この世の汚さを知れば知るほど嫌になり、そして絶望する……。
僕も同じようなことを思っていたことがあります。心のどこかでこの汚い世界が変わってほしいと願っていました。或いはこの世界が滅びたらいいなと思っていたこともあります。人知れず泣いて、こんな汚い世の中では生きていけない、もう死にたい、もう無理だ、そう思い、何度泣いたことか……。動物たちをみれば、真っ直ぐに、命を全うしています。一部の人間は動物にも劣る、そう思っていたこともあります。
大人の世界は兎に角、汚い!!
例えばSNSでは、平気で悪いことをしている心理的詐欺集団が、悪いことをしていない健全な人を悪人に仕立て上げることがあります。「悪人は、善人を悪人に仕立て上げることから始める」というやつです。彼らは自身の邪悪さや悪事を隠す為に常にスケープゴート(悪役)を創ります。だから、万年誰かを悪役にして叩いているのです。デマ、でっち上げ、汚さの連続です。そうしないと生きられない人たちもいるのです。それも彼らの商売の手口の一部です。
紳士淑女を装った悪い心理士が、人気ある心理士の元に、「陥れる為の患者(駒)」を送り込んで、ハニートラップを仕掛けていることもあります(〇〇〇〇〇派などの連中がやっている場合がある)。汚いことを平気で行い、自分たちの承認欲求を満たしたり、嫉妬から仕掛けたり、縄張りの確保をする連中もいます。
そんな裏があるとも露知らず、騙されている迷える子羊たちも沢山います。患者を「モノ」としてしか見ていない者だって沢山います。本当のことを少しでも言うと、攻撃を仕掛けてくることもあります。そういった嘘つき、偽物野郎は、ストーカー並みにしつこいです。悪い嘘の噂を流したり、印象操作したり、ターゲットの資格が剥奪されるよう仕向けたり、クライアントが知ったら驚愕することを裏でやっている極悪人のような者たちもいます。
人を殺して逮捕されていない人間もいます。無実の罪で冤罪にかけられた者もいます。
一部の自助グループは、こうした悪人から利用されているかもしれませんね、、、。
世の中は汚いものであり、大人になればなるほど汚い世界なのです。この世の汚さを知って絶望した人は、他の人たちよりも、現実や真実を知ったのです。それも貴重な経験です。
汚さを知るから、美しさを知れる
そして最も大切なことが、、、この世の汚さを知るからこそ、その反対にある美しさを知れるということ。何かに対して美しいと感じることが出来るのも、汚いことを好んでいる人たちがいるからなのです。つまり、どんな人でも、どんなことでも、何かの役割があるのです。アンパンマンに登場する悪役であるバイキンマンのように、バイ菌も必要です。腸内環境においても悪玉菌も必要な菌です。悪玉菌がなくなれば善玉菌が働かなくなり、健康維持が出来なくなります。人間の世界もこれと同じようなもので、悪い奴、汚い奴がいて良いのです。詐欺師もいていいのです。彼らにも役割があり、必要だから存在しているのです。悪い奴や汚い奴がいるからこそ社会は正常化へと向かえているのです。
そんな世界で、自分はどのように生きていくのか。何を大切にして生きるのか。心にどんなものを持ち続けて生きるのか。それをはっきりさせることが大切です。自分はアンパンマンのような生き方が良いのか、それともバイキンマンが良いのか。自由に選んで良いのです。そして世の中には、汚さも、腐敗も、凄まじいほどあります。人間として腐っているのではないかと思うような人間だってゴロゴロいます。人を苦しめて楽しむサイコパスのような者もいます。それに気づこうと思えば、もっと気づくことが出来ます。悍ましいものも沢山あります。だからこそ、その反対もあるのです。その中で自分はどのように生きていきたいのかを明確にすることが大切です。
この世の汚さを知って絶望した人は・・・この世の美しさを知り、希望を持ってみたらいかがでしょうか。汚さを知れた分だけ、美しさを知る権利が手に入ったのです。ハーバード大学の研究で判明したこと、それは、希望という感情は絶望の後にしか現れないということ。この世の汚さを知って絶望した、それは人生の前半です。自分にとって綺麗なものを見つける力を前半で養ったのです。それを知ったからこそ、どうするか、どう生きるかが見えてくるのです。
逃げる勇気を持って、堂々と嫌なものから離れて、「自分が本当に望むもの」に近づいてみて下さい。汚さを認めること、その上で、自分が嫌なら離れれば良いのです。嫌なものから自分を離す、それが大人として大切なことです。もっと自由に生きて良いのです。汚いことが好きなら自己責任で汚いことをすればいいのです。人生は結局、自己責任ですから。
心綺麗に生きていきたいと思う人は、汚さの中で自分を磨いて成長するために生きていると思えば、世の中が汚いことも受け入れることが出来るかもしません。僕はこう思うことで汚さを受け入れることが少し出来るようになりました。
そしてあなたの心が成長して、もっと心が綺麗になればなるほど、更にこの世の汚さに気づくことになるでしょう。嫌気が差すでしょう。そういうものなのです。心が綺麗で人格者だと言われていた故・安倍元総理は悪者扱いされて、時にはでっち上げられて、そして殺されてしまいました。口が悪いこともあり勘違いをされやすいトランプ前大統領は、実はとても心優しい人物だと言われています。まともに生きようとすると悪人が邪魔をします。不良の世界でも同じで更生した者は馬鹿にされることがよくあります。どんな世界でも対になる存在がいて、それに悩まされるものです。それが怖くて逃げ出した者は「日和見(有利なほうにつく)」となります。日和見は一番楽ですが、その代償は「本当の自分を見失う」ことです。善で生きるか、それとも悪で生きるか、或いは日和見となり、ひよって態度をはっきりさせず、都合のよいほうにつく生き方をするか、選ぶのは自分です。どんな生き方でも良いのです。
自分の心が汚いうちはこの世の汚さに絶望はしません。自分の心が綺麗になればなるほど、汚さが嫌になってくるのです。自分の部屋と同じです。部屋を綺麗にすればするほど、汚れが気になりますよね。それと同じです。汚さは、あなたを成長させるものです。それが理解出来たらこの世の汚さ、大人の世界の汚さも、受け入れやすくなると思います。成長の為に必要なことだったんだ!と。
下記の文章は、「障害は個性開花の扉」に書いたことです。
蓮(はす)の花は、泥水の中で咲くそうです。泥水の中で咲いても泥に染まらず、泥を栄養として育ち、綺麗に咲くそうです。人はどんなに苦しい環境からでも美しく咲くことが出来るのです。困難や苦しみが大きいほど人の心も美しくなるのです。
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