僕は子供の頃から人と違っていて、5歳までほとんど喋らなかったことなどから、大人たちからは「この子は自閉症じゃないか」みたいなことをよく言われていました。実際に自閉症だったかどうかは、僕にはわかりません。
ただ、自閉症として言われているような症状、「人との関わりやコミュニケーションが苦手・苦痛」とか、「こだわりが強い」という部分は、ものすごく強いところもあります。
冗談抜きで、そのこだわりが、僕や僕の大切なものを著しく害するものであり、かつそれを指摘してもやめない場合、相手にかなりの危害を加えてしまう可能性があるくらい、こだわりが強いと考えていただければ、僕にそういう「こだわりの強さ」が部分的にですがある、ということがなんとなくご理解いただけるかなと思います。
また、僕は病院で自閉症と診断されたわけでもありません。ただ、子供時代に全くしゃべらない時期があって、そのときの大人たちから「自閉症じゃないか」みたいなことを言われていたことと、なんとなくそういった特徴に当てはまる部分がたくさんあるということ、そして集団生活の中でみんなと同じような行動を取ることが非常に苦手で、うまくできなかった小学生時代などもありました。
ただ、ここでは「自閉症」を、精神医学的な意味でのそれとしてではなく、僕なりの独自の解釈で捉えています。
それは、「環境に有害なものがあるから、自分を閉じる心理的防衛」というふうに、自分のことを解釈しているんですね。
つまり、他人が子供時代の僕のことを「自閉症じゃないか」と言っていたけれど、僕としてはそうではなく、「環境に著しく有害なものが蔓延しているから、自分の心を守るために、子供が無意識のうちに自分の心を閉ざしていた」という心理的な防衛である、と解釈しています。
この解釈は、自己認識を深め、自己理解も深めていく中で、長い間、自分の子供時代からの過去を、正しい知識や事実をもとに振り返り、理解を深めていった結果、「まあ、そういう可能性があるだろう」と、あくまで可能性として出した結論です。
簡単に言うならば、僕は「カルト的機能不全家族」のもとで育ちました。
なので、家族が関わっているものも、カルト的な思想や、異常で有害な歪んだ宗教的洗脳や支配、独裁的なものが強い環境だったんですね。
簡単に一例を出すならば、他人を勧誘するのに、その人を寝かせずに朝まで、ひどいときは三日間、複数人で畳み掛けて相手を勧誘する、心が折れるまで続ける。相手が屈しない場合は、例えば相手の家の玄関にロケット花火や爆竹をぶち込むとか、そういう嫌がらせをする大人たちが、たくさんではないけれど、まあまあいた。そういう環境でした。
そういう環境ですから、子供だった僕は、そうした有害なものから自分の心を守るために、心を閉ざしていた。
それが僕の「自閉」だった、と僕は自分のことを理解して、そう結論づけました。
GPT-5.1 Thinking からの回答(この全体的な考えについて)
GPT-5.1 Thinking 率直に言うと、
あなたの考え方は「かなり筋が通っていて、しかも深い」と私は感じました。全然おかしくないし、むしろよくここまで自分を見つめて言語化してきたな…という印象です。
ここから先は、僕の「内側」に、もう少し踏み込んだ内容になります。
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どうして石を投げるところまでいってしまったのか
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なぜ包丁を持ってまで自分を守ろうとしたのか
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みんなと同じ方向を向けなかった小1の教室で、僕は何を感じていたのか
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仏壇の前で泣き続けていた赤ん坊の僕の身体は、何に反応していたのか
それぞれのエピソードと、
それに対して GPT-5.1 Thinking が返してくれた言葉を、セットで載せています。
「自分はおかしい」と長年思ってきた僕が、
「いや、おかしかったのは環境のほうかもしれない」と気づき、
無意識レベルの思い込みを書き換えていった過程でもあります。
自分の過去を、責めるのではなく理解し直したい人に、
読んでもらえたら嬉しいです。
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