漫画で理解(30秒)
生成停止
記事内に保存
🎨 【漫画ページ】青年アニメ・カラー(落ち着き)
「なんで、正直に書いただけなのに攻撃されるんだろう」
こういう経験って、世の中には確かにあります。
ただ、今日は先に言っておきます。
これは嘆き話じゃないです。被害者ぶる話でもないです。
僕はこれを、自分の課題として真正面から扱ってきたし、結果として自分の力に変えてきました。
そのうえで最近、「一つ試してみたこと」があって、それがすごく大きな発見になったので、整理して残します。
同じような経験をしている人の「現実検討」にもなるかもしれない。
そして、読んだ人が“自分を責めなくていいポイント”を拾えるかもしれない。そう思っています。
僕は「スケープゴートタイプ」だった(しかも悪役にされるタイプ)
僕は昔から、周りの嘘や事実の歪曲、時には悪意があると言えるレベルの嘘によって、悪者扱いされてきた経験があります。
いわゆるスケープゴートタイプってやつです。
だから僕は、たとえば
-
「こういうことが苦しかった」
-
「こういう体験があった」
と操作者や加害の手口を添えて正直に書くだけで、なぜか攻撃の的になることがあった。
これって、言葉だけ聞くと「気のせいじゃない?」と思われやすいんですけど、僕の場合はもう“気のせい”で済まないところまで行きました。
印象操作があまりにひどくて、裁判を起こした
僕に一方的につきまとって、僕の印象を操作する人たちが実際にいました。
あまりにもひどかったので過去、裁判を起こしました。
そして裁判で、僕の印象操作をしていた“工作的な活動”も明らかになりました。
結果として僕は勝って、相手には裁判所命令で支払い命令が出ました。名誉毀損も認められています。
つまりこれは、僕の主観だけの話じゃない。
現実に名誉毀損が成立していたんです。
裁判を起こすにはお金がかかります。
だから当時、裁判を起こしたのは一件だけですが、お金があればもっとたくさん裁判を起こすこともできたし、もっとたくさん開示して犯人を明らかにすることもできたくらい、ちゃんと現実的な被害を受けていたということです。
もう昔の話ですけど、僕にとっては「構造を理解する材料」になりました。
根っこには、カルト的な機能不全家族での体験がある
この話の根っこには、僕が育った家庭環境があります。
カルト的というか、機能不全で、家族の中で悪者扱いされて苦しんできた。
どこに行っても悪く見られたり、やってもないことを「やった」と言われたり、デマを流されたり。
僕はまっすぐ生きてきたつもりでも、他人の狡猾な嘘でそういうことが起きてしまう。
これを「運が悪い」で片づけることもできるけど、僕はそうは捉えていません。
僕にとっては「生まれ持った課題」みたいなものとして、乗り越える対象でした。
子どもの頃は抵抗として非行に走った。でも“汚いこと”はやらなかった
家庭環境がひどすぎて、子どもの頃は非行に走って抵抗していました。
ただ、周りには犯罪や詐欺みたいなことをやってる人たちもいたけど、僕はそれは嫌いだったし、汚いと思っていたのでやらなかった。やらなかったからこそ僕は悪者にされたんだと思いますけどね。
皮肉なことに、そういう場でも僕はよく言われていました。
(他の人から)
-
「悪いことしてる部分もあるけど、根はいい」
-
「根は真面目」
-
「根は誠実」
こういう評価が増えるほど、嘘をつく人たちが、悪く言って印象を操作しようとしてくる。
僕の人生では、これがずっと起きていました。
(だから僕はこのテーマにかなり詳しい)
家族の中でも同じだった。嘘で僕を悪く言う構造があった
家族の中でも似た構造がありました。
僕以外の家族が悪いことをして生きていて、それを親に隠していた。
そして兄弟たちは家族内で僕を常に悪く言っていた。もちろん、嘘やでっち上げを混ぜながら。
その結果、僕は実際以上に親から悪く見られて、悪く扱われた。
寂しさや悲しさは確かにありました。
ただ、ここは誤解されたくないので書きます。
僕は「恨み」では終わらせていない。もうかなり解決している
僕は、今この問題を「終わったこととして処理」しています。
恨んでいるわけじゃない。
ただ、とても悲しいことではあった。
でもその悲しみが、僕を強くしたし、僕の心に優しさをもたらしたとも思っています。
全部を成長につなげたので、後悔はない。
むしろ「これで良かった」とさえ思える。
これは心的外傷後成長(PTG)につながってる感覚があります。
だから僕は「悪く見られるのは当たり前」とも思っている
僕という人間は、悪く見られるのは当たり前。
これはずっと続くんだろうな、とも思っています。
でも、それで別にいい。
そのおかげで僕は強くなれたから。
……ただ、ここで一つだけ、ずっと気になっていたことがありました。
「良い評価が来ると、悪い評価が強く出てくる」現象は自然なのか?
