Sound Notes 宝箱で死んだ子猫 (Ver.2 / Cinematic Piano Ver.)
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いま、NPD、つまり自己愛性パーソナリティ障害をめぐる悪魔化の問題について、少しずつ世界の空気が変わり始めています。
NPDの人たちを「悪」「危険人物」「加害者」「モンスター」のように語る情報は、これまでネット上に大量にありました。
Xにも、YouTubeにも、ブログにも、自己啓発や自助産業の中にも、NPDを悪者として語る情報があふれていました。
そこに多くの人たちが染まっていった。専門家でさえ黙っていた。
そして、その背景には、僕が以前から言ってきた 「専門家による正しい情報不在の空白」 があったと思っています。
本来なら、専門家がもっと早く、もっと正確に、もっとわかりやすく、NPDについての情報を社会へ届けるべきでした。
NPDとは何なのか。
NPDの人は本当に全員が加害者なのか。
「ナルシスト」という日常語と、自己愛性パーソナリティ障害という診断名は同じなのか。
被害を語ることと、精神障害を悪魔化することは同じなのか。
そういった区別が十分に広がらないまま、空白ができた。
その空白に入り込んだのが、悪魔化、恐怖扇動、誤情報だったのだと思います。
実際、ナルシシズムという言葉の誤用やスティグマ化については、英国の The British Journal of Psychiatry に掲載された論文でも問題視されています。
Mark Freestone(マーク・フリーストーン/英国・Queen Mary University of Londonの精神医学系研究者、The Alan Turing Institute所属)、Magda Osman(マグダ・オスマン/英国・Queen Mary University of LondonおよびThe Alan Turing Institute所属の心理学・意思決定研究者)、Yasmin Ibrahim(ヤスミン・イブラヒム/英国・Queen Mary University of Londonのメディア・経営系研究者)らは、ナルシシズムという言葉が一般社会の中で誤用され、正確な意味を失い、他者を説明し退けるための「単純なスティグマ」として使われやすくなっていることを論じています。
また、David Kealy(デイヴィッド・キーリー/カナダ・ブリティッシュコロンビア大学・精神医学部門の研究者)らによる2026年の研究でも、ナルシシズムは大衆メディアで有害な側面や行動が強調されやすく、それが否定的な見方を生み、ナルシシズムやナルシシズム的困難を抱える人へのスティグマをさらに強める可能性があると指摘されています。
つまり、これはもう単なる個人の感覚ではありません。
NPDをめぐる悪魔化やスティグマは、国際的にも可視化され始めている問題です。
僕自身も、かなり攻撃を受けてきた
僕は、こういった悪魔化や悪者扱いに対して、かなり前から違和感を持っていました。
そして、その違和感を言葉にしてきました。
でも、それは簡単なことではありませんでした。
実際に、僕自身も過去にかなり攻撃を受けてきました。
僕自身にそういった特徴や傾向があるわけでもないのに、見知らぬ人から、自己愛性パーソナリティ障害だと決めつけられたこともあります。
こちらの話を聞くわけでもない。
事実確認をするわけでもない。
対話するわけでもない。
ただ、どこかで植え付けられたような言葉を持ってきて、一方的にぶつけてくる。
もっとひどい攻撃もたくさんありました。
そういう攻撃を見て、僕は思いました。
これは、その人自身が自分の目で見て、自分の頭で考えているのではないのではないか。
誰かの言葉に染まり、誰かの作った悪者像を信じ込み、そのまま攻撃の駒のように動いているのではないか。
もちろん、すべてを断定することはできません。
でも、ネット上には確かにあります。
誰かを悪く見せる情報。
根拠のない決めつけ。
診断名を使った悪者扱い。
悪魔化された心理用語。
事実確認をせずに一人を攻撃する群れ。
僕はそういうものを何度も見てきました。
だからこそ、僕は強く思うのです。
間違っているものは、間違っている。
