子供だったあなたが、誰かに不当な攻撃をされるとする。親に何を望むか。守ってほしい。助けてほしい。反撃してほしい。大体この辺りでしょう。それを自分が自分にやってあげることが必要なのです。不当な攻撃を受けたら反撃してもいいのです。いえ反撃しないことが自分への虐待になる場合もあります。
反撃というのは、相手に危害を加えなさいという意味ではありません。相手に危害を加えれば、たとえ、相手から仕掛けてきたのだとしても自分が「加害者」になります。反撃は、正当防衛にはならない可能性が高いのです。正当防衛の成立要件は「正当防衛とは何か(※外部サイト)」を見るとよく分かります。
僕がお伝えする「反撃」とは、そういう意味ではなく「ルールを守った反撃」です。ルールを守った反撃方法としては法に触れないこと。1つは「法的手段に出る」こと。このような、大人として正しい反撃方法が必要になるのです。
「法的手段に出る」には、自分自身も勉強しないといけません。そして「確かなこと」で戦っていくのですから「知識」と「誠実性」が必要になります。
「法的手段」を「子供の争い」と思っている者は、酷い無知か、または、法的手段に出られたら困る者の言い訳だったりします。法的手段は、「大人の冷静な素晴らしい解決法」です。暴力で解決しようとするのは「プロセス(過程)」を無視した未熟な解決法です。そのことは(https://bright-ms.net/post-242/)でもお伝えしましたね。
相手から嫌なことをされる。相手の行為を、確実に止める方法があります。それが「殺人」です。そんなことをしてしまえば、自分の人生も終わります。ルール違反です。ですから、世の中で認められている健全な解決法である法的措置を検討することが大切なのです。
法的手段は金がかかるから無理。そう言っている人は、何も守ることも出来ませんし、戦うことも出来ません。法的手段に出て勝訴すれば弁護士費用だって相手に請求できることもありますし、弁護士さんによっては分割の支払いにも対応してくれます。それでも「自分を守るための法的手段より、欲を満たすことにお金を使いたい」と思うのであれば、これ以上、この記事を読んでも不満しかないでないと思いますのでお閉じ下さい。
あなたが、誰かに不当な攻撃をされる。そこで、反撃に出て更に自分が不利になってしまえば、それこそ、相手の思うつぼです。だからこそ「法的手段」に出て「損害賠償請求」が大切になってくるのです。それは、1つ1つ、冷静に処理していく「プロセス(過程)」を経験することで、自分が大きく成長できるのです。
それが、この記事の最初に書いた「反撃しないことが自分への虐待になる場合もある」と繋がることなのです。「法的手段に出て反撃せず、やられっぱなし」というのは「大事な我が子を傷つけられて黙っている虐待者」ということなのです。
最初に書きましたけど、子供だったあなたが、誰かに不当な攻撃をされるとする。親に何を望むか。守ってほしい。助けてほしい。反撃してほしい。大体この辺りでしょう。これを自分が自分の親となり、自分にやってあげるのです。その方法の1つが「法的手段」です。
親や家族が守ってくれなかった。困ったときに誰も助けてくれなかった。それは「毒親」です。そして、自分が自分の親になり、自分で自分を助けないのも「毒」です。大事なことは「自分はどうするか?」です。
「自分はどうするか?」を決めれば、世代間連鎖なんて断ち切ることが出来るのです。親や家族が守ってくれなかった。困ったときに誰も助けてくれなかった。だから、自分は自分を助ける。そう決心する人は、世代間連鎖の悪い鎖を断ち切れるでしょう。
あなたの心の中の、小さなあなたを、自分で守ってあげて下さい。
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