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はじめに
これは、更生前の昔の話です。
今の僕は、当時とはまるで別人です。いや、別人というよりも、真逆になったと言った方がいいかもしれません。
ただ、今こうして振り返ってみても、僕はやっぱり思うんです。
僕はめちゃくちゃ運がよかった。
子供の頃、喧嘩が強い相手に喧嘩を売られて、引くのが嫌で、包丁を持って殺しに行ったことがある。けれど包丁が折れて、相手は死なずに済んだ。
少年院から逃走した時も、僕はその時、本気で思っていた。死んでも逃げてやる。邪魔するなら、最悪、殺してでも逃げてやると。それくらいの覚悟で逃げた。けれど誰も殺さずに、結果として上手に逃げ切れた。
事故にも三回遭った。どれも、僕だけ軽傷で済んだ。
重度の薬物中毒にも陥った。けれど、そこから完全に克服することができた。
普通だったら、僕のような人間は、とっくに人生が終わっていてもおかしくなかったと思う。
普通だったら、刑務所に行っていたかもしれない。重度の薬物中毒で戻れなくなっていたかもしれない。あるいは、自分で自分の人生を終わらせていても、おかしくなかったと思う。
でも、そのどれも全部回避することができた。
もちろん、これについては、反省すべきことは反省してきたし、昔に更生もしている。自分の加害者性にも被害者性にも、どちらにも向き合ってきた。たくさんの心の問題を処理してきた。なぜ非行に走ったのか、小さい頃に何があったのか、それについても自分の中では答えが出ている。
それでもやっぱり思う。
なぜ、こんなに僕は運がよかったのか。
今の僕には、その「運が与えた猶予」という感覚があります。
ただ、その猶予は、楽なものではなかった。
その猶予期間、僕は20年苦しみました。
だから、僕にとっては、ただ運がよかったというだけでは終わらないんです。その後の20年を、僕は心の刑務所に入っていたようなものだと感じています。
そして、その20年が、僕を大きく変えた。
まるで別人のように。いや、もう真逆になるくらいに。
この文章は、その話です。
9歳の頃に何が起きたのか。なぜ非行に走ったのか。なぜ厳しさでは変われず、本気の心配だけが僕を変えたのか。なぜ逃走すら、あとから振り返ると、ただの堕落ではなかったのか。そして、薬物中毒も含めた20年の心の刑務所が、僕に何をもたらしたのか。
これは、自分の過去を正当化するための文章ではありません。
自分を被害者扱いするための文章でもありません。
むしろ逆です。
家庭環境が悪かったとしても、自分でそういう道を選んだ部分がある。そこにはやっぱり自分の悪い部分がある。なんぼそれしか抵抗する道がなかったとはいえ、支配に対して抵抗するためにはそれしか道がなかったとはいえ、そこにはやっぱり自分の問題がある。
その責任を、僕は20年かけて引き受けてきたつもりです。
だからこれは、言い訳の文章ではなく、ひとつの通過記録です。
僕がどのように壊れ、どのように変わり、どのように人間に戻っていったのか。その流れを、できるだけ自分の言葉のままで、ここにまとめてみようと思います。
第一章 僕はもともと、強い正義感を持った子供だった
今の話だけを聞くと、最初から荒れていた人間だったように思われるかもしれません。
けれど、少なくとも自分の感覚としては、そうではありません。
僕は、もともと子供の頃から、強い正義感がありました。
これはあとから自分をよく見つめ直して、振り返って、はっきりわかったことです。
もともとの僕は、汚いものが嫌いだった。理不尽なものが嫌いだった。不正とか、嘘とか、支配とか、そういうものに対して強い反発があった。子供ながらに、そういうものに対してすごく敏感だった。
良心が強かったんだと思います。
ただ、良心が強いということは、それだけ傷つきやすいということでもある。
