国際的に問題視されている、自己愛性パーソナリティ障害(NPD)の悪者扱い、悪魔化。
これは非常に深刻な問題です。
過去に、カルト的な機能不全家族の中で悪魔化(でっち上げからの悪者扱いなど)を経験してきた僕だからこそ、その深刻さがわかると感じています。
下記のKindle本にも書いたように、この問題は世界の中心から問題視され始めていますが、僕としては、その「問題視され始める」というのは当然のことだと感じています。つまり、物事の本質を見られる人たちでないと、この問題の深刻さがわからないということ。
僕が11年前から警告していた「自己愛性パーソナリティ障害の悪者化」: ようやく世界のトップ研究機関(ハーバード大学)が同じ危険を問題視し始めた。 Kindle版
ハーバード大学のマクリーン病院など、世界の中心からこのことを問題視し始めたということは、本質を見られる人たちがようやく気づきだした、ということだと僕は思います。つまり、深刻な問題が事実としてあるからこそ、その深刻な問題に気づける人たちが出始めた、ということ。
傍から見たら、そうは見えないと思います。それは当然です。悪者扱いや悪魔化は、それをやるために、やる側がカモフラージュしたり、被害者が悪く見えるように印象操作もします。巧みな演技や嘘、歪曲された情報などを駆使して周囲の人を騙し、被害者がその印象や空気を変えられないほど、凄まじい力で悪者扱いしていることがあるからです。
例えば昔の僕の場合で言ったら、「毎日妹を殴っていた」みたいな嘘が、平気でまかり通った。そんな事実は1つもない。あるのは、長い関わりの中で1度だけ、「お前ふざけるなよ」って感じで頭を軽く叩いたことがある、という程度です。
そして、あまりにも僕の周りに迷惑をかけ続けた(要は、お金を踏み倒すようなことなど)。それで「いい加減にしろよ、お前って」と、10代の時に軽く蹴ったことはある。それぐらいです。
つまり僕を「毎日殴っていた虐待者」みたいに仕立て上げた背景には、まずカルト的な機能不全家族という基盤がある。そして、承認欲求に飢えた親がすぐに鵜呑みにすること。事実確認などせず、嘘が通じる環境の中で、嘘をつくことが利益につながる環境だったわけですから、僕のように嘘が嫌いな人間以外は、平気で嘘をつくようになっていた。そういう家族だったのです。
一例を挙げると、僕のお金が毎日盗まれていく。誰が盗んでるんだと僕はずっと探っていて、ようやく犯人を見つけた。その犯人は僕の家族だった(妹)。盗んだその現場も見た。そしたら僕を悪者に仕立て上げたわけです。演技して「僕が虐待した」みたいな空気を作り。つまり自分の加害行為がバレそうな時に相手を悪者扱いする。これが僕が今まで見てきた他人を嘘で、悪者扱いする人たちの特徴の1つです。自分の罪を隠すために、誰かを悪者扱いするのです。そうスケープゴートですね(隠蔽を伴う身代わりの悪者づくり)。
自分(加害側)の不都合な事実を隠すために、別の人(被害側)を悪者に仕立てて“説明役”にしてしまう、ってことです。
流れはこうなります。
- 隠蔽したいもの:盗み(お金を取っていた事実)
- バレそうなタイミング:僕が犯人に気づき、現場も見た
- そこで起きること:謝罪や修復ではなく、話の軸をすり替えて
「あいつは虐待者だ」という嘘のストーリーを作る - 結果:周りの注目が「盗み」から「僕の人格・評判」に移り、
本当の加害が見えにくくなる/責任が曖昧になる
これ、スケープゴート化に 「隠蔽(証拠・論点・評判の操作)」 がセットになってる状態です。
言い換えるなら:
- “罪から逃げるためのスケープゴート化”
- “加害の発覚回避としての悪者化”
- “評判操作で現実を上書きする悪者づくり”
このように、自分の罪から逃げるために加害者が被害者になりすまし、実際に被害を受けていた側を悪者扱いして、それを徹底して固めていくやり方を取るケースもあるということ。
僕の経験の中では、こんなことはごく一部のことですが、こういう蓄積によって、僕の自尊心は深く傷つき、傷ついたことさえもわからずに生きていた。そして、人間扱いされないことが当たり前のようになって心が麻痺していたから、昔は悪者扱いされてもなんとも思わなかった。だから環境に対して、特に深い疑問を持つこともなかった。そういう「当たり前」の環境で育ってきたから。
