Sound Notes 僕のために泣いた先生〜少年院〜 (Ver.2 / Piano Reflection)
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多分、僕がNPD悪魔化問題や、誰かが誰かを「悪者」に仕立て上げる構造に強く関心を持つのは、偶然ではないと思っています。
僕自身、9歳頃から「悪者扱いされる」という経験の中で生きてきました。
最初は家族の中で始まりました。
誰かが僕を悪く言う。
それが通る。
周囲がそれを信じる。
すると、やっている側はだんだん味を占める。
一度「この人を悪者にすれば通る」という成功体験ができると、それは繰り返されるようになります。
さらに、そこに別の人間も参加してくる。
親をそそのかし、親の怒りや攻撃が僕に向くように誘導する。
気づいたときには、家族の中で「僕が悪い」という空気が作られていました。
当時の僕には、何が起きているのかわかりませんでした。
ただ、なぜか自分ばかり悪く見られる。
なぜか自分の言い分は通らない。
なぜか事実確認がされない。
なぜか嘘の方が力を持つ。
今振り返ると、かなりカルト的な機能不全家族のような構造だったと思います。
事実よりも空気。
確認よりも思い込み。
真実よりも、誰かが作った物語。
そういうものが力を持つ環境でした。
多分、普通の家庭に生まれていたら、僕は悪者扱いされることはなかったと思います。
(嘘に支配されない健全な人たちの中では逆に、よい扱いというか、正しくみてもらえていたから、そう思う。)
子供の頃の僕は、最初から悪い子だったわけではありません。
むしろ、勉強もしていました。
算数も得意で、クラスでも上位でした。
予習復習もしていたし、年上の勉強まで進めていました。
いじめられている子がいれば助けたし、兄弟がいじめられていれば助けに行った。
取られたものを取り返しに行ったこともありました。
比較的、子供の頃の僕は「いい子」だったと思います。
でも、どれだけ真面目にやっても、どれだけ頑張っても、どれだけ成果を出しても、悪く言われる。
悪者扱いされる。罵られる。ゴミ扱いされる。
こちらの事実は見られない。
こちらの心も見られない。
そういうことが続くうちに、僕の中で何かが壊れていきました。
言葉にするなら、
「そこまで悪く言うなら、本当に悪くなってやるよ」
という感覚だったのかもしれません。
今思えば、それは子供なりの防衛だったのだと思います。
悪者扱いされ続ける苦しみから逃げるために、逆に悪い方へ傾いていった。
僕にとって非行は、ある意味では「逃げ」でした。
本当は一番やりたくなかったことにも手を出しました。
盗みもしました。
家出を考えたこともあります。
じいちゃんならわかってくれるかもしれないと思った。
でもお金がなかった。
だから、お金を盗んででも行こうと考えたことがありました。
最初は真面目にやっていた。
悪いこともしないようにしていた。
それでも悪い、悪いと言われ続けた。
そして、ついに本当に悪い方へ傾いていった。
すると周囲は、まるで納得したように、
「ほら、やっぱり悪い奴だろ」
という見方をする。
その構図だったのだと思います。
子供の頃の僕は、そこで負けたのだと思います。
悪者扱いされる苦しみに、負けた。
自分を守りきれなかった。
そしてその延長線上で、非行へ進んでいった。
暴走族、少年院。
いわゆるお決まりの流れです。
でも、少年院に入ったからといって、すぐに更生するようなタイプではありませんでした。
(当時の暴走族に入るような子は、少年院で懲りることは少ない)
むしろ、もっと悪くなろうと思っていた部分もありました。
ところが、そこで本当に人間として心の深い人に出会いました。
厳しいけれど、温かい。
表面的な優しさではなく、人としての深さがある。
その関わりの中で、僕の中に少しずつ変化が起きました。
悪いことをする世界ではない場所にも、ちゃんと人間味のある人がいる。
厳しさの中にも、温かさがある。
そういうものを知りました。
それで自然と、暴走族や非行の世界への興味が薄れていきました。
少年院を出てから、僕は暴走族をやめると言いました。
当時の先輩は、それを認めてくれました。
「頑張れよ」と言ってくれた。
ただし、「辞めたなら集会には出るなよ。見つけたらボコボコにするからな」とも言われた。
(当時は、やめたら旧車に乗れない、集会に出てて見つかったら半殺しにされる時代。地元から飛んだ人も多い。)
それは当時の暴走族の中では普通のことでした。
でも同時に、そこにはある種の筋もありました。
悪い世界の中にも、腐っていない部分があった。
人が生きる道を変えることを認めるような、人間的なルールのようなものがあった。
しかし、そこからも家族から僕への悪者扱いは終わりませんでした。
(暴走族の世界では一度も悪者扱いされたことがないどころか、守ってもらったりもした)
不思議なものです。
僕は血のつながった家族の中では、ゴミのように扱われ、悪者扱いされてきました。
でも、世間からは悪い世界と見られがちな暴走族の中では、一度も悪者扱いされたことがありません。
鑑別所でも、少年院の中でも、一度もなかった。
それどころか、守ってもらったことさえあります。
これは、僕の中ではかなり大きな意味を持っています。
家族だから人を大切にするとは限らない。
世間から悪く見られる場所だから、人間味がないとも限らない。
結局、大事なのは血のつながりでも、肩書きでも、表面的な正しさでもないのだと思います。