そして、僕はその良心を、かなり小さい頃から周囲によって傷つけられていった。
家庭環境が悪かった、という言い方をすれば一言で済むのかもしれない。でも、その一言で済ませたくない感覚もあります。
なぜなら、家庭環境が悪かったというだけでは、子供の心に何が起きるかまでは伝わらないからです。
自分の中にあった、大切な感覚。信じたい気持ち。まっすぐでいたい気持ち。そういうものが、周囲の汚さや理不尽さや支配によって、少しずつ傷つけられていく。
それがどれだけつらいことか。
特に、繊細な子供にとって、それは本当にきつい。
そして、僕の場合、その流れが決定的になったのが、9歳の頃だった。
第二章 9歳で、自分の良心が傷つけられた
9歳の頃、僕は、自分の良心が深く傷つけられた。
今振り返ると、あれが大きな分岐点だったと思う。
その頃の僕は、まだ心の中に、守りたいものを持っていたんです。まっすぐでいたい気持ち、人を信じたい気持ち、まともでいたい気持ち。そういうものをちゃんと持っていた。
けれど、それがあまりにも傷つけられた。
今ならわかるんです。
僕は、良心が傷つけられたことに耐えられなかった。
ただ傷ついただけじゃない。
それに対して、無力だった。
そして、怖かった。
この、無力感と恐怖に、僕は負けてしまったんだと思う。
本当は守りたかったものを守れなかった。自分の中の大切なものを、まっすぐ持ち続けることが、あまりにも苦しかった。特に9歳という年齢では、その苦しさに耐えるには、あまりにも幼すぎた。
大切なものを持ち続けるというのは、きれいごとのように聞こえるかもしれないけれど、実際にはものすごく苦しいことです。
繊細な心で、それを持ち続ける。
周囲が汚れていても、自分まで汚れないでいる。
支配されても、ねじ曲がらずにいる。
それは、言葉で言うより何倍も苦しい。
そして僕は、その苦しさに耐えられなかった。
だから、楽な道を選んだ。
ここで言う「楽」というのは、もちろん幸せな道という意味ではない。
まともでい続けることの苦しさよりも、人生を捨てて非行に走るほうが、その時の僕にはまだ楽だった、ということです。
だから、ある意味では逃げなんです。
僕は、守り続けることから逃げた。
良心を持ち続ける苦しみから逃げた。
人間でい続ける苦しみから逃げた。
そういう意味では、非行に走ったことは、自分の中の無力感と恐怖に負けて、そこから逃げたということでもある。
ここは、今でもごまかしたくない部分です。
家庭環境だけのせいにしてしまえば、自分は少し楽になれるかもしれない。でも、僕はそこだけで済ませたくはない。
家庭環境が悪かったのは事実です。
鑑別所の面接官からも「あなたは悪い人間じゃない。家庭環境が酷すぎる」みたいなことも言われた。
けれど、その中で、自分でそういう道を選んだ部分もやっぱりある。
だからそこには、自分の悪い部分もある。
支配に抵抗する道が、それしか見えなかったとしても。
そうするしかなかった部分があったとしても。
それでも、選んだのは自分だという感覚が、僕にはある。
だからこそ、その後の20年が必要だったんだと思います。
第三章 10歳で心が折れ、13歳から19歳まで徹底して非行に走った
9歳で良心が深く傷ついて、そのあと、僕は少しずつ変わっていった。
10歳くらいで、心が折れた。
この「心が折れた」という表現が、自分の感覚としては一番近い。
何かを諦めたんです。
まっすぐでいること。
まともでいること。
傷つきながらも、自分の中の大事なものを守ること。
それを、どこかで諦めた。
そして、そこから心が変わり始めた。
もちろん、その時の自分に、こんなふうに整理して理解する力なんてないです。ただ実際には、そういうことが起きていたんだと思う。
ひねくれて、逆に行った。
もともと正義感が強かったからこそ、それが傷ついた時の反動も大きかったんだと思う。