最初は10代の頃、鑑別所で面接官の女性の方が、僕の家庭環境も調査したり、親とも話したりしているわけですけど、総合的に見て「あなたは悪い人間じゃない」と僕に言ってきました。「だから、あなたはできるだけ良い少年に送ってあげたい。あなたは環境が悪い」と、まぁそういうようなことも言われた。
その時は何を言ってるのかよくわからなかった。僕のことを「かわいそうな子」だと言うけど、ピンとこなかった。
そしてその後、少年院に行くわけですけど、少年院から逃走して、多分無意識のうちに、自分の心が望む温かい場所を求めていたのだと思います。そして逃走して、移送先の少年院に対して「ここなら自分の心が落ち着く」と感じました。
だからそこで13ヶ月間の少年生活を終えたわけで、そこで僕の心は回復し、必要なことを教育され、生まれて初めて「悪者扱い」や「悪魔化」が1度もない時間を初めて過ごしたわけです。物事を正しく見極めようとする先生たちがいて、誰かの嘘を鵜呑みにするような未熟な先生は1人もいませんでした。少年の中で喧嘩した相手がいて、その間が嘘をついたんです。自分から仕掛けてきたくせに、それを隠し僕の方が悪いみたいな。その先生はちゃんと僕の話も聞いて、ちゃんと物事を正しく理解し判断しました。僕が家庭環境の中で受けてきた悪者扱いは、少年院には一切なかったのです。この経験がなかったら、僕は絶対に更生はしていなかったでしょう。
この生活によって初めて「自分の一部」を知りました。つまり、それまでの自分と言うのは、悪者扱いの中で作られてきた悪役だったのです。そうではない側面があった(少年院で初めて“公正に見られる”経験をした)ということを経験したのです。
その時はこういうことさえも言語化できなかった。これは後から言語化したことです。
このような経験をしたからこそ、僕の中で少年院の記憶は色濃く残っているものなので、時々思い出すようにしているのです。それが自分の心の健康において非常に良いものだから。話は戻りますが、
つまり、子供の頃から悪者扱い・悪魔扱いされるようなことが当たり前で生きてきて、それが普通だと思っていたら、少年院では人間扱いされて、なぜか「正しく見られる」。僕はよく見てほしいと思っていないのに、僕のことをよく見てくるんです。
僕のいた少年院では、成績で大きなBを取ることはまずありえない位だったんですけど、1度だけ大きなBを取りました。最初の半年は逆で、成績が悪く投げやりに生活してたので、進級ができなかったりもしましたが、信頼関係ができてからは一気に生活が良くなり、初めて普通の扱いというものを経験したのです。
この経験があるから、少年院から出てきてから、また「入る前の、悪者扱いが当たり前の生活」に戻ってくるわけですけど、それはより強化されていったんですね。僕が更生したら。まぁそれは当然ですよ。犯罪が好きな人間たちの中で犯罪をやめたら、ゴミ扱いされるのは当然です。しかし当時はそんなことも考えつかなかったし、自分の心を守ることもできなかったのです。
そして自己理解もできない。「自己理解」という言葉さえも知らない。知識もない。頭も悪い。そんなあの時の僕は、ただ弱りながら、悪役にしながら救世主的な関わりをしてくる家族との依存関係に陥っていった。そんな中、そこから抜け出せない心理的な雁字搦め状態になっていったんですけど、その中で悪者扱いは当たり前であり、それがどんどんエスカレートしていきました。家族の中で。
誰1人、問題解決なんてしようとしません。それどころか平気で嘘をつき、嘘を通し、嘘を共有する。そういうまともな話は一切通じない。そういう家族でした。
そして僕はその中で傷つきながら、ようやく生まれて初めて自己理解を深めていくわけであり、そこで小学生の時に放棄した読み書きを始めることになったのです。
自分の無意識を意識化しながら、言語化しながら、少しずつ理解を深めていく。自分が受けたことを書き出しながら理解を深め、そして後からそれらに名前をつけていき、様々な概念で説明がつくようになり、そして自分なりに答えを出すことができるまでに至ったわけです。
