「お前は異常者として多くの人間から白い目で見られる存在だと気づくべき」と、相手に対して、「異常者であってほしい」「白い目で見られる存在であってほしい」という願いを込めて相手に必死にレッテルを貼りたがる人がいます。
こういった人に左右されてしまう人も少なくありません。しかし、その背景を知れば左右される必要がないことがわかります。その背景とは、自分が不安だから自分を変えずに相手を変えようとするのです。自分は変わらずして相手にペタペタと勘違いをたっぷり思い込ませる為のレッテル貼りをしたいだけです。
多くの人と違うを意見を言うと必ず現れてくる「正しい根拠がないのに否定したがる人」
1、相手の意見を受け入れると自分が崩れる
2、相手の意見を受け入れないで否定する
多くの人と違う意見に遭遇した時に、上記のような選択に迫られます。そして多くの方は2の「相手の意見を受け入れないで否定する」を選びます。しかし「相手の意見を受け入れないためには理由が必要」ですが相手が間違っていない場合は正当な理由が見当たりません。ですので「理由を作ろうと理由を探して無理やり理由づけをする」のです。
無理やり理由づけをするので正しい根拠が出せないので、正しい根拠のない否定になってしまうのです。
正しい根拠もなしに「お前は異常者として多くの人間から白い目で見られる存在だと気づくべき」と、このように相手に対してレッテルを貼り「ほんのごく一部の白い目で見ている人たちだけのことを、さも多くの人間がそう見ているかのような言い方をする」のです。「みんな思ってるよ」「全員思ってるよ」と根拠も無しに誇大表現で責めていくのです・・。
そして「白い目で見る人間の正体」を知れば左右されないのです。「お前は異常者として多くの人間から白い目で見られる存在だと気づくべき」正確には「お前は理解の限度を超えた人がお前をなんとか異常者として思いたいから、理由は無いけどごく一部の冷たい人間から変な眼で見られると思い込みたいし決めつけたい」と言っているのです。
「白い目で見る」は「冷たい目で見る」「白目をむき出しにしてみる」「視線をそらす」という意味です。つまり、「お前は異常者として多くの人間から白い目で見られる存在だと気づくべき」とレッテルを貼る人は、「白目をむき出しにしながら、都合が悪いと視線をそらし、冷たい目で見たがる人」です。
こんなイメージです。
最初から温かくまっすぐな目で直視して見る気が無いから、白い目になったり視線をそらしたり冷たい目になったりするのです。たとえ異常者であったとしても温かい目で見れば良いものを、あえてわざわざ白い目で見るのは、直視できないからなのです。
物事を曲がった見方しかできないから、曲げられない、曲げにくい物事を見る場合は以下の画像のようなイメージ(心の状態のイメージで実際に目がそうなるという意味ではない)の見方になるのです。
左右される必要のない事に、左右されて傷ついてしまっている人も少なくありません。その実態を知れば傷つかずに済むこともあります。この事実を知っても、白い目で見られることが怖いと思いますか?
そしてレッテルを貼りたがる人は傷ついているのです。傷があるから、癒されたい。癒されたいけど癒される方法が分からない。分かれば変われるのです。
嘲笑とは「理解の限度を超えた」と言う意味なのです。
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