まともな方向に傷ついた心を守れないなら、もう逆に行ってやる。
そういう流れが、自分の中で起きていた。
そして、13歳から19歳まで、僕は徹底して非行に走った。
中途半端じゃないです。
本当に徹底して悪い方へ行った。
どんどん悪くなってやろう、という感じだった。
どうせまともに生きられないなら、もう徹底してそっちへ行ってやる。
まともなものなんて信じない。
大人なんて信じない。
人間なんて信じない。
どいつもこいつも腐ってる。
そういう感じで、どんどん悪い方に行った。
当時の僕には、「厳しくされたから更生しよう」なんて発想は全く通じなかった。
罰を与えられたからやめよう、怖い目にあったから反省しよう、捕まりたくないからやめよう。
そういうのは、本当に通じなかった。
むしろ逆でした。
少年院に入ったとしても、最初のうちは本気で思っていた。
また悪いことしてやるよ。
次は特別少年院でも行ってやるよ。
本当にそういう感じだった。
ますます悪くなっていく。
どんどん悪くなってやろう。
そういう感じだった。
だから、僕の変化は、厳しさによって起きたものではない。
ここは、自分の人生の中でも、かなり重要な点だと思っている。
第四章 喧嘩、刃物、事故――それでも人生が終わらなかったという事実
非行に走っていた時代のことを振り返ると、よく生きていたなと思うことがいくつもある。
喧嘩が強い相手に喧嘩を売られて、引くのが嫌で、包丁を持って殺しに行ったこともある。
あの時、包丁が折れなかったら、どうなっていたか分からない。
相手の腹が切れた程度で済んだ。
僕は本気で刺し殺してやろうと思っていたから、腹目掛けてバスっと刺した。
相手が死んでいた可能性も十分あるし、そうなれば、自分の人生も全く違うものになっていたはずです。
でも、包丁は折れた。
相手は死なずに済んだ。
これは、自分の意思や努力でどうにかしたという話ではない。
やっぱり、運がよかったとしか言いようがない部分がある。
当時の不良は、格闘技などはほとんどやっていなかった。
なぜかと言ったら、不良の世界に格闘技は通じないから。
格闘技を習っている人間よりも、刃物を持っている人間の方が強かった。
刃物を持って相手を刺す人間の方が、圧倒的に強かった。
中学生の喧嘩は、格闘技だ、対マンだ、喧嘩には武器を使うな、など
そういうことを言いますが、中学生を超えたあたりになると、そんな漫画のような幼稚なことは通じなかった。
それが現実だった。現実は、刃物で相手を刺せる人間が一番強かった。
僕もそういった空気に感化されていたのもあり、
理不尽に喧嘩の強い奴から文句を言われひきたくないと思ったから刃物を持ち出した。
あと、事故にも三回遭った。盗んだ原付バイクで走っていたところを、車に轢かれた。
自転車に乗っていたところをタクシーに轢かれた。暴走族の集会帰りに、BMWに轢かれた。
しかも、普通に考えたらもっと大きなことになっていてもおかしくないのに、どれも僕だけ軽傷で済んだ。
一緒に事故った人間は生死の境を彷徨い、集中治療室。
こういうことが重なると、あとから振り返った時に、やっぱり思うんです。
普通だったら終わっていてもおかしくなかった。
でも終わらなかった。
だから、僕は自分の人生について、「運がよかった」と言うしかない部分がある。
ただし、それは自分のやったことが軽いとか、たいしたことじゃなかったという意味では全くない。
むしろ逆です。
本来ならもっと重大な結果になっていたかもしれない行為を、自分はしている。
そういう意味で、運がよかったという感覚は、安易な自慢じゃない。
恐ろしさを含んだ感覚です。
なぜ、あの時、人生がそこで終わらなかったのか。
子供の頃、20歳までに死ねばいいや。そう思っていた。そうなるはずだった。
なぜ、そこからまだ先があったのか。
この感覚が、あとになってじわじわ効いてくる。