おかしいものは、おかしい。
多くの人間が一人を悪者扱いしていたとしても、僕はその流れには染まらない。
たとえ周りが全員「こいつが悪い」と言っていても、僕はそこで止まって考える。
本当にそうなのか。
事実はどこにあるのか。
弱い立場の人を、さらに悪者扱いしていないか。
誰かの苦しみを、見ないことにしていないか。
僕は、そういう本質を見る側でいたい。
そして、それは僕が小さい頃から持っていた信念でもあります。
「宝箱で死んだ子猫」に通じるもの
僕は以前、自分で歌詞を書き、Suno AIで曲にした 「宝箱で死んだ子猫」 という曲を作りました。
この曲は、僕が十三歳の頃に出会った、車に轢かれた子猫の記憶から生まれたものです。
僕がnoteに書いた背景説明では、当時の僕は大人たちからの支配に抵抗し、家出を繰り返しながら、自分の心を守ることで精一杯だったと書いています。その中で、空き家の前で車に轢かれた子猫に出会い、どうしていいかわからず、宝箱の中に入れて回復を願った。しかし子猫はそのまま死んでしまった、という記憶です。
この歌詞は、TuneCore Japanにも掲載されていて、作詞者・作曲者・プロデューサーはTK369、ボーカルはSuno AIと記載されています。
この曲の中で、僕が特に大事にしている言葉があります。
「心ないのは 俺たちじゃない」
出典:TK369「宝箱で死んだ子猫」
この一文は、今のNPD悪魔化問題とも通じています。
なぜなら、子猫の痛みや苦しみを見ない大人たちが、子どもたちを「心ない」と決めつける。
本当は、傷ついていたのは子どもたちだった。
本当は、見捨てられていたのは弱い命だった。
本当は、守りたい心を持っていたのに、それを見ようとしなかったのは大人たちだった。
それなのに、弱い側が悪く見られる。
傷ついた側が悪く見られる。
守ろうとした側が、心ないものとして扱われる。
この構造が、僕の中ではずっと許せなかった。
僕は、弱いものを悪者扱いする流れには染まらない
僕は昔から、弱った存在を悪者扱いする空気が嫌いでした。
子ども。
傷ついた人。
見捨てられた人。
誤解された人。
声を上げられない人。
診断名で悪者扱いされた人。
群れの中で一人だけ悪く見せられた人。
そういう人たちを、さらに踏みつけるような空気が嫌いでした。
だから、NPD悪魔化にも強い違和感を持っています。
自己愛性パーソナリティ障害の人たちは、もちろん万能でも無害でもありません。
NPDの人が誰かを傷つけることもあります。それはNPDではなくても同じこと。
加害行為があるなら、それは行動として見なければいけません。
でも、だからといって、NPDという診断名そのものを悪の証拠にしていいわけではありません。
NPDの人すべてを「悪」「危険人物」「加害者」「モンスター」として扱っていいわけではありません。
それは被害者保護ではありません。
それは、弱いもの、苦しんでいるもの、支援を必要としているものを、さらに追い詰める悪魔化です。
NAMI(National Alliance on Mental Illness/米国の精神疾患支援団体)も、ナルシシズム的パーソナリティを持つ人々は私たちの家族・友人・パートナーの中にもいて、質の高いケアや安全な治療・自助支援へのアクセスに値すると述べています。
NPDは、悪の名前ではありません。
それは、苦しみや困難を説明し、支援につなげるための臨床概念です。
多くの人が悪者扱いしていても、本質を見る
ネット上では、強い言葉で誰かを悪者にする情報ほど広がりやすいです。
「危険なナルシスト」
「逃げるべきNPD」
「関わってはいけない人」
「絶対に変わらない加害者」
こういう言葉は、人の恐怖や怒りを刺激します。
でも、刺激が強いからといって、それが正しいとは限りません。
多くの人が言っているからといって、それが真実とは限りません。
むしろ、多くの人が同じ方向に流れているときほど、僕は立ち止まりたい。
その人たちは、本当に見ているのか。
本当に事実を確認しているのか。
本当に苦しんでいる人の心を見ているのか。
ただ、誰かが作った悪者像に乗っているだけではないのか。
僕は、そう考えます。
これは、僕が子どもの頃から持っているものです。
誰か一人を悪者にして、周りが安心する。
弱い存在を見捨てて、あとからその存在を悪く言う。