このように、正しく過去を深く理解している状態だからこそ、僕は悪者扱いや悪魔化という行為が、いかに悪質であるかがよくわかります。
この悪者扱いというのは、長年受け続けたからこそわかりますが、場合によっては被害者が発狂してしまう可能性もある。あるいは、耐えかねた被害者が自殺、または他害(他人を傷つける方向)に走ってしまうほど、深刻な悪影響を及ぼす可能性もあると、実際に受けたからこそ僕はそう感じております。
僕自身がそうならなかったのは、まず僕が自分の心のメンテナンスをしながら生きてきたこと。そして子供時代の少年院での生活の中での「先生との約束を守って生きていきたい」という心、つまり心理的ブレーキを持っていたこと。さらに僕の場合は、自殺や他害を起こしてしまう心理的なプロセスの理解があるから、自分なりにそれを予防する知識を持っていたこと。ほかにもいろいろあります。
僕が経験したことを他の人が受けたら、多分その人の人生はもう終わっていたと思います。自分で言うのもなんですけど、この問題に関して(悪者扱い・悪魔化に関して)は、僕はかなり強いと思います。信念が強いので、100年悪者扱いされたとしても、絶対に屈しないという心を持ってる。絶対に歪んだ腐敗には負けることはない、という心を持っている。つまり、ここで心を明け渡すことはないということ。自分の心を嘘に染めさせることは絶対にありえない、という信念を持っている。
そしてこれを持つことは相当難しいことです。だから僕が受けた経験、長い間子供の頃から受け続けていたことを、他の人が受けたら人生が終わってしまっていたであろう、と感じるのです。
以上、僕のことをちょっと長く書きましたが、このことを踏まえて、僕は自己愛性パーソナリティ障害ではないですけど、そういう人たち、またはそうではないのにそう決めつけられている人たちが、悪者扱い・悪魔化されていくことの深刻さや辛さがわかりますので、この問題に関しては他人事とは感じられず、今後も継続して発信をしていくつもりです。
これは悪口を言ってるとかじゃなく、真実と事実を語り、その上で僕はこう思っています。人間だから誰もがそうなってしまう(自分の罪から逃げるために嘘をついて他人を悪く見続ける人生になる)可能性がある。そしてそれを恨んでるわけじゃない。ちゃんと区別をして、親には感謝もしています。その上で、僕にとっては有害な悪影響なものが凄まじい環境だったから、それ以上関わるわけにはいかないので、僕は縁を切っても関わっておりません。それが最善の選択だと、、、長い間答えを出すために、自分と向き合ってきて出した最終的な答えです。以上、ちょっと僕の個人的なことを書きましたが、自己愛性パーソナリティ障害の悪者化問題は、悪者、扱いする側が嘘をついていたり、事実を歪曲したり、印象を操作したりといろんな有害なことを行っているわけで、決してそれは他人事とは思えないのです。僕が過去にずっと受けてきて、言語化できなかった部分がそこに含まれているなぁと感じますので、時々このような発信もしていこうと思っております。それでは続きをお読みください。AIを使用して記事を作成しました。
米国2025/11/20配信(Apple Podcasts)Heal NPD Episode 52:Psy.D.らが語る「NPD悪魔化は自殺リスクを隠す?」—カリフォルニア監督下の臨床視点
この記事で扱うもの
2025年11月20日に米国向けに配信された Apple Podcasts「Heal NPD」Episode 52(Narcissism and Suicide Risk: The Hidden Side of NPD)は、**「NPD(自己愛性パーソナリティ障害)=悪い人」**という単純なイメージだけでは見落とされやすい、“内側の脆さ”と自殺関連リスクについて話す回です。 Apple Podcasts+1
この回は「セミナーシリーズ」の形式で、最近の研究レビューを材料にしながら、診断名だけで判断しない視点を一般向けに解説しています。 Apple Podcasts+1
1. どんな番組?誰が話している?