そしてその「助かってしまった」という感覚が、その後の20年にもつながっていったのだと思う。
第五章 一度目の少年院――嘘を強要する大人たちへの拒絶
少年院に入った時、僕は、もともと逃げてやろうと思っていた。
でも、その思いを決定的に強くしたきっかけがあった。
それは、親に対する手紙のことです。
少年院に入って一週間、集団寮に移るための準備をする。
そこで、要はこういう感じのことを書けと言われたんです。
いい少年院に来て、いい先生たちのおかげで、僕は更生できます。
そういう感じのことを、親への手紙に書け、と。
でも、客観的に考えておかしいでしょう。
一週間で、そんな心変わりなんてするわけがない。
そんなところに入って、たった一週間で、「ここは素晴らしい場所です」「先生たちのおかげで更生できます」なんて、本心で思えるわけがない。
普通に考えたら分かることなんです。
なのに、そういう嘘を強要してくる。
僕が死ぬほど嫌いな大人がそこにいた。
このクズが。そう思った。
僕はそれにものすごく反発した。
こんなところで、更生なんかできるか。
こんな腐った大人たちのところで、変われるわけがない。
当時は、本気でそう思った。
そして、逃走した。少年院から逃走できる人間はあまりいない。
「いい子」ぶって規則を守って出ていく。
僕はそういう人間が好きじゃなかった。
中途半端に不良しやがってこの野郎なんて思っていた。
こんな「いい子ちゃん」と、嘘つき教官の中で更生なんてできるかこのやろう。そう思った。
もちろん、逃走したこと自体は良いことではない。
そこを美化するつもりはないです。
でも、今振り返ると、あの逃走には、自分でも気づいていなかった意味があったように思う。
それは、単なる「嫌なことから逃げた」というだけではない。
僕は、自分が本当に嫌だったもの、つまり偽りから逃げたんだと思う。
まだ何も変わっていないのに、変わったふりをしろ。
心から思ってもいないことを、感謝の言葉として書け。
そうやって、内面の真実より、表面上のきれいな形を優先させる。
僕は、そういうものに耐えられなかった。
当時は荒れた形でしか表現できなかったけれど、今振り返ると、あれは、自分の中にまだ残っていた良心が反応していたんだと思う。
こんなのは違う、という感覚です。
だから、あの時の「逃げ」は、マイナスの意味だけではなかった。
自分が本当に求めているものを、自分に与えようとする、一生懸命さでもあった。
偽物ではなく、本物を求めていた。
心から信じられるものを求めていた。
人間としてちゃんと接してくれる大人を、諦めきれずに求めていた。
そう考えると、あの逃走もまた、自分の人生の流れの中では意味を持っていたように思います。
第六章 少年院からの逃走と、「殺してでも逃げる」と決めていた当時の心
少年院から逃走した時、僕は本気で思っていた。
死んでも逃げてやる。
そして、邪魔するなら、最悪、殺してでも逃げてやると。
この言葉を、今の自分が書くと、あまりにも重い。
でも、当時はそれくらい切羽詰まっていた。
理性でどうこうというより、心そのものが追い込まれていたんだと思う。
その場から逃げることが、自分にとっては生きることとほとんど同じ意味になっていた。
だからこそ、そこまでの思いになった。
そして、結果として、誰も殺さずに逃げ切れた。
少年院から逃走すると、最初は少年院の関係者が捜索します。
そして、警察にも連絡が行くので、警察も最初は捜索を行います。
その後、事件を起こすと警察はより動くわけです。
事件を起こさなかったら、警察は積極的に動かないこともあります。
少年院関係者と鑑別所の人間たちが連携して捜索をしていた。
僕が逃げたときに、僕はすでに彼らの包囲網を突破していたんです。
僕の方が一枚上手で、彼らの動きを僕は読んでいて、その先を行ってたんですね。
だから横浜でも捕まりそうになったことは何度もあるけれども、僕はうまく全て逃げ切りました。
