世の中の闇を追求することで、自らの心が闇に蝕まれていきます。これはどういうことかと言いますと、私自身がそうでしたが虐待の連鎖、悪魔崇拝、動物虐待など、そういったモノはどこから来ているのか興味をもって調べたりしていました。
そして、調べていくとカルト、悪魔崇拝、悪い支配者など、色々なものが見えてきました。そして、世の中の闇のせいで、苦しむ人たちがいる。だから、そういった悪を明るみに出したり消さなければ人は幸せになれないと勘違いしていたのです。
勘違いしたことを「正義」だと思い込んで、追及していくことで自らの心が闇に蝕まれていくのです。そして気づいたのです。「受け入れる事で楽になれる」と。そして自分こそが「悪」を消さなくてはいけないと思い込んでいる「悪い支配者」であると。
「正義」という「仮面」をかぶった「支配者」だったのです。本当の正義とは「自分に正しく義を尽くす」ことで、結果として自分の人生を生きるので、自分が幸せになり、その影響で周りにもプラスなことを与えることが出来るようになることだと思います。
自分にとって「悪」でも、それは自分にとって…です。私たちは地球で共存しているのだから、自分にとって悪だからと言って潰す権利も支配する権利もないのです。全てに価値があり役割があるのです。悪い支配者も悪魔崇拝もそれぞれの価値と役割があるのです。
虫で例えてみましょう。私は昔、「ムカデ」と「蜘蛛」が死ぬほど大嫌いでした。地球上から「ムカデ」と「蜘蛛」が全滅すればいいと思っていました。しかし、それこそが支配者ですよね。自分が嫌いだからと言って生態系を壊すような考えはだめです。
自分が「ムカデ」と「蜘蛛」が嫌いなら、ムカデが出現しないところに引っ越したらいい。「蜘蛛」が家の中に出て嫌なら、家をきれいに掃除して「蜘蛛」が出ない環境を自分で作ったらいい。そこが大事なことです。
自分を変えずして、他者を変える支配者が、世の中の悪や闇を追及したり、潰したくなるのです。一番大事なことは自分の中から支配を消して、責任を持てるような自分になっていくことです。
そこを頑張っていれば、世の中に悪魔崇拝がいても、悪魔のような者がいたとしても、「自分が離れることで解決できる」ので、自由に近づいていけます。善も悪もなく、受け入れることが出来てくると、楽になってきます。
世の中に体に害になるような添加物だらけのものを流している者がいるのなら、自分がそれを買わずに、良いものを取り入れ、不要なものから離れるという、取捨選択できるように変わっていけばプラスです。
全ては必要で価値と役割がある。そして個人がそれをどうこう変えようとする権利もないこと。本当に不要なものは自然淘汰される仕組みになっていること。大事なことは自分を大切にして人生を楽しんでいけるようになることです。
「責任」=「正しく反応する能力」=「自由」
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