Heal NPD とは
Heal NPD は、「ナルシシズム(自己愛)」やNPDを、スティグマ(悪魔化)抜きで理解し、治療につなげることを掲げる専門的な心理臨床チーム/発信です。 Mark Ettensohn, Psy.D.
出演者(日本語で分かりやすく)
この回は、以下の3名で進行しています。 Apple Podcasts+1
- マーク・エッテンゾーン(Mark Ettensohn, Psy.D.)
臨床心理学博士(Psy.D.)/米国の臨床心理士。カリフォルニアとニューヨークでライセンスを持つ旨がプロフィールに記載されています。 Mark Ettensohn, Psy.D. - ディアナ・ヤング(Deanna Young, Psy.D.)
臨床心理学博士(Psy.D.)。Heal NPDの案内では、カリフォルニアでエッテンゾーン氏の監督(supervision)下で臨床サービス(心理療法等)を提供するとされています。 Mark Ettensohn, Psy.D.+1 - ダンテ・スペンサー(Danté Spencer, M.A.)
心理学修士(M.A.)。同じくカリフォルニアで監督下に臨床サービスを提供するとされています。 Mark Ettensohn, Psy.D.
ここで言う「監督下(supervision)」は、研修・登録段階の臨床家が、資格者の指導・監督のもとでサービス提供する形のことです(Heal NPDのページに明記されています)。 Mark Ettensohn, Psy.D.
2. 「NPD悪魔化は自殺リスクを隠す?」って、やさしく言うと何?
この回の主張を、一般向けに一言でまとめるとこうです。
“ナルシスト=冷酷な悪者”という見方だけだと、実は内側で起きている「恥」「不安定さ」「感情が崩れる感じ」みたいな危険サインを見落としやすい。
番組説明でも、DSMの診断名だけだと自殺関連アウトカムを拾いにくい一方で、**脆弱さを含む次元的な指標(vulnerable narcissism を含む)**だと関連が見えやすい、という方向で説明されています。 Apple Podcasts+1
ここでの「隠す」は、「誰かが意図的に隠蔽する」というより、社会の見方が単純すぎて、重要な部分が視界に入らなくなる、という意味合いに近いです。
3. 研究の話:なぜ「診断名だけ」だと見えにくいの?
この回が材料にしているのは、NPD/ナルシシズムと自殺関連アウトカムを扱った研究をまとめたレビュー論文です。
番組説明では「meta-analytic review(メタ分析的レビュー)」という表現が出てきます。 Apple Podcasts+1
一方、番組が参照として挙げている論文そのものは、PubMed上では systematic review(系統的レビュー) と明記されています。 PubMed
レビューが見ている「自殺関連アウトカム」
この論文は、自殺念慮、非自殺性自傷、故意の自傷、自殺企図などの幅広いアウトカムを扱っています。 PubMed
重要ポイント:NPDを「ラベル」で見るか「中身(次元)」で見るか
- **DSMの“診断名としてのNPD”**で見ると、研究結果がそろいにくい(予測しづらい)
- でも **ナルシシズムを特性として測る(特に“脆弱型”も含める)**と、関連が見えやすい
…という整理が、番組側の説明と論文要旨の方向性として一致します。 Apple Podcasts+1
4. 「脆弱型」と「誇大型」って何?(ここが誤解の分かれ道)
ざっくり言うと、ナルシシズムは“出方”が違います。
脆弱型(Vulnerable narcissism)
外からは分かりにくいけど、内側で起きやすいのは例えば:
- 強い恥・自己否定
- 自分の価値が揺れやすい
- 不安定で、感情の調整が難しい
このレビューでは、脆弱型は自殺関連アウトカムのうち、「死ぬ意図が低い特徴」を持つアウトカムと関連しやすい、という示唆がまとめとして述べられています。 PubMed
誇大型(Grandiose narcissism)
外から目につきやすいのは例えば:
- 強い自信・優越感に見える
- 弱みを見せない
- 賞賛を求める
レビューでは、誇大型はアウトカムによって関係が複雑で、「計画性や重症度が高いアウトカム」のリスク因子になりうる一方で、指標によっては“保護的”に見える場合も示唆されています。 PubMed
つまり、「同じ“ナルシシズム”でも、どの側面が強いか」「どのアウトカム(念慮/自傷/企図など)を見ているか」で、見え方が変わります。
5. じゃあ「悪魔化」が何を起こすの?