最後の最後、邪魔された時には、殺してでも逃げてやろうと思っていました。
そして当然、地元に入れるわけがなく、僕は北海道まで逃げました。
捜索している側も当然、北海道まで来ました。
北海道でも捕まりそうになったことが何度もある。だけどうまく逃げ切れている。
そんな中で、函館での有名な不良らしい人間が僕に絡んできた。
「お前が少年から逃げてったやつか」と。
そして、当時の僕の北海道の友達なんかは、そいつらが来るということを知って、そいつらが怖いらしく逃げてた。
僕はちょっと寝ていたのもあり、そこでその二人と、その部屋の中で鉢合わせになるわけですが、
その人間が僕に最初に警察に言ったということを言ってきた。
その瞬間、僕はもう、これ本当に警察来るなら、今すぐこの場から逃げないといけないと思った。
玄関の前にいるその自称有名人の不良と、もう一人。
だから僕は本当に言ったのか確認した。本当なら今すぐ刺して逃げようと思って、
自分から見て右側にある台所のところに包丁を確認したんですね。
それで刺し殺してやろうと思った。この野郎と。
その瞬間、「嘘だよ、ごめんねー」とその不良が言い始めた。
結果としては、警察に言っていなかった。
だから僕はここでも人を殺さずに済んだんです。
この場面では、相手が本当にもしも警察に言っていた場合は、僕はこの2人、もしくは1人を刺していたわけですよ。
もしも警察には行っていなかったとしても、その後の流れで僕に対して何かをしてきたのであれば、
僕は少年院から逃げてる身であるわけであって、何でもできるわけですから。
だけどそうならずに済んだ。
ここも、やっぱり思うんです。
運がよかった。
世の中、誰も好き好んで相手を刺したいなんて人はいないはず。当然、僕もそう。
もしあの時、ほんの少し歯車が違っていたら、誰かが死んでいたかもしれない。そうなっていたら、自分の人生も、その先の更生も、全部違っていた。
だから、僕はここを軽く書けない。
誰も死ななかったことも、自分がその先に進めたことも、運がよかったとしか言いようがない。
ただ、ここでもやっぱり大事なのは、それをもって自分を免責しないことだと思っています。
運がよかった、で終わらせないこと。
あの時、自分の心がどれだけ荒れていたのか、どれだけ危うかったのか、その現実をちゃんと見ること。
そのうえで、それでも人生が終わらなかったことを、あとからどう受け取るか。
僕にとって、それは「猶予」だったんだと思います。
第七章 移送された先で、本当に求めていた大人に出会った
逃走のあと、僕は移送になった。
そして、その移送された先の少年院に、僕が本当に求めていたまともな大人がいた。
これは、自分の人生の流れの中で、決定的だったと思う。
それまでの僕は、人間不信だった。
大人なんて信じていなかった。
口ではきれいごとを言っても、本心では違う。表面だけ整えて、中身は腐っている。そういう大人ばかり見てきたし、そういうふうにしか思えなくなっていた。
だから、厳しくされたところで何も響かない。
むしろ反発するだけだった。
でも、その移送先で出会った先生は違った。
その人は、本当に心から心配してくれた。
後から振り返って思うことだけど、あの人は人格者だったと思う。
もちろん、その場ではそこまで整理して分かっていたわけじゃない。
ただ、関わりの中で、少しずつ伝わってきたんです。
この人は、本気なんだ、と。
この人は、仕事として形だけやっているんじゃない。
この人は、自分をちゃんと人間として見ている。
そのことが、すぐに分かったわけではない。
そこが大事なんです。
僕は、すぐには信じられなかった。
当然です。
それまでの蓄積があるから。
人を信じて傷ついた蓄積、人間不信の蓄積、良心が傷つけられてきた蓄積があるから、そんなに簡単に心は開かない。
でも、その先生は、真剣に向き合ってきた。
