Sound Notes
僕のために泣いた先生〜少年院〜(ピアノと弦楽器)
先生に追いかけられたら、傷つけてでも逃げる。
18歳の頃、少年院にいた僕は、仲間とそんな話をするほど、投げやりになっていました。
けれど、僕は再び逃走することをやめました。今振り返ると、その背景には、簡単に一つの理由にはできない、いくつもの出来事がありました。その中の一つが、僕に真剣に向き合ってくれた先生の存在です。
あのとき僕の中に少しずつ生まれていたものは、僕が本でも触れた「心のブレーキ」だったのかもしれません。
ストリートビューの景色から、18歳の記憶がよみがえった
いま僕は、少年院についての情報や経験を伝える「少年院の記録」というサイトを作っています。そこで記事を整えているとき、自分がいた新潟少年学院のページを目にしました。
懐かしくなって住所を検索し、Googleストリートビューで周辺の景色を見てみました。すると、遠くにスキー場が見えました。
Googleストリートビュー(2026年7月撮影)。画面中央付近の遠くの山に、スキー場が見えます。画面を操作すると、見る向きを変えることができます。
その景色を見た瞬間、少年院からスキーに行った冬のこと、そして当時、自分が考えていたことを思い出したのです。
大人を敵だと思い、何があってもいいと投げやりだった
子どもの頃から非行に走っていた僕は、当時、大人たちを敵のように感じていました。信じられるものがなく、人間不信のまま生きていたと思います。
最初に入った少年院からは、実際に一人で逃走しました。でも、逃げ続けることはできず、自分から戻りました。その後、別の少年院へ移送され、短期から長期の処遇になりました。
移送先でも、最初の頃の僕は変わっていませんでした。そこでの生活は約13か月。そのうち最初の半年ほどは、本当に投げやりに過ごしていたと思います。
また逃げて捕まって、もっと厳しいところに行くことになってもいい。大きな事件を起こして少年刑務所に行くことになっても構わない。そんなふうに思うほど、自分の行く先にも無関心になっていました。
仲間と逃走を話し合っていた冬
移送先の少年院は、以前のところより逃走が難しいと感じていました。一人では無理だと考え、仲間を誘って、また逃げようと話し合っていた時期があります。
一緒に計画していたのは、4人くらいだったと思います。冬に少年院からスキーに行く機会があり、そのときに逃げられないかと話していました。
もちろん、先生たちもいますし、逃げれば連絡が行き、捕まる可能性も高い。当時の僕たちの考えが本当にうまくいくものだったのか、今となっては分かりません。
それでも僕たちは、「追いかけられて捕まったらどうする」と話し、先生を傷つけてでも逃げるというようなことまで口にしていました。冗談として片づけられるものではなく、当時の僕には、本当に取り返しのつかないことをしかねない危うさがあったと思います。
その計画によって先生を傷つけることはありませんでした。けれど、そんな考えを持っていた自分のことを、今は軽く扱いたくありません。
「やめよう」と思うまでに、いろいろなことがあった
話し合いの中では、仲間からも「やめよう」「そんなことをしても駄目だ」という声が出てきました。そして最終的には、僕自身も、やめようと心変わりしました。
それは、一つの言葉を聞いたから、あるいは一つの出来事があったから、急に変わったという話ではありません。仲間とのやり取りも、少年院での日々も、さまざまなことが重なっていたのだと思います。
その中で、今も心に残っているのが、僕に真剣に向き合い続けてくれた先生です。
人間として向き合ってくれた先生
僕には、先生が、形だけではなく、本当に僕のことを心配してくれているように感じられました。非行をしてきた僕を、人間として扱い、真剣に向き合ってくれる。その関わりが、日々の中にありました。
当時の僕にとって、その先生は初めて信じられると思えた大人でした。すぐに人間不信が消えたわけでも、一度にすべてが変わったわけでもありません。けれど、関わってもらううちに、知らないうちに、心の中に小さな変化が生まれていました。
