母は、本当の親を知らなかった。
心を閉ざして、無価値感を抱いて生きてきた。
数年前(3、4年前)、母と父と、パートナーと、その娘と、姉と、
ご飯を食べに行った時に、、、
何かの話の流れで、母は、「自分はずっと無価値だと思っていた」と
涙を流して、自分の気持ちを言った。
ずっと、この言葉が心に残っていました。
機能不全家族だったうちは、みんな自分の気持ちを言えなかった。
そして対立したり、支配があったり、不健全なことが続いていたから、
自分の気持ちを言えない家族だったのです。
そこで、母が「自分は無価値だと思っていた」と
涙を流して、自分の気持ちを言ったことは、
「機能不全家族として、大きな進歩」でした。
そしてそれから癌になり、結果、亡くなったのですが、
徐々に弱っていく母の心を少しでも楽にしたい、、、
そう思い、その中の1つに、
母が自分の気持ちを表現していた俳句がありました。
僕が書くことで癒されていたように、
母は俳句で心を表現することで
心が軽くなっていた部分もあったようです。
僕自身、「書くこと」、そして、それを形にすることで、
心の苦しみが減り、無価値感も減ったので、
「母の俳句集を紙の本にして出版すれば、きっと価値を感じてもらえる!」と、
閃いたので、早速、どうすれば一番良いか、考えました。
母が一番心配していたのが、妹です。
僕は、妹との間に色々あり、
どうしても関わりたくないという気持ちもあったのですが、
それは、この件には関係なく、
目的は「俳句集出版で母に価値を感じてもらう」ということ、
それを母が一番心配していた妹が、
俳句集を形(紙の本)にするほうが、母が喜ぶと思ったので、
妹に「やってみないか」と提案しました。
そしたら、「やりたい」と言ったので、出版完了までサポートしました。
その間、母がどんどん弱っていくので、死期が近いような気がしたので、
少し妹を急かして、早く完成するようにしました。
そして遅くなったけど出来上がって、
それを父が注文して、届いて、母に見せました。
父が、横で1つ1つ、読んであげたとのこと。
そして母は、とても喜んでいたとのこと。
僕は、俳句集が出来上がるまで、
手作りのにんじんリンゴジュースを作って届けていました。
(これなら飲める(飲みたい)と言っていたので)
「俳句集、今、〇〇が作っているから、もう少しで出来るからね」と母に伝えていました。
帰る時に、いつも、声を出すのも辛そうなのに、「ありがとう」と言っていました。
「あなたの心から表された言葉には、
ちゃんと価値があるんだよ、」
と、伝えたいと思っていた。
それから数日で、急に体調が悪くなり、数日後、息を引き取りました。
まるで、俳句集が出来上がるまで、我慢して待ってくれていたように感じます。
無価値感を感じ続けていた母に、
自分の価値を少しでも感じてもらえ、喜んでもらえて良かったと思っています。
あと10年あれば良かったなと、思うけど、
人生は、うまくいかないものです。
そんな中、1つ1つを大切にしていく、
今、身の回りにあること、心、人、
この瞬間は二度と戻ってこないので、
大切にしていきたいなと思います。
コメント