本気で関わってきた。
本気で心配してきた。
その経験を、僕は半年間かけて体験した。
ここも、自分にとってはすごく重要です。
一回優しくされたから変わったとか、そんな単純な話じゃない。
半年かかってるんです。
真剣に向き合ってくる人がいて、その関わりが積み重なって、その中でようやく、人間不信が少し溶けてきた。
そして、こういう大人もいたんだ、という衝撃を受けた。
それで、心変わりした。
その時のことを歌詞にして。Suno AIに歌ってもらった曲、
それが、今この記事の上部で再生できる曲なんです。
第八章 厳しさではなく、本気の心配だけが僕を変えた
僕が悪いことをやめたいと思えたのは、厳しさのおかげではない。
ここは、何度書いても足りないくらい大事なところです。
「捕まりたくないからやめる」
「怖いからやめる」
「厳しくされたから反省する」
そういうことでは、僕は変わらなかった。
そういうものは、僕には通じなかった。
最初の頃なんて、少年院に入っても懲りないどころか、また悪いことしてやるよ、と本気で思っていた。
次は特別少年院(久里浜)でも行ってやるよ、くらいの感じだった。
ますます悪くなってやろう、という感じだった。
それくらい、僕はひねくれていたし、荒れていたし、壊れていた。
だから、僕を変えたのは厳しさじゃない。
本当に心から心配してくれる大人がいたという、その体験です。
これが、僕には初めてだった。
本気で関わってくる。
本気で心配してくる。
人間として接してくる。
なんでこいつは俺のことを考えて泣いてるんだろう。
そのことを、時間をかけて体験した。
だからこそ、自然な変化が起きた。
ここで大切なのは、「我慢してやめよう」と思ったわけではないということです。
そうじゃない。
自然に、悪いことをやりたくなくなってきた。
これは大きい。
無理して抑えたんじゃない。
外から押さえつけられたんじゃない。
内側の流れが、少しずつ変わったんです。
まともな方で頑張ることの楽しさ。
嬉しさ。
喜び。
そして、僕が信じることができなかった不良以外の生き方の方に、「人」がいたということを実感した。
そういうものを知り始めた。
そして、それは自分にとって、生まれて初めての喜びだった。
これも、ものすごく大きい。
それまでの自分は、まともに生きる喜びを知らなかったんです。
だから、まともな方へ行く動機も持てなかった。
でも、そこで初めて、そっち側の喜びを経験した。
その結果、流れが変わった。
僕は19歳で、悪いことをやめようという方向に、少しずつ傾き出した。
ここでも「少しずつ」というのが大事です。
劇的に一瞬で変わったわけではない。
流れが変わったんです。
人生の向きが変わり始めた。
それが本当のところです。
第九章 少年院を出たあとも、まともな道は簡単ではなかった
少年院の中で流れは変わった。
でも、出たあとすぐに、全部がきれいに変わったわけではない。
その後も、少し悪い方に戻りそうになったことは何度もあった。
少年院から出てからも、基本的に悪いことはしなくなったけれど、薬物に逃げたりとか、いろいろとあった。
当たり前です。
13歳から19歳まで、徹底して非行に走ってきたんです。生き方の癖も、考え方の癖も、人間関係も、全部そういう流れの中にある。だから、向きが変わり始めたとしても、すぐに安定するわけじゃない。
実際、暴力団の組織に無理やり連れて行かれて、そこに入れられそうになったこともある。
そういう危うい流れの中に、まだ自分はいた。
このままヤクザになろうかなと悩んだこともあった。
でも、最終的には、僕はそっちの道に行かなかった。
やっぱり、自分の心が望む方に行った。
まともな道へと行った。
ここも、自分にとっては大きい。
昔の自分なら、そっちに流されていた可能性は十分ある。
でも、もう心のどこかが、そっちを望まなくなっていた。
まともな方へ行きたい。