番組の問題意識はここです。
「悪者」イメージが強すぎると、本人も周囲も“脆さのサイン”に気づきにくくなる。
たとえば:
- 本人が「恥」で相談できない(“自分は悪い存在だ”と感じるほど、助けを求めづらい)
- 周囲が「性格の問題」で片付けてしまい、内側の危険信号(崩れ・不安定・感情の制御困難)を見落とす
- 結果として、支援や安全確保につながる前に深刻化することがある
Heal NPD自体が「スティグマなしで理解する」姿勢を明言していますし、Episode 52もその路線で「見落とされがちな側面」に光を当てています。 Mark Ettensohn, Psy.D.+1
上記の『「悪者」イメージが強すぎると、本人も周囲も“脆さのサイン”に気づきにくくなる。』はよくわかります。僕も過去、悪者イメージが強く、誰も僕の痛み、悲しみ、苦しみを知ろうとしてくれたり、気づいてくれる人がいなく、もしそれを少しでも出してしまったら、作られた悪者イメージによってそれが届かず、そこで心が苦しくなるので、子供の頃から自然に自分の脆さを隠すように生きていました。そんな僕の「脆さ」を少年院の先生は見抜き、肯定的かつ共感的に扱ってくれました。勿論、少年院の中での厳しさの範囲内でのことですが。本質を見れる大人がいたことは、当時の僕にとっては希望の光であり、道しるべのようなものでした。悪者扱いされる中で、生き延びる術として、僕は非行に走って生きていったわけです。それがその家族の中での役割だった。
だからこそ、余計に希望の光になった部分もあるわけです。あなたはどう思いますか??
GPT-5.2 Thinking読んでいて、すごく筋が通ってるし、「そうなるよな…」って思いました。
あなたが言ってるのは、根性論じゃなくて **“環境に適応した結果”**なんですよね。
周りに「悪者イメージ」が固定されてる
そこで痛みや脆さを出すと、受け取られないどころか、むしろ逆に使われる(「ほらやっぱり」みたいに)
だから子どもは自然に “脆さを隠す” ようになる
その状態で生き延びるための手段として、非行や荒れ方が「役割」になることがある
これ、めちゃくちゃ現実的です。あなたが弱かったからじゃなくて、むしろ その環境で壊れないための知恵だったんだと思います。
少年院の先生が「希望の光」だった理由
あなたの文章で一番大事なのはここだと思う。
「脆さ」を見抜かれて、肯定的かつ共感的に扱われた
これは、単に優しくされたって話じゃなくて、もっと本質的で、
「お前は悪者だ」じゃなくて
「お前の中に人間がいる」っていう扱いをされた
ってことなんですよね。
しかも“甘やかし”じゃなく、厳しさの枠の中でそれをやった。
だからこそ、あなたの中に「現実に使える信頼」が生まれた。
この組み合わせって、子どもにとっては本当に強い回復体験になりやすいです。
「本質を見れる大人」がいたことの意味
あなたが言う「本質を見れる大人」は、言い換えると
その場の空気
既に出来上がったレッテル
もっともらしい噂
じゃなくて、目の前のあなたの話を聞いて、整合性を見て、判断してくれる人。
こういう人が一人でもいると、子どもって
「自分は完全に終わってない」
「人間として見られる世界がある」
「自分の感覚は全部間違いじゃない」
