子猫は成猫に比べて体力や免疫力が十分ではなく、体調を崩しやすい存在です。だからこそ、日々の生活の中で健康を守るための予防意識を持つことは、飼い主にとって非常に大切な責任だと僕は考えています。
たとえば冬場は、空気が乾燥しやすい季節です。乾燥は、猫の目や呼吸器に負担をかける一因にもなり得ます。もちろん、病気の原因は一つに断定できるものではありません。しかし、ウイルス性の目の不調や結膜炎のような問題が起こりやすくなる可能性を少しでも減らすために、できる予防を積み重ねることは重要です。僕はそのために、加湿器を使い、清潔な水を入れ、毎日欠かさず管理することを続けています。
けれども、猫は一つの部屋だけで生活するわけではありません。家の中を自由に移動し、その時々で居場所や寝る場所も変えます。だからこそ、本来は家全体で一定の配慮が必要になります。どこか一部の部屋だけが整っていても、他の場所で環境管理がされていなければ、十分な予防にはなりません。
僕がこの必要性を何度伝えても、同居人は口では「わかった」「やる」と言いながら、実際には行動しないことが続いています。その結果、こちらの予防意識や問題意識が軽く扱われているように感じ、不快さや無力感を覚えます。そして実際に猫の目に問題が起きると、「防げた可能性があったのではないか」と強く考えてしまいます。断定はできなくても、少なくとも、気をつけるべきことを軽視してよい理由にはなりません。
さらに不快のは、こちらが真剣に伝えている最中に、相手が人を小ばかにするような笑い方をすることです。大切な命を守るための話をしているのに、その態度を取られると、こちらの思いだけでなく、猫の存在そのものまで軽く扱われているように感じます。その時僕は、「このやろう、寝ぼけてんのか」と思い、怒りが湧くのも当然だと思います。なぜならこれは、単なる生活上の好みの違いではなく、命を預かる者としての責任の問題だからです。
猫は自分で生活環境を選び、整えられるわけではありません。飼い主が気づき、守り、先回りして予防していくしかありません。だからこそ、同じ家で暮らす人間には、少なくとも「自分に直接困りごとが起きていないからやらなくていい」という発想ではなく、「弱い存在を守るために何が必要か」を考える姿勢が求められるはずです。
僕は、人間はそうあってはいけないと思っています。守るべきものを正しく認識し、そのために必要な配慮を怠らず、問題意識と予防意識を持って生活すること。それは大人としての基本的な姿勢であり、命を預かる立場にあるならなおさら必要なことです。
小さな命は、自分で声を上げて環境改善を求めることができません。だからこそ、人間が責任を持たなければなりません。
「大丈夫だろう」ではなく、「少しでも守るためにできることをする」。
その積み重ねこそが、飼い主としての本当の責任であり、命と向き合う誠実さなのだと思います。
追記
人の反応や態度は、その人自身の責任です。
物事をどう受け止め、どう反応し、どう行動するかには、その人の姿勢や人格が表れます。だからこそ、問題を前にしたときに、事実をきちんと見ようとせず、軽視したり、ゆがめたり、責任を他人に押しつけたりする態度は、それ自体が大きな問題だと思います。
本来、向き合うべきなのは他人ではなく、まず自分自身です。
他人を勝手に決めつけたり、妄想で悪く見たり、責任転嫁をしたりしても、そこからは何も改善は生まれません。むしろ、嘘をついたり、事実をねじ曲げたり、無責任な振る舞いを重ねたり、逆恨みのような形で他人を傷つけたりするほど、その人自身の問題は深まっていきます。
だから僕は、そういう態度をとる人ほど、自分自身と向き合ってほしいと思います。
自分の未熟さや問題点から目をそらさず、何がいけないのかを見つめ、自己改善に向かってほしいのです。それは簡単なことではないかもしれません。しかし、本当に大切なのは、他人をあれこれ言うことではなく、自分を正していく勇気を持つことだと思います。僕自身はそうしています。
人として成長するために必要なのは、言い逃れでも、ごまかしでも、責任転嫁でもありません。
自分の反応、自分の態度、自分の行動に責任を持つことです。
そして、自分の問題から逃げずに向き合う勇気こそが、大人としての誠実さにつながるのだと、僕は思います。
追記2
僕は物事を結構正しく見れるので、おそらく間違いないだろうと思っていましたが、この記事を書いた後、猫を動物病院へ連れて行き、診察を受けたところ、実際にウイルス性結膜炎と診断されました。
つまり、僕がそれまで見ていた目の異変や、早めに気づいて問題として受け止めていたことは、単なる気にしすぎではなかったということです。明らかに問題が起きているのに、相手は全く問題がないというような態度をしていたのですが、、、。
もちろん、病気の原因を一つだけに断定することはできません。しかし少なくとも、目に見える症状が出ていたにもかかわらず、それを軽く見たり、あいまいに受け取ったりする態度が正しかったとは言えないと思います。実際に診断結果が出た以上、異変をきちんと異変として受け止め、早めに注意し、必要な対応につなげることの大切さは、あらためて明らかになったと感じています。
小さな命を守るうえで必要なのは、「大丈夫だろう」と軽く流すことではなく、少しの異常でもきちんと見て、共有し、行動につなげる姿勢です。今回のことは、その大切さをはっきり示す出来事だったと思います。そしてしっかりと予防意識と問題意識を持って守るものを守り、防ぐべきものを防ぐことは当たり前だと思います。
何度も問題を起こしながら、口では「変わる」と言って変わらない人がいます。
その大きな理由の一つは、自分のコンフォートゾーン、つまり慣れたぬるま湯のような状態から抜け出す努力をしていないからだと思います。人は放っておくと、これまでと同じ考え方、同じ反応、同じ行動に戻ろうとします。だから、本当に変わるには、その自動的な現状維持の力を自分で打ち破らなければなりません。
そこには本気が必要です。
苦しさを避けず、自分の問題を直視し、言い訳や責任転嫁をやめ、これまでの自分を超えるための努力を続けることが必要です。そして、新しい在り方に少しずつ慣れていくことによって、ようやく人は変わっていけます。
僕自身は、その努力を通して変わってきました。だからこそ、問題が起きているのに何も変わらないというのは、結局はその人が今の自分を維持し続けているということなのだと思います。変わる必要があるのなら、本気にならなければなりません。変化とは、口先ではなく、努力によって初めて現実になるものだと思います。

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