100%じゃないんです。
「科学的根拠でさえ変わる」という事実。
私が言いたいのは、先ほどの「嘲笑して優越感に浸りたい者が愚か者」だと言いたいのではなく、「根拠は不変ではない」と言うことです。木の根っこが伸びるよう、根拠も時代時代で変化したりするということです。
そんな変化し成長する根拠の信者になって「根拠は?」「根拠は?」「根拠は?」「根拠は?」「根拠は?」「根拠は?」「根拠は?」「根拠は?」「根拠は?」としがみついて「根拠信者」になっても仕方ないってことです。
根拠に依存せず無条件で信じる強さ
私がこの記事であなたの心に伝えたいことは「根拠に依存せず無条件で信じる強さ」を手に入れてほしいということです。根拠のない自信を持てるようになることが大切なんです。
「信じる」のに「根拠」を必要とするのは「信じる」とは言いません。
そのことを証明している素晴らしいアニメがあります。
それは「ドラえもん」です。
タイムマシンで過去に言ったのび太。おばあちゃんが大きくなったのび太だと理解できるわけはないはず…。
だけどのび太が「信じてもらえないかもしれないけど、ぼく、小学5年生になったのび太だよ」というようなことを、おばあちゃんに伝えるとおばあちゃんは「やっぱりそうかい」そしてのび太は「信じてくれるの?疑わないの?」みたいなことを言って、おばあちゃんは「誰がのびちゃんの言うことを疑うものですか…」みたいに無条件で根拠もなしにのび太を信じた場面こそが、「信じる」のに「根拠」を必要しないことを教えてくれます。
この場面、涙が出てきました。
動画を探せるリンクを貼っておきますので、動画があれば見てみて下さい。
こちらのドラえもんの、のび太のおばあちゃんが「無条件でのび太を信じた場面」がありましたが、あれこそ「信じる」ということです。「根拠に依存せず無条件で信じる強さ」です。根拠のない素敵な信じる心です。
根拠とは不安に効く薬
じゃあ、根拠って悪いものなの?そうじゃありません。根拠はとても大切なことですし、人間が妄想に入らないように有難いものです。ただバランスを崩して根拠信者になると危険だということです。
前述したことですが、根拠とは「不安に効く薬」みたいなものです。これはどういうことかと言うと、結果を出している人のお墨付きで「根拠」とくに「科学的根拠」を示してもらえれば、すごく安心できますよね。それは結果を出している人が懸命に責任をもって示してくれているものだから、まだ責任を持てないレベルの人は、結果を出している人のお墨付きで「根拠」とくに「科学的根拠」を示してもらって、それをとりあえず鵜呑みにすることで、安心して、比較的簡単に、根拠を使えるんです。
だから、「不安に効く薬」が「根拠」なんです。だけど薬も効かなくなってきたりするように、根拠も同じです。前述した乳酸の話のように、根拠は変わったりするので、信じて依存して信者になっていると、根拠が間違っていたと思ったときに不安になってしまうんです。
根拠ある自信は根拠が崩れたら共に自信も崩れる
特に自信がそうです。根拠ある自信は根拠が崩れたら共に自信も崩れます。だから自分を信じるのに根拠なんかいらないんです。自分を信じるのに根拠を必要としていたら、根拠が壊れたら自信も崩壊します。あくまでも根拠は未熟な自分を成長させていくために「不安に効く薬」をいただきながら本当の自分だけのオリジナルな考えを持てるようになるためのサポート役でもあるということを理解した上でありがたく学ばせていただけばよいのだと私は思っています。
そんな絶対ではない根拠をどうでもいいと扱って、理性もない根拠もない妄想の人の意見は、その人の妄想で思い込みなので聞く必要性が全くなく気にする必要がないのです。気にしてしまうと相手の妄想ワールドに入ってしまい認知の歪みの原因になりかねません。妄想は楽なんです。怠けの世界です。根拠はそうなる理由をしっかり学び理解していく段階です。
人からどう思われるか怖い人は理性ない妄想の人の意見にも正しいことがあるとか、それを受け入れないといけないとか何か勘違いしているので気になってしまうんです。ここに気が付けば理性ない人の意見が気になりにくくなります。とても為になる内容ですので理解できない方は繰り返し読んでいただくと嬉しいです。
根拠を支えに自分を生きる
根拠は大事だけど、科学的根拠や医学的根拠は、100%絶対ではない。ただ自分よりは正確に示してくれる。だから成長をしていくために根拠を示してくれていることを有難く学ばせていただき、自分を生きていくための支えとして使わせていただければいいのだと思います。
人は自分の潜在意識(無意識)に入れた情報のまま作られていきます。あなたが、他人にレッテルを貼られたり、決めつけられたとき、すごく不快になったり、イラっと来たり、怒ったりするのは、正常な証拠です。それは自分の潜在意識(無意識)にレッテルを貼られたり、決めつけられたりして、望んでいない情報を入れ込まれてしまったから、嫌になって当然です。
そして、この理性、潜在意識(無意識)について非常に興味深い記事があります。その記事から一部引用させていただきます。
「感情的なシステム」や無意識のほうが「意識的な脳」よりも優れている場合があるという研究が行われている
私は前から考えていたのですが、理性を超えて「無意識には凄い力」があると思っています。それはまるでまっさらなハードディスクにあらゆる情報を書き込むことによって、まるで「アプリ」のような働きを持つことが出来るほどの力が潜在意識(無意識)にあると思っています。この「アプリ」のような働きはユングで言えば、複合的な感情のまとまりであるコンプレックス部分と当てはまります。例えばマイナスの情報をたくさん書き込んで「救世主アプリ」のようになってしまったとします。それは「メサイアコンプレックス」です。思っている以上に根深いこれに関してはこれ以上深くは書きません。深く書くと本一冊くらいの情報を書いてしまうことになるので。
思っている以上に、潜在意識(無意識)の力はすごいんです。
だから、人からどう思われるか怖い、批判、否定が怖い、そういった人は、気づかない間に潜在意識(無意識)に嫌な情報を入れ込まれていないか、そういったことも考えて、根拠だけに頼るのではなく、自分の芯をしっかり持って、自分の考えを持っていくことが大事です。
支配者は、人の独創性を否定し、すぐにおかしいあつかいをしたがるものです。それは怯えからそうなるんです。おびえているから支配しておかねば安心できないのです。支配者は恐怖しています。怖いから、皆同じような考えに染まってもらわないといけないから独創性を否定するのです。
そういった支配者の妄想に流されるのではなく、流されず自分の芯をしっかり持って、自分の考えを持ち続けてみて下さい。そうすれば、それが自分と向き合うことにもなり、本当の自分が自分の考えを大切にされたと感じ、自信に繋がってきます。
根拠ばかりに頼っている状態では、本当の自信は手に入りません。
だけど根拠はとても大事なもので「不安に効く薬」みたいなものでもあり、
「あなたが自分の道を逸れないようにしてくれる道しるべ」でもあります。
物事がそうなる理由である根拠を示したり考えるということは道筋のある考え方が出来ます。
つまり、道筋のない妄想に入らずにすむのです。
人は、堕落して、世の中、社会の支えがなければ、妄想に流れていく生き物です。
だから、勉強、成長、根拠、確認、区別、自立、自尊心、無意識、などが大事なことなんです。
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