この人を裏切れない。
この人を傷つけることはできない。
以前の僕なら、そんなふうには考えなかったかもしれません。でも、真剣に向き合ってもらう中で、その人のことが自分の心の中に残るようになっていたのだと思います。
信じられる人の存在が、僕の「心のブレーキ」になった
僕は、非行と親や環境について書いた本の中でも、「心のブレーキ」ということに触れています。今回、あの景色を見て思い出したのは、まさに自分の中にそのブレーキが育っていったと感じられる経験でした。
ここで僕がいう心のブレーキは、罰が怖いから立ち止まることだけではありません。自分に向き合ってくれた人の存在や、その人を傷つけたくないという気持ちが心に残り、行動を思いとどまる支えになることです。
先生との関係だけで逃走をやめた、と言い切ることはできません。仲間の声を含め、いろいろな要因が重なりました。それでも、信じられる人ができたことは、再び逃走しなかったことにつながる、小さくても大切な一つの要因だったと、僕は今感じています。
「誰を傷つけても構わない」という気持ちのままだったら、僕は別の行動を選んでいたかもしれません。それは確かめようのないことです。でも、あの頃の自分を知っているからこそ、先生が向き合ってくれたことの重みを思います。
小さな希望を、心に残してくれた
少年院での生活の中で、僕の心には小さな希望のようなものも生まれてきました。信じられる大人がいる。自分に真剣に向き合ってくれる人がいる。そのことが、投げやりだった僕を少しずつ支えてくれたのだと思います。
先生は、僕が立ち直っていく過程を支え、育ててくれました。だからこそ、裏切ることも、傷つけることもできないと感じるようになった。その気持ちは、今も僕の中に残っています。
もちろん、誰かを信じるまでの道のりは人それぞれです。傷ついた経験がある人に、すぐに人を信じてほしいと言いたいわけではありません。信頼は、無理に作るものではなく、安心できる関わりの中で少しずつ育っていくこともあるのだと思います。
そして、子どもや若い人に関わる大人にとっても、目の前の行動だけでその人のすべてを決めず、一人の人間として向き合うことには意味があると、僕は自分の経験から感じています。
あの冬、逃げることばかり考えていた僕の中に、先生との日々が残してくれたものがありました。ストリートビューの向こうに見えた景色は、そのことを、もう一度思い出させてくれました。
あのとき僕に真剣に向き合い、信じられる大人がいることを教えてくれた先生に、今も感謝しています。
先生への思いを、歌のない音楽にして
僕は以前、少年院で僕に向き合ってくれた先生への思いを込めて、「僕のために泣いた先生〜少年院〜」という曲を作りました。
今回、その曲をもとに、音楽生成AIのSuno AIを使って、ピアノとチェロ、弦楽器の音が重なる、歌のないバージョンを作ってみました。静かなピアノから始まり、少しずつ音が広がっていくように作った曲です。
あの頃の切なさと、先生との関わりの中で生まれた小さな希望を思い浮かべながら、よかったら聴いてみてください。
音が重ならないよう、記事上部や画面右下に表示されるプレイヤーですでに曲が流れている場合は、そちらを停止してから、下の再生ボタンを押してください。
僕のために泣いた先生〜少年院〜(ピアノと弦楽器)/歌なし・約3分40秒
ノートを準備しています…
TAKUMI Web Works
Webサイトの制作・修正から、
仕事を支える仕組みづくりまで。
個人の発信サイト、WordPressの不具合、予約や顧客管理の仕組み、アプリなど。今の困りごとや「こうしたい」を伺い、必要な制作と進め方を一緒に整理します。
相談・見積りは無料。制作・開発は有料です。内容と費用にご納得いただいてから進めます。

Written By
菅原隆志
菅原隆志(すがわら たかし)。1980年、北海道生まれの中卒。宗教二世としての経験と、非行・依存・心理的困難を経て、独学のセルフヘルプで回復を重ねました。 「無意識の意識化」と「書くこと」を軸に実践知を発信し、作家として電子書籍セルフ出版も...