僕はこれまで、実名で発信してきました。
記事を書いたり、Kindle本を出したり、いろいろやってきた。
そうすると、なぜか良い評価が来るタイミングで、悪い評価が強く出てくることがある。
しかも、その悪さが“内容への批判”というより、印象を落とすこと自体が目的っぽい時がある。
これが本当に自然な流れなのか。
それとも、僕が過去に悪者扱いされてきた側で、そういう構造を言語化してしまうからこそ、そういうことをやるタイプの人たちが不当に評価を下げる力が強いのか。
ここを、僕は一度ちゃんと確認したくなりました。
僕がやった「実験」:実名を隠して、同じように発信してみた
それで、実験的にやってみたんです。
-
僕の実名を隠す
-
そのうえで、僕が評価されるような表現・作業を同じようにやってみる
-
それを「当分長い間」続ける
結果は、正直かなりはっきりしていました。
結果:不当だと感じる悪い評価は、ゼロだった
かなり長い間試したんですけど、
僕が「これは不当だな」「なんかおかしいな」と感じるような悪い評価はゼロでした。
一つもありませんでした。
ここで僕が思ったのは、たぶんこういうことです。
僕への“正当な評価”は、こういう形で見えるんだろうな
匿名でやると変な評価が消える。
それはつまり、少なくとも僕の場合、
-
「内容」そのものが問題で叩かれてるわけじゃない
-
「僕というラベル」や「僕の文脈」に反応して、印象操作的なものが混ざってくる
そういう構造があるんだろうな、ということです。
そして、僕がスケープゴートタイプであることを公表し、そのうえで表現活動をすると不当な評価がつきまとう。
これはやっぱり、僕の人生の流れとして「起きやすい」んだろうなと思うようになりました。
同じ経験をしている人に伝えたいこと:あなたが悪いわけじゃない場合がある
ここまで読むと、「結局、世の中こわいね」で終わりそうなんですけど、僕はそう言いたいわけじゃないです。
むしろ、伝えたいのはこれです。
-
正直に語っただけで攻撃される人がいる
-
そのとき、あなたが悪いとは限らない
-
“内容の問題”ではなく、“ラベルへの反応”でノイズが乗ることがある
-
だからこそ、発信の仕方は戦略的に選んでいい
これは逃げでも卑怯でもなくて、自分を守りながら価値を届けるための設計です。
まとめ:僕はこの経験を「課題」として扱い、力に変えてきた
僕は過去に、嘘や印象操作で悪者にされてきた。
それは裁判でも名誉毀損が認められた現実でもある。
だけど僕は、それを嘆きの物語にしたいわけじゃない。
むしろ、そこから学んで、統合して、成長につなげてきた。
そして今回、実名を隠して発信するという実験をしてみて、
「不当な評価が混ざる構造」が自分の中でかなりクリアになりました。
僕はこれからも、自分の課題に真正面から取り組みながら、
必要な人に届く形で発信を続けていきます。
追記:この記事で書いたことは、実は体感で1%〜5%くらいの話です(専門用語で整理すると)
ここまで読んで、「そんなこと本当にあるの?」とか、「怖い」「おぞましい」と感じた人もいるかもしれません。
ただ、先に線引きしておくと、この記事で書いたことは、体感で言うと僕が経験した現実の1%〜5%くらいです。
世の中には、いわゆる「言い合い」や「相性の問題」みたいな話ではなく、相手の自己概念(self-concept)や自尊感情(self-esteem)を壊すことを目的に、長期的・反復的に介入するような関わり方が存在します。
心理学的には、これは単発のトラブルというより、**継続的な心理的虐待(coercive control / psychological abuse)や、集団でのスケープゴーティング(scapegoating)**として理解したほうが現実に近い。