人間らしい方へ行きたい。
本当に自分の心が求める方へ行きたい。
その流れが、確かに生まれていた。
まともな世界に、僕のことを心から心配してくれた存在。それが心の中にあったからこそ、引き返せたと思う。
ただし、そこから先がまた大変だった。
非行をやめることと、心の問題が終わることは、全く別だからです。
僕はその後、薬物中毒にも陥った。
そして、それを含めた長い苦しみの時期が始まった。
それが、僕の言う心の刑務所の20年です。
第十章 薬物中毒と、そこから完全に克服するまで
僕は、その過程で重度の薬物中毒にも陥った。
このことも、軽くは書けない。
薬物というのは、ただ「悪いことをした」というだけでは済まない。身体にも心にも深く入り込んでくるし、人間そのものを壊していく力がある。
そして、薬物中毒に陥る背景にも、当然、心の問題がある。
ただ快楽を求めて、という単純な話ではない。
自分の中の苦しさ、空洞、傷、耐えがたさ、そういうものがあって、そこに薬物が入り込んでくる。
だから、表面だけやめても、根本はなかなか終わらない。
でも、僕はそこから完全に克服することができた。
これもまた、振り返ると、よく戻ってこられたなと思う。
普通だったら、重度の薬物中毒でそのまま戻れなくなっていてもおかしくない。
でも、戻ってこられた。
ここにもやっぱり、運の要素はあると思う。
ただ同時に、それだけではなく、自分の中に戻ろうとする力もあったんだと思う。
生きる方へ、まともな方へ、本当の方へ戻ろうとする力。
それは、少年院での出会いも大きかったと思う。
人間としてちゃんと扱われた経験。
本気で心配された経験。
まともな方へ行く喜びを初めて知った経験。
そういうものが、自分の中のどこかに残っていたから、最後まで完全には壊れ切らなかったのかもしれない。
とはいえ、克服までの道のりは簡単じゃなかった。
そして、それも含めて、僕にとっては長い服役のような時間だった。
第十一章 心の刑務所の20年
僕は、自分のその後の20年を、心の刑務所に入っていたようなものだと考えています。
この表現が、自分の感覚として一番近い。
外から刑を受けたわけではない。
でも、自分の内側で、自分のやったこと、自分の壊れ方、自分の傷、自分の責任、それら全部と向き合い続ける時間だった。
逃げずに、向き合う。
ごまかさずに、見る。
自分の加害者性にも、自分の被害者性にも、両方向き合う。
これは、簡単なことじゃない。
たいてい人は、どちらかに逃げる。
全部、自分が悪かったとだけ言って潰れるか。
あるいは、全部、環境のせいだと言って逃げるか。
でも、自分の中で本当に整理していくには、その両方を見ないといけない。
家庭環境が悪かった。
良心が傷つけられた。
無力感と恐怖に負けた。
それは事実。
でも、その中で、自分でそういう道を選んだ。
そこには、自分の悪い部分もあった。
それも事実。
この両方から逃げないでいること。
些細なことで、衝動的な怒りが爆発して、人を殺しそうになったことが何度もあった。
だから僕は人との関わりを遮断した。
それが自分にとっても、相手にとっても、社会にとっても良いことだった。
そして、その選択は間違ってなかった。僕は人を殺していないから。
世の中、衝動的な怒りが爆発して人を殺す人間なんて山ほどいる。
相手を殺すという、これはある種の逃げです。
それをやるのは簡単です。自分の人生を諦めればいいだけですから。
僕はその一線を超えることなく、自分で自分をちゃんとコントロールした。
そのコントロールの限界を迎えて、コントロールができないはずの中のコントロールだった。
だから僕は自分に対してよくやった。
よく頑張った。
そう思っている。
それが、僕にとっての20年だった。
僕は、その20年の中で、たくさんの心の問題を処理してきた。
なぜ非行に走ったのか。
小さい頃に何があったのか。