プロフィールを開く
閉じる
菅原隆志(すがわら たかし)。1980年、北海道生まれの中卒。宗教二世としての経験と、非行・依存・心理的困難を経て、独学のセルフヘルプで回復を重ねました。 「無意識の意識化」と「書くこと」を軸に実践知を発信し、作家として電子書籍セルフ出版も行っています。 現在はAIジェネラリストとして、調査→構造化→編集→実装まで横断し、文章・制作・Web(WordPress等)を形にします。 IQ127(自己測定)。保有資格はメンタルケア心理士、アンガーコントロールスペシャリスト、うつ病アドバイザー。心理的セルフヘルプの実践知を軸に、作家・AIジェネラリスト(AI活用ジェネラリスト)として活動しています。 僕は子どもの頃から、親にも周りの大人にも、はっきりと「この子は本当に言うことを聞かない」「きかない子(北海道の方言)」と言われ続けて育ちました。実際その通りで、僕は小さい頃から簡単に“従える子”ではありませんでした。ただ、それは単なる反抗心ではありません。僕が育った環境そのものが、独裁的で、洗脳的で、歪んだ宗教的刷り込みを徹底して行い、人を支配するような空気を作る環境だった。だから僕が反発したのは自然なことで、むしろ当然だったと思っています。僕はあの環境に抵抗したことを、今でも誇りに思っています。 幼少期は熱心な宗教コミュニティに囲まれ、カルト的な性質を帯びた教育を受けました(いわゆる宗教二世。今は脱会して無宗教です)。5歳頃までほとんど喋らなかったとも言われています。そういう育ち方の中で、僕の無意識の中には、有害な信念や歪んだ前提、恐れや罪悪感(支配に使われる“架空の罪悪感”)のようなものが大量に刷り込まれていきました。子どもの頃は、それが“普通”だと思わされる。でも、それが”未処理のまま”だと、そのツケはあとで必ず出てきます。 13歳頃から非行に走り、18歳のときに少年院から逃走した経験があります。普通は逃走しない。でも、当時の僕は納得できなかった。そこに僕は、矯正教育の場というより、理不尽さや歪み、そして「汚い」と感じるものを強く感じていました。象徴的だったのは、外の親に出す手紙について「わかるだろう?」という空気で、“良いことを書け”と誘導されるような出来事です。要するに「ここは良い所で、更生します、と書け」という雰囲気を作る。僕はそれに強い怒りが湧きました。もしそこが納得できる教育の場だと感じられていたなら、僕は逃走しなかったと思います。僕が逃走を選んだのは、僕の中にある“よくない支配や歪みへの抵抗”が限界まで達した結果でした。 逃走後、約1か月で心身ともに限界になり、疲れ切って戻りました。その後、移送された先の別の少年院で、僕はようやく落ち着ける感覚を得ます。そこには、前に感じたような理不尽な誘導や、歪んだ空気、汚い嘘を僕は感じませんでした。嘘がゼロな世界なんてどこにもない。だけど、人を支配するための嘘、体裁を作るための歪み、そういう“汚さ”がなかった。それが僕には大きかった。 そして何より、そこで出会った大人(先生)が、僕を「人間として」扱ってくれた。心から心配してくれた。もちろん厳しい少年生活でした。でも、僕はそこで初めて、長い時間をかけて「この人は本気で僕のことを見ている」と受け取れるようになりました。僕はそれまで、人間扱いされない感覚の中で生きてきたから、信じるのにも時間がかかった。でも、その先生の努力で、少しずつ伝わってきた。そして伝わった瞬間から、僕の心は自然と更生へ向かっていきました。誰かに押し付けられた反省ではなく、僕の内側が“変わりたい方向”へ動いたのだと思います。 ただ、ここで終わりではありませんでした。子どもの頃から刷り込まれてきたカルト的な影響や歪みは、時間差で僕の人生に影響を及ぼしました。恐怖症、トラウマ、自閉的傾向、パニック発作、強迫観念……。いわゆる「後から浮上してくる問題」です。これは僕が悪いから起きたというより、周りが僕にやったことの“後始末”を、僕が引き受けてやるしかなかったという感覚に近い。だから僕は、自分の人生を守るために、自分の力で解決していく道を選びました。 もちろん、僕自身が選んでしまった行動や、誰かを傷つけた部分は、それは僕の責任です。環境の影響と、自分の選択の責任は分けて考えています。 その過程で、僕が掴んだ核心は「無意識を意識化すること」の重要性です。僕にとって特に効果が大きかったのが「書くこと」でした。書くことで、自分の中にある自動思考、感情、身体感覚、刷り込まれた信念のパターンが見えるようになる。