傷ついた人間の反応だけを切り取って、「ほら、やっぱり悪い」と言う。
そういう世界に、僕は染まりたくない。
死んでも染まりたくない。
僕は、本質を見る側でいたい。
悪魔化は、勇気が挫けた人間がやること
僕は以前の記事でも、「悪者扱い、悪魔化、それは勇気が挫けた人間がやることだ」と書きました。
なぜなら、悪魔化は簡単だからです。
相手を悪にすれば、自分は考えなくて済む。
相手をモンスターにすれば、自分の責任を見なくて済む。
相手を診断名で切り捨てれば、事実確認をしなくて済む。
相手の苦しみを見なくて済む。
でも、それは本当に強い態度ではありません。
本当に強い態度とは、複雑なものを複雑なまま見ることです。
被害者を守る。
加害行為を見逃さない。
でも、精神障害を悪魔化しない。
この三つを同時に持つことです。
これは簡単ではありません。
でも、ここから逃げてはいけない。
「理解」は、癒しにつながる
僕は、診断名や心理用語を、人を切り捨てる武器ではなく、人を理解するためのレンズとして使う社会になってほしいと思っています。
NPDという言葉も同じです。
ナルシストという言葉も同じです。
本来それは、誰かを断罪するための言葉ではないはずです。
「こういう傾向がある」
「こういう苦しみがある」
「こういう対人パターンがある」
「こういう支援が必要かもしれない」
そうやって、人を理解するための言葉であるはずです。
でも、人間の側がそこに勝手な価値判断を乗せる。
「共感が弱い=冷血」
「自己愛が強い=悪」
「傷つけた人=NPD」
「NPD=加害者」
こうして、説明の言葉が裁きの言葉になる。
僕は、そこを正したい。
理解は、癒しにつながります。
正確な理解は、被害者も守る。
正確な理解は、当事者も守る。
正確な理解は、誤って悪者にされた人も守る。
正確な理解は、社会を少しずつまともな方向へ戻していく。
だから僕は、この発信を続けています。
最後に:僕は、あの子猫のことを忘れない
「宝箱で死んだ子猫」は、単なる曲ではありません。
僕にとっては、自分の中にずっとあった信念の記録です。
誰にも知られず、ひとりぼっちで死んでいった小さな命。
助けきれなかったけれど、守りたいと願った心。
その心を見ないまま、子どもたちを悪く決めつける大人たち。
あの記憶は、僕の中でずっと残っています。
だから僕は、今も同じことを言います。
弱いものを悪者扱いする流れには染まらない。
苦しんでいる人を、診断名で切り捨てる流れには染まらない。
多くの人が一人を悪く言っていても、僕は立ち止まる。
本当にそうなのか。
本当にその人だけが悪いのか。
本当に見落としている痛みはないのか。
本当にそこに、弱いものを踏みつける構造はないのか。
僕は、それを見続けたい。
NPD悪魔化の問題は、単なる心理学の話ではありません。
それは、弱いものを悪者にして安心する社会に、自分が染まるのか。
それとも、たとえ一人でも本質を見る側に立つのか。
その問いでもあると思っています。
僕は、染まりません。
間違っているものは、間違っている。
おかしいものは、おかしい。
そして、心ないのは、弱ったものをさらに悪者扱いする側です。
僕は、これからもそう言い続けます。
参考・関連リンク
- TK369「宝箱で死んだ子猫 (Ver.2)」歌詞・配信情報
- note「歌詞を書いてみた『宝箱で死んだ子猫』」
- Mark Freestone, Magda Osman, Yasmin Ibrahim, “On the uses and abuses of narcissism as a public health issue,” The British Journal of Psychiatry
- David Kealy et al., “Lots of Narcissism Out There, Treatment Needed: Perspectives on Narcissism Among the General Public,” Personality and Mental Health
- NAMI, “Unpacking Narcissism and Stigma”



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