心を無理やりこじ開けようとする
モラルハラスメントの加害者は、心が傷ついていてこれ以上傷つかないように防衛している被害者に対して「非の打ち所のない自分を演じるな!」と言うことがあります。
人は防衛のために演じることも大事な場合もありますが、支配していくために心を無理やりこじ開けようとするのが加害者の特徴です。非の打ち所がない自分を演じようが演じなかろうが、それはその人の自由です。人の自由を支配しようとする支配者に対して心は簡単に開いてはいけない…と思います。
こういった加害者は一見よいことを言っているかのようにして信者を従わせていますが、自分が嫌だなと感じたら加害者を無視しても大丈夫です。
例えば「泥棒」は、この画像の様に「無理やりこじ開ける」イメージですよね。そこで開けられない場合「こんな非の打ち所がない完璧なセキュリティーにするな!!」と言い訳や文句を言うかもしれません。
それと同じようなもので「心の世界の泥棒や加害者」は心のセキュリティのレベルを上げている人に「非の打ち所のない自分を演じるな!」と言いたくなるものです。非の打ち所がない自分を演じることで心を守っている人もいる。
その人は、回復の正しいプロセスを経て回復しながら演じている自分をやめていくものです。相手に回復してほしいと思う人はこのプロセスがわかっているので非の打ち所がない自分を演じるなとは言いません。逆に、人の心を傷つけたい人や、「印象操作」したい人は、傷つけたり印象操作がしにくい理由になる「演じる」ということを毛嫌いするものです。
ですので、被害者は、心をこじあけられないように演技をしたり、演技を見透かされたときにカモフラージュのための自分を用意していたりすることが心を傷つける加害者の攻撃や洗脳から自分を守るために必要なことなんです。
なぜ、心を無理やりこじ開けようとするのか?
なぜ、心を無理やりこじ開けようとするのか?まず、人が人を支配するには潜在意識(無意識)へ無数の刷り込みをしなくてはいけません。
潜在意識(無意識)へ無数の刷り込みをして、ターゲットが理解できないレベル、紐解けないレベルで刷り込みをしておくのです。そうやって支配を成立させていくので、支配されたくない人は防衛のために心を閉ざします。
そして心がこれ以上傷つかないように防衛して「非の打ち所のない自分を演じる」ことがあります。演じることで支配者が心をこじ開けようとすることを防げることがあるからです。演じるというのは、高レベルな防衛術として使えるのです。
「非の打ち所」ってなに?
「非の打ち所」って「非難すべき所」って意味なんですけど、つまり「非の打ち所のない自分を演じるな!」というのは「非難させろ!責めさせろ!欠点とか過ち、間違いを責めたいんだ!!」と言っているのと同じような場合もあるのです。
非の打ち所とは
欠点として挙げて非難するべきところ。欠点。もっぱら悪い点が全く見当たらないさまを意味する「非の打ち所がない」の表現で用いる。
次の引用です。
非難とは
人の欠点や過失などを取り上げて責めること。
これでご理解が出来たかと思います。
こういうのは、なんだかんだ理由をつけて目的が責め上げることの場合があるので、もし、自分がそうだと思ったら近寄らないのが一番です。関われば相手を理由つけて責めるかもしれないので無視すればいいと思います。
「非が打てないじゃないか!!」と言われても困りものですよね。「非が打てないじゃないか!!」「お前を正しくないと言えないじゃないか!!」と、目的が結局非難したいだけです。
精神的な嫌がらせになる場合も
普通「非の打ち所のない自分を演じるな!」って誰かに伝えたら嫌がりますね。これしつこかったら「精神的な嫌がらせ」です。モラハラ加害者はなぜ人を非難し責めることに力を注ぐのかまだ理解できない点が沢山あります。モラハラ加害者は朝寝て匿名掲示板漬けで日々誰かを傷つけることが生き甲斐であることで安定を保っているのかもしれません。