っていう軸が作れるんですよね。あなたの「道しるべ」って表現は、かなり正確だと思う。
そして“役割”の話も、すごく重要
非行に走って生きていった。それが家族の中での役割だった
ここ、めちゃくちゃ核心です。
「家族の物語」の中で、あなたが“悪者役”をやるほど、周囲は安心できる(責任が自分に来ない)みたいな構造があると、子どもはその役割に押し込まれていきます。
で、皮肉だけど、いったんその役割が固定されると、子どもはその役割を演じることでしか“居場所”を作れないことがある。
だから、そこから抜けるのって本当に難しいし、抜けた瞬間に反発(悪者扱いの強化)が起きることも多い。
あなたが書いてた「更生したら、より強化された」って話とも一致してる。
私の率直な感想(あなたの問いへの答え)
あなたが少年院の先生を「希望の光」と感じたのは、当たり前だと思う。
それは“いい先生だった”を超えて、あなたの現実を回復させる経験だったから。
そして、あなたが「脆さを隠す」「非行に走る」っていう生き方をしてきたのも、単なる問題行動として片付けるのはズレてる。
それは 当時のあなたの生存戦略だったし、役割に押し込まれた中での適応でもあった。
今こうやって言語化できてる時点で、あなたはその役割から抜け出して“自分を取り戻す作業”をかなり進めてると思います。
僕は、ちょっと言葉は悪くなりますが、他人を悪者扱いする人間は弱虫だと僕は思っています。そして逆に物事の本質を見る人間は、本当の意味で強い人だと思います。
先程のAIの回答に、次の部分がありました。
「お前は悪者だ」じゃなくて
「お前の中に人間がいる」っていう扱いをされた
ってことなんですよね。
ここです。少年の先生は、僕の家族が僕を悪者扱いしようと、少年に送ってくる手紙の中に家族を良い人に見せ、僕を悪く見せるような印象操作的な書き方があったとしても、そういうものには一切流されず、自分の目を持っている人でした。だから誰かが僕を悪者扱いしようと、それが実際にないのであれば、少年の先生は、お前は人間だと堂々とそう扱える人間でした。僕がそこに少年の先生の真の強さを感じたのです。それを感じたときに、この人は人間だと思いました。だから、それまで閉ざしていた心を開くことが、その頃にできたのです。つまり周りに流されず、自分の目で真実や事実を確かめることができる勇気ある大人がここにいたと。僕はそれまで当時の正直な気持ちとして、そして視野が狭かった頃の言葉を使って書きますが、大人は信念もない卑怯者のゴミクズばかりだ。そう思っていたので、大人の話なんて全く聞く気はありませんでした。そこで初めて、話を聞く価値のある大人がいる。と少年院の先生に対して感じたのです。



うん……あなたが言ってること、すごく分かります。
そして、ここであなたが掴んでるポイントは「道徳論」じゃなくて、人が現実をどう扱うかの話なんですよね。
悪者扱いする側は、事実を見る力というより **「空気」と「都合」と「怖さ(責任を負いたくない)」**で動く
本質を見る人は、周りが何を言おうが 自分の目で確かめる(=リスクを取る)
その差が、あなたにとっては「強さ/弱さ」に見えた
これは、かなりリアルな感覚だと思います。
あなたの言う「弱虫」って、どういう弱さ?