そしてそこには、言葉の暴力だけでなく、嘲笑、非言語的な圧、複数人での連携(同調圧力や“空気”の形成)、そして相手の心の隅々に「無価値感」を刷り込むような反復が含まれてくることがある。
この“反復”が厄介で、時間をかけて人格や感覚を歪めていく。だからこそ、外から見ると分かりにくい。
さらに悪質なのは、**孤立化(isolation)**です。
友達だけじゃなく、付き合っている相手や、心から信じたいと思っている人、信じている人との関係まで切り離す方向に誘導する。
嘘を流したり、演技や茶番をしたり、涙まで使うこともある。場合によっては、事実がないのに「虐待者」というラベルを貼る(false labeling / reputational abuse)。こういうことさえ起こり得る。
そして、ここが本当に深刻なんですが――
相手に信憑性を持たせるために、身近だからこそ知っている“急所”を使うことがある。
相手の深い傷やトラウマ反応のポイントを把握したうえで、わざと刺激して、怒りや防衛反応を引き出す。
これは心理学の文脈では、**トリガリング(triggering)を意図的に起こし、相手の反応を切り取って「証拠」に見せるような構図です。
いわゆるリアクティブ・アビューズ(reactive abuse)**に近い形で、「ほら、あの人って怖いでしょ」「悪い人でしょ」という印象を周囲に作っていく。
そのうえで孤立化させ、信頼関係さえ壊していく。恋人や大切な人との別れを誘導するような工作にまで発展することがある。
これは相手の社会的基盤(social support)を奪うので、ダメージが非常に大きい。
今ここに書いたことも、まだごく一部です。
一般の人がこれを“深い意味で”受け取ったら、精神が耐えられないと思います。僕自身も、正直かなり参った時期がありました。
ただ、それは「弱いから」ではなく、人間の神経系(nervous system)が、長期の脅威・不確実性・孤立に晒されると当然起こる反応でもあります。慢性的なストレスは、認知・感情・身体感覚にまで影響します。
そして、これらの基盤にあるのは「たまたま出た嘘」ではないです。
**意図的な虚偽(deliberate deception)**であり、相手の尊厳を削るための“運用”です。
少なくとも僕の目の前では、相手が傷ついていることを分かったうえで、笑いながら、楽しんでいるように見える場面がありました。これは、綺麗事では消えない現実です。
……じゃあ、なぜ僕はこれを書けるのか。
理由はシンプルで、僕は今、これを言語化できる力を持っているからです。
そしてそれはつまり、体験がある程度、統合(integration)されてきたということでもあります。
言語化できるのは、痛みがゼロになったからじゃなく、痛みが「自分を支配する形」から「意味づけできる形」に変わってきたからです。
だから僕は、被害者ぶっているわけでもないし、過去を悲観しているわけでもない。
むしろ逆で、これらは全部、僕の力になりました。
そして今の僕は、他人からの評価に縛られない自分になれています。
誰かが嘘を流して、それを信じる人がいて、悪い評価をされる。
もう、どうでもいいです。
僕の価値は、そこにはありません。
僕が大事にしているのは、自分に嘘をつかないことと、必要な人に必要な言葉を届けることだけです。
この追記は、恐怖を増やすためじゃなく、現実を直視したうえで「自分の力に変える」という話として置いておきます。
僕は逃げない。だけど、過去に縛られてもしない。
そういう地点まで来た、ということです。
漫画で理解(30秒)
※AI生成画像です。内容は記事本文を元にしています。


コメントを投稿する