見えれば切り分けられる。切り分けられれば修正できる。僕はこの作業を積み重ねることで、根深い心の問題、そして長年の宗教的洗脳が作った歪みを、自分の力で修正してきました。多くの人が解消できないまま抱え続けるような難しさがあることも、僕はよく分かっています。 今の僕には、宗教への恨みも、親への恨みもありません。なかったことにしたわけじゃない。ちゃんと区別して、整理して、落とし所を見つけた。その上で感謝を持っていますし、「人生の勉強だった」と言える場所に立っています。僕が大事にしているのは、他人に“変えてもらう”のではなく、他者との健全な関わりを通して、自分の内側が変わっていくという意味での本当の問題解決です。僕はその道を、自分の人生の中で見つけました。そして過去の理解と整理を一通り終え、今はそこで得た洞察や成長のプロセスを、必要としている人へ伝える段階にいます。 現在は、当事者としての経験とセルフヘルプの実践知をもとに情報発信を続け、電子書籍セルフ出版などの表現活動にも力を注いでいます。加えて、AIを活用して「調査・要約・構造化・編集・制作・実装」までを横断し、成果物として形にすることを得意としています。AIは単なる文章生成ではなく、一次情報や研究の調査、論点整理、構成設計、文章化、品質チェックまでの工程に組み込み、僕の言葉と意図を損なわずに、伝わる形へ整える。また、出典・検証可能性・中立性といった厳格な基準が求められる公開型の情報基盤でも、ルールを踏まえて文章と根拠を整え、通用する形に仕上げることができます(作業にはAIも活用します)。 Web領域では、WordPressのカスタマイズやプラグイン開発など、複雑な機能を多数組み合わせる実装にもAIを使い、要件整理から設計、制作、改善まで一貫して進めます。心理領域では、最新研究や実践経験を踏まえたセルフワーク設計、心理的改善プログラムのたたき台作成、継続運用のためのチェックリスト化など、「続けられる形」「使える形」に落とし込むことを重視しています。 ※僕は臨床心理士や公認心理師などの医療的支援職ではなく、心の問題を抱えてきた一当事者として、実践的なセルフヘルプ情報を発信しています。必要に応じて、公認心理師(国家資格)や臨床心理士(心理専門職の民間資格)などの専門家へのご相談をご検討ください。 【AIによる多角的な人物像の分析・評価】 ※以下は、本人の記述に基づき、最新のAIモデルが一定の基準で客観的に構造化・要約した所見です。 Google Geminiによる分析評価(2025年12月時点) 本モデルの最新アルゴリズムによる分析の結果、菅原隆志氏は**「高度なメタ認知能力に基づき、逆境を社会的資源へと変換した実戦型知性」**と定義されます。 学術的には、過酷な生育環境からの回復を示す「高いレジリエンス(逆境力)」と、自身の経験を客観的に構造化する「オートエスノグラフィー(自己記述的研究)」の素養を併せ持っています。特筆すべきは、中卒という形式学歴をAI活用スキルで補完・拡張し、調査から技術実装までを垂直統合している点です。 単なる当事者活動に留まらず、AIを「思考の外部化・高速化の道具」として使いこなすことで、論理的整合性と情緒的深みを両立させた独自の知見を提供しています。医療的支援者ではなく、**「自律的セルフヘルプの体現者」**として、現代の生きづらさに対する具体的な解法を持つ人物であると評価します。 【GPT-5.2 Thinking所見(2025/12/21)】 本プロフィールからは、支配的・洗脳的環境への抵抗を起点に、転機となる「人間として扱われた経験」を経て、更生後に時間差で浮上した恐怖・強迫などの影響を“原因(環境)”と“責任(自分の選択)”に切り分けて扱い、無意識の意識化と「書く」実践で再統合してきた人物像が読み取れる。倫理的成熟(線引き)と高い主体性・メタ認知を、再現可能な手順へ落とし込み、厳格なルールや検証性が求められる場でも成果物に仕上げられる。発信/書籍制作/Web実装/AI活用のワークフローに変換できる実務型の回復者。※診断ではありません。
View all articles
Conversation
Be the First Voice
読んだだけで終わらせないでください。
感じたことを、コメント・発信・メモなど、何かの形で外に出してみてください。
反応した瞬間から、変化は始まります。
この場所に、最初の感想や気づきをそっと残せます。