そこに、事実を見る目があるか。
人を一方的に悪者にしない筋があるか。
仲間を簡単に見捨てない人間味があるか。
僕にとっては、家族の中よりも、暴走族の世界の方が、まだその部分があったのです。
だからこそ僕は、表面だけで人を判断することに強い違和感があります。
「家族だから正しい」
「親だから正しい」
「世間的にまともだから正しい」
「非行少年だから悪い」
「暴走族だから悪い」
そんな単純な話ではないのです。
僕は、正しそうに見える場所にある残酷さも見てきました。
そして、悪そうに見える場所に残っている人間味も見てきました。
この経験があるからこそ、僕は誰かを簡単に悪者にする言説に強い違和感を持つのだと思います。
特に家族の中では、嘘やでっち上げ、印象操作のようなものが続いていきました。
僕を悪く見せる空気が作られ、その空気に親も飲み込まれていった。
僕の言葉よりも、相手側が作った物語の方が信じられていった。
当時の僕には、それを説明する言葉がありませんでした。
心理学も知らなかった。
投影、スケープゴート、印象操作、ガスライティング、機能不全家族、カルト的な家族構造。
そういう言葉も概念も知らなかった。
だから、ただ苦しかった。
なぜ自分ばかり悪者にされるのか。
なぜ事実を見てもらえないのか。
なぜ嘘が通るのか。
なぜ自分の心は見られないのか。
それがわからないまま、長い間苦しんできました。
でも今は違います。
過去をひもとき、理解を深め、事実確認を重ねてきたことで、ようやく説明できるようになりました。
自分に何が起きていたのか。
なぜ悪者扱いが繰り返されたのか。
なぜ周囲はそれを信じたのか。
なぜ自分は非行へ逃げたのか。
なぜ怒りや反発が強くなったのか。
なぜあの環境では、嘘の方が力を持ってしまったのか。
今なら、かなり説明できます。
振り返ると、僕の人生には「悪者扱いされる」というテーマが、かなり根深く付きまとっていたのだと思います。
だからこそ僕は、NPD悪魔化問題にも強く反応するのだと思います。
誰かを悪者にする。
事実確認をしない。
一方的な物語を信じ込ませる。
相手の複雑さを見ない。
一度貼ったラベルで、その人の全体を決めつける。
そして周囲を巻き込み、その人を社会的に追い込んでいく。
この構造を、僕は人生の中で何度も見てきたのだと思います。
だから、NPDを悪魔化する言説を見ると、ただの知識の問題として見られない。
そこにある危険な構造が見えてしまう。
「この人たちは、本当に事実を見ているのか」
「相手を人間として見ているのか」
「診断名を使って、ただ悪者を作っているだけではないのか」
「怒りや憎しみを正当化するために、心理用語を利用していないか」
そういう問いが出てくるのです。
僕がこの問題に強い関心を持つのは、たぶん偶然ではありません。
人生のかなり早い段階から、悪者扱いされる苦しみを経験してきた。
嘘が力を持つ環境を見てきた。
印象操作によって、人が簡単に悪者にされる構造を見てきた。
そして、自分自身もその中で壊れかけ、非行へ逃げ、そこからまた人との出会いによって変わってきた。
だからこそ、僕にはわかる部分があります。
人は、悪者扱いされ続けると、本当に悪い方へ傾いてしまうことがある。
嘘の物語を押しつけられると、自分でも自分がわからなくなることがある。
事実を見てもらえない環境では、心が壊れていくことがある。
そして、その苦しみは、外から見ている人にはなかなか伝わらない。
今の僕は、それを言語化できるようになりました。
だからこそ、NPD悪魔化のような問題にも、深く向き合っていきたいと思っています。
これは単にNPDの話だけではありません。
誰かを「悪者」として固定する社会の問題です。
社会病理のようなもの。
診断名や心理用語を使って、人を一面的に裁く問題です。
事実確認をせず、空気や印象で人を断罪してしまう問題です。
僕の人生の中でずっと付きまとってきた「悪者扱い」の構造。
それをようやく解き明かし、言葉にできるようになった今だからこそ、この問題を見過ごせないのだと思います。
僕がNPD悪魔化問題に向き合うのは、単なる知識や理屈ではありません。人生の中で、悪者扱いされる構造を深く見てきたからこそ、その危険性がわかるのです。
ずっと苦しかった。
なぜ自分ばかり悪者扱いされるのか。
なぜ事実を見てもらえないのか。
なぜ嘘の方が力を持つのか。
当時の僕には、何が起きているのか説明できませんでした。
でも今は違います。
過去をひもとき、理解を深め、言葉にし、事実を見直してきたことで、ようやく自分に起きていたことがわかるようになりました。
僕は長い間、悪者扱いされる苦しみの中にいました。
だけど、もう乗り越えました。
過去をなかったことにしたわけではありません。
傷が最初からなかったことになったわけでもありません。
でも、もうその物語の中に閉じ込められてはいません。
僕は、悪者扱いされた人間のまま終わらなかった。
その構造を理解し、言語化し、そこから抜け出してきた。
だから今は、同じように誰かを一方的に悪者にする言葉に、強い違和感を持つのです。
僕がNPD悪魔化問題に向き合うのは、単なる知識や理屈ではありません。
自分自身が、悪者扱いされる苦しみを知っているからです。
そして同時に、そこから抜け出すこともできると知っているからです。



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