演技が得意なモラルハラスメント加害者は、被害者が自分(加害者)に執着するように上手く仕向けることがあります。
これはどういうことかと言いますと。まずモラルハラスメント加害者といっても手口は千差万別で加害者自身も十人十色です。色々なハラスメントの手口もありますし、色々な性格の加害者がいます。その中に、演技が上手く、弱者の立場や涙を悪用して自分を被害者に見せかけることが得意な隠れた加害者というものも実在します。
このタイプは時に専門家やカウンセラーのことさえも騙します。専門家やカウンセラーが表社会も裏社会も見てきたようなタイプではなく、教科書やマニュアル通りにやってきたタイプの場合は、騙される可能性は高いといえます。「酸いも甘いも嚙み分ける」ことが出来るような者ではないと意外と見抜けなかったりします。
【読み】 すいもあまいもかみわける
【意味】 酸いも甘いも噛み分けるとは、人生経験を積み、人情に精通し、世の中の裏も表も知り尽くしていることのたとえ。
この、「酸いも甘いも嚙み分ける」ことが出来るような者ではないと見抜くのが難しい演技タイプのモラルハラスメント加害者の武器の一つは前述したよう「涙」と「弱さ」です。これはどうしてかと言いますと、世の中には「承認欲求の強い者」が存在しています。その承認欲求の強い者は「救済者になれる餌」と「承認の餌」にバクバクと食いつきます。それを熟知しているのが演技タイプのモラルハラスメント加害者です。
承認欲求の強い者が欲しがっている「救済者になれる餌」には「弱者の餌」を投げ、「承認の餌」には「涙を使って褒めて認める餌」を投げるのです。するといとも簡単に掌の上で転がされるのです。これを悪質な専門家と言います。「酸いも甘いも嚙み分ける」ことが出来ないのに、中途半端に問題をかき回して真の被害者を更に傷つけます。このことが以下の引用です。
セカンド・ハラスメントを行う人には少なくとも三種類ある。
悪質な「担当者」あるいは「専門家」
同じ虐待者に脅かされて混乱している周辺の人物
同じような虐待者によるハラスメント被害を受けており、それを受け入れているお節介な人
本質を見抜くことが出来ないのに、本当の被害者を被害者だと気づかないまま加害者だと思い込んで追い詰めるような者もいるのです。そういった真の加害者に転がされて悪影響を出しているのなら悪質極まりないことなのです。
被害者や加害者というのは表面上の見た目で判断できることではないのです。深くマインドコントロールされていたり混乱している者ほど攻撃的になったり暴力を振るっている場合もあるのです。以下の引用も読んで下さい。
マリー=フランス・イルゴイエンヌによる定義
「本物の加害者」は自身のほうが被害者だと考える。反対に、耐えかねた被害者が加害者に肉体的な暴力をふるってしまうこともよく起こる。加害者がそのように仕向けることすらある。
引用通りです。本当の被害者は相手の繰り出すモラルハラスメントを受け続け混乱し頭が真っ白になり、最後の手段かのように暴言を吐いたり暴力を振るってしまう場合もあるのです。それを引き出して、そこだけをかき集めて「はい。私が被害者」と考えるのが「本物の加害者」なのです。引用にあるよう「本物の加害者」こそが自分を被害者だと思っている、または、フリをしているのです。
そして、「本物の加害者」の自覚があるほうで、フリをした者は、自覚がない者よりも悪質です。この1番悪質な自覚があるほうで、フリをした者は演技が得意です。1番都合が良い場所を知っているのです。それが「被害者に紛れる」ということです。これが1番狡賢い演技タイプの加害者にとって都合の良い隠れ蓑なのです。
この記事でお伝えしたいことは最初に書いた、演技が得意なモラルハラスメント加害者は、被害者が自分(加害者)に執着するように上手く仕向けることがあります。といこと。ここまではこのようなタイプの加害者もいるというお話です。
そして、この演技が得意なモラルハラスメント加害者は被害者が自分(加害者)に執着するように上手く仕向けることがあるのですが、これは執着を生み出せば、傍から見たら執着しているほうがどうみても悪く見えるからです。その執着の生み出し方ですが、本当の加害者が被害者に対して「被害者が答えを出したいのに、答えを出せないことで悩ませることを繰り返す」のです。
例えばですが、被害者が大切にしているものを加害者がこっそり壊す。勿論誰がやったか特定できないように。すると被害者が大切なものが壊され傷ついているのに誰がやったかもわからない…。そして、また別の大切なものが壊される…。そしてまた特定できない。そして真の加害者は自分がやったかもしれないと被害者に仄めかす。例えば「なんか、夢で私が壊してた夢をみちゃったwwだけど私記憶ないんだよなぁ…」とか。
こういった「なんとなく、真の加害者が壊したかもしれない」と被害者が思うことを仄めかします。この時に、被害者は断定できないけど「私の大切なものを壊しているのはこいつだ!」と強く思う。それなのに尻尾を掴めない。こういったことが繰り返されていくうちに被害者は真の加害者に執着していきます。当然です。「執着するだけの理由」が被害者にはあるのですから。だから僕は過去の記事でこうお伝えしました。
「過去に執着するな」「いつまでも”親が…”とか言うなよ」このような本質を理解できない言葉に惑わされる必要はありません。執着するには執着する理由がちゃんとあります。その過去の執着の理由が解ければスーッと執着は消えます。
書いてあるように、「執着の理由が解ければスーッと執着は消えます。」ということ。先ほどの喩えの話に戻りますが、大切なものを壊され続け、特定できない。だから執着する。その執着は執着するだけの理由(大切なものを壊され続けているのに、犯人を特定していない)がちゃんとある。だから、犯人を特定し責任を追及すれば、スーッと執着は解けるのです。
真の加害者は、裁判、特定、確認を嫌がります。当然です。バレたくないからです。そして被害者は特定もしないで加害者に執着すれば、加害者からストーカー扱い、悪人扱いされます。それも当然です。やり方が間違っていますから。正しいやり方は「証拠保全」です。裁判で通用する証拠のみを集めていくのです。被害者に足りないのはそこです。それが出来ないから真の加害者に転がされてしまうのです。
なので被害者は、加害者によって執着を生み出されている状態になっているのなら、その執着を感情で表現してはいけません。執着するだけの理由があると認め、1歩1歩確かなことで戦えばいいのです。このようなタイプに転がされれしまう人が「本当の自分」を取り戻すには、このタイプの茶番劇に幕を降ろして差し上げるくらいの力が必要です。戦えない場合は兎に角離れることです。
そして「二度と関わってくるな」という思いを持つことです。生き方が違うのです。互いにそれぞれの生きる道を歩むことです。
音声もあります。
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