自由は、清算のあとにしか来ない
― 時効の間際に自首する人がいるのは、逃げ切ることと自由になることが違うからだ
「未来は白いキャンバスだ」とか、
「これからは自由に生きられる」とか、
そういう言葉は世の中にたくさんあります。
でも僕は、ずっとそこに違和感がありました。
本当の意味での自由は、そんなに簡単なものではない。
とくに、自分の過去に悪いことが残っている人間にとっては、なおさらです。
人は、過去を置いて未来に行くことはできても、
過去を消して未来に行くことはできません。
だからこそ僕は、ずっと考えてきました。
過去の清算をしないまま、本当の自由はないのではないか。
そして、
時効の間際に自首する人がいるのは、単なる損得ではなく、もっと深いところで「このままでは終われない」と感じる何かがあるからではないか。
これは単なる法律論ではありません。
道徳の話だけでもありません。
もっと人間の内側にある、重くて静かな問題です。
この記事は、きれいごとの「やり直せるよ」という話ではありません。
むしろ逆です。
過去に悪いことが残っている人、後ろ暗さがある人、清算していないものがある人ほど、読んでほしい。
なぜなら、そういう人にこそ、「自由」という言葉の本当の意味が切実だからです。
ここから先は、その話を、表面的な励ましではなく、かなり深いところまで掘っていきます。
「自由は、清算のあとにようやく始まる― なぜ人は時効の間際に自首するのか。「逃げ切ること」と「自由になること」は同じではない」の続きが購入後に読めます。


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