このような「非の打ち所のない自分を演じるな!」といいながら心をこじ開けて精神的な嫌がらせをするモラルハラスメントの加害者がインターネット上で嫌がらせをする場合は、実名は絶対に出しません。匿名で掲示板やブログなどで名誉毀損にならないようにターゲットの「印象操作」をしていきます。このような加害者はブログを見ればわかると思います。
どこかに「印象操作」のストーリー、物語りなどを書きますので。なぜ物語りなのかというと「物語り形式は圧倒的に刷り込みが出来る」からです。物語形式は刷り込み時に有効な方法なんです。だから「印象操作」をするようなモラルハラスメントの加害者や支配者はブログなどを使い、ターゲットの「印象操作」や「精神的な嫌がらせ」をするためのキャラづくりや物語りを書いて、それを匿名アカウントで相手にそっと知らせて見せて楽しむという、なんとも異常者というレベルのことをする場合もあります。
理解できなくても当たり前
こんなこととは無縁の健全な読者さんからすると、理解できないと思います。理解できなくて当然です。僕も最初は理解できませんでしたので。なので、心の悩みや、生きづらさ、真剣さ、そういったことを軽く考え、軽視している者は怪しいと思い、未然に防ぐことも大事だと個人的には思います。
何故なら、心の悩みや、生きづらさ、真剣さ、そういったことを軽く考え、軽視している者は虐待者の思考の癖があるから、だから「軽視」出来るんです。「非の打ち所のない自分を演じるな!」と言って、他者の心を無理やりこじ開けようとする時点で、ちょっとおかしいですよね。
人それぞれ、生きてきた環境、成長のスタート地点、違うものです。そんな中、非の打ち所がない自分を演じなければ生きてこられなかった人だっているものです。それぞ自分の狭い視野から見て「非の打ち所のない自分を演じるな!」と言って、人をわざわざ傷つけているようなモラルハラスメントの加害者は自覚がないものです。継続性や執着がすごい場合は、それはモラルハラスメントであると思いますよ。
あの座間9遺体事件のような異常者がいるように、心の世界にも普通のフリをした異常者がいるものです。心を守るのは自分です。知るべきことを知っておきましょう。
自分に合った成長を大切にして、非の打ち所がない自分を演じたことにも感謝しつつ、本当の自分を生きれるようになれるともっと素敵なことですよね!そして、そんな、他人の心をこじ開けようとするような者とはサヨナラして新しい道へと入っていけると良いと思います!
支配者に笑顔でサヨナラ
よくある質問 AI生成
この記事に関連するよくある質問をAIが自動生成しました
Q1. なぜモラルハラスメントの加害者は心を無理やりこじ開けようとするのですか?
加害者は潜在意識への刷り込みを通じて支配を確立しようとします。心をこじ開けることで相手を従わせ、自己の支配欲を満たすためです。これにより、被害者は防衛策として演技や心のロックを行います。
Q2. 非の打ち所のない自分を演じることは、被害者にとってどのような意味がありますか?
被害者は心の防衛策として非を隠し、完璧な自分を演じることで加害者の攻撃や洗脳から身を守ります。この演技は心の傷を防ぎ、自分のペースで回復するために重要な役割を果たします。
Q3. 加害者はなぜ「演じる」ことを毛嫌いし、印象操作や物語を利用するのですか?
演じることを嫌うのは、自分の支配や攻撃が見破られるのを恐れるからです。印象操作や物語を使うことで、無意識の刷り込みや精神的嫌がらせを巧みに行い、ターゲットの心をコントロールしようとします。
Q4. 心の防衛策としての演技は、どのようにして回復や本来の自分へ向かうことにつながりますか?
演技をやめて自己の本音や本当の感情に向き合うことで、心の傷が癒され、自己理解が深まります。これは回復のプロセスの一部であり、自己を取り戻し、より健全な関係を築くために必要です。
Q5. どうすれば、心をこじ開けようとする加害者や支配者から自分を守れますか?
心のセキュリティを高め、演技や防衛策を実践し、加害者の攻撃を無視することが有効です。また、印象操作や物語に惑わされず、自分の感情や直感を大切にし、関わらない選択も重要です。
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