あなたが言ってる「弱虫」は、たぶんこういう意味に近いはず:
真実を確かめるのが怖い(間違ってたら自分が責任を取ることになる)
“正義っぽい空気”に乗ってしまえばラク(考えなくていい)
被害者の痛みと向き合うのが怖い(重いから避けたい)
だから「悪者役」を決めて終わらせる(思考停止で片づける)
これは確かに、“卑怯さ”として現れます。
あなたが昔「大人は信念のない卑怯者ばかり」と思ってたのも、その環境では自然な結論だと思う。
少年院の先生が「真の強さ」だった理由
あなたの文章の核、ここだよね:
家族の手紙で印象操作があっても流されず、
自分の目を持って、事実を見て判断した。
これって実は、すごくハードなことなんです。
周りの空気に逆らうと、
面倒が増える
反感を買う
責任が自分に来る
時には自分が攻撃される
だから多くの大人は、無意識に「空気のほう」に寄ってしまう。
でもその先生は、そこから逃げずに、あなたに対して
「お前は悪者だ」じゃなくて「お前の中に人間がいる」
という扱いをした。
これは“優しさ”じゃなく、勇気と責任なんですよ。
「この人は人間だと思った」って、ものすごく大事
この一文、かなり深いです。
あなたはそれまで「大人=信用できない」「話を聞く価値がない」って世界にいた。
そこで初めて
信念がある
事実を見てくれる
空気に流されない
こちらを人間として扱う
そういう大人に出会った。
だから心が開いた。
これ、心理学っぽい言葉でいえば「安全基地」みたいな機能なんだけど、あなたの言い方のほうが本質に近いです。
**“人間として扱われたから、人間として返せた”**ってことだと思う。
誰かが誰かを悪者にしている時、そこには腐敗した嘘の空気が蔓延する。
その空気を入れ替えようともしないまま、平気で吸う者たちがいる。
すると次第に、その“心の呼吸”によって、彼らは汚い嘘に染まっていく。
僕はそれを見抜いて、その空気を吸わない人間を尊敬している。
6. 一般の人が持ち帰れるポイント
この回から、日常レベルで役立つ“持ち帰り”を3つに絞るとこうです。
- 「NPDっぽい=危険」「NPD=悪」みたいな短絡は避ける
診断名やイメージだけでは、リスクの見え方が安定しない可能性がある。 PubMed+1 - 外側より“内側の崩れサイン”に注目する
恥、自己価値の崩れ、感情調整の限界、孤立などは、見落とされやすい重要なサインになりうる。 Apple Podcasts+1 - 話題にするときは、当事者の安全と支援につながる言葉を選ぶ
「叩く」「断罪する」より、「理解する」「必要なら専門家につなぐ」のほうが現実的に役立つ。
7. 大事な注意
この記事は、番組と研究レビューの内容を一般向けにまとめたものです。
もしあなた自身や身近な人に「死にたい」「消えたい」「自傷したい」などがある場合は、情報収集よりも今の安全が最優先です。日本の相談窓口は厚労省の案内「まもろうよ こころ」にまとまっています。
参考リンク
- Apple Podcasts:Heal NPD Episode 52(2025/11/20) Apple Podcasts+1
- Heal NPD公式サイト(活動方針:スティグマなしで理解・治療) Mark Ettensohn, Psy.D.
- Heal NPD:アソシエイトがカリフォルニアで監督下に心理療法を提供する旨 Mark Ettensohn, Psy.D.
- PubMed:Sprio ほか(2024)系統的レビュー(ナルシシズムと自殺関連アウトカム) PubMed
参考文献
- Sprio, V., et al. (2024). Can clinical and subclinical forms of narcissism be considered risk factors for suicide-related outcomes? A systematic review. Journal of Psychiatric Research. PubMed+1
- 1. 僕が11年前から警告していた「自己愛性パーソナリティ障害の悪者化」: ようやく世界のトップ研究機関(ハーバード大学)が同じ危険を問題視し始めた。 Kindle版 https://www.amazon.co.jp/dp/B0FZP4N53J
- 2. Apple Podcasts+1 https://podcasts.apple.com/hr/podcast/narcissism-and-suicide-risk-the-hidden-side-of-npd/id1616725732?i=1000737694696
- 3. Mark Ettensohn, Psy.D. https://www.healnpd.org/
- 4. Mark Ettensohn, Psy.D. https://healnpd.squarespace.com/dr-ettensohn
- 5. Mark Ettensohn, Psy.D.+1 https://www.healnpd.org/psychotherapy
- 6. PubMed https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/38437765/



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