自分は何を守れず、何から逃げ、何を求めていたのか。
どうしてあれほど壊れたのか。
どうして厳しさでは変われず、本気の心配にだけ反応したのか。
そういうことを、一つ一つ見つめてきた。
ここに書けばキリがないこともたくさんやってきた。
向き合い続けてきた。
だから、この20年は、ただ苦しかっただけではない。
成長にもつながった。
変化にもつながった。
僕はその20年で、大きく変わった。
まるで別人のように。
いや、真逆と言った方が近い。
昔の自分とは、価値観も、怒りの扱い方も、人の見え方も、傷の意味づけも、生きる方向も、全部が大きく変わった。
そして、それはただ表面的に落ち着いたという話ではない。
もっと根本のところが変わった。
傷ついた良心が、長い時間をかけて、元の方向を取り戻していった。
僕にとって、この20年は、そういう時間でもあったんだと思う。
第十二章 僕はなぜ非行に走ったのか――逃げだったということ
今ならはっきり言えます。
僕は、非行に走った。
それは、ある意味では、逃げだった。
もちろん、単純な意味ではない。
ただ楽をしたかったとか、ただ遊びたかったとか、そういう浅い意味ではない。
もっと深い意味での逃げです。
良心を守り続ける苦しさから逃げた。
無力感と恐怖に押しつぶされることから逃げた。
傷ついたまま、人間でい続けることから逃げた。
そういう意味で、僕は逃げたんだと思う。
そして、その逃げ方が、非行だった。
だから、ここは美化しない。
やむを得なかった部分があったとしても、それで全部を正当化する気にはなれない。
でも同時に、ただ「自分は悪かった」で終わらせることも違うと思っている。
なぜなら、そこには、子供の自分が耐えきれなかった現実があるからです。
9歳で、自分の良心が傷つけられる。
それに対して無力で、恐怖を感じる。
それでもなお、まともでい続けろと言われても、それはあまりにも過酷だと思う。
だから、僕は今、自分に対してこう思う。
あの時の自分は、確かに間違った。
でも、ものすごく苦しかったんだ、と。
そして、その苦しみを引き受ける形で、その後の20年があった。
だから僕にとっては、その20年は、単なる後悔の時間ではなく、ある種の贖罪と再形成の時間だったのだと思う。
9歳の頃の僕は臆病で、自分の良心を一人で守れず、逃げた。
そして長い時間をかけてその良心と倫理を取り戻した。
もう二度と見捨てることはない。
第十三章 逃走もまた、本物を求める一生懸命さだった
僕の人生を振り返る時、ひとつ大きいのは、逃走の意味です。
当時の僕は、「こんなところでは変われるわけがない」と思って逃げた。
そして実際、それはただの反抗に見えたと思う。
でも今振り返ると、あれはただの堕落ではなかった。
僕は、偽物ではなく本物を求めていたんだと思う。
本当に心から信じられるもの。
本当に人間として関わってくれる大人。
本当に変われる関係。
そういうものを求めていた。
そして、そこが満たされない場所から、僕は逃げた。
だから、あの逃げには、マイナスの意味だけではなく、
自分が本当に求めているものを、自分に与えようとする一生懸命さ
があった。
もちろん、それは当時の僕の中で、歪んだ形でしか表現できなかった。
危険な形でもあった。
人を傷つけかねない形でもあった。
でも、その根っこまで見れば、僕は諦めていなかったんだと思う。
本当のものを、まだ求めていた。
良心は傷ついていた。
ねじれていた。
でも、完全には死んでいなかった。
だからこそ、移送された先で本物に出会った時、自然な変化が起きた。
もし本当に全部が死んでいたなら、あの出会いにも反応しなかったと思う。
でも、僕は反応した。
時間はかかったけれど、心が動いた。
そこに、自分の人生の希望があったんだと思う。
第十四章 僕を変えたのは、罰ではなく、人間として扱われた体験だった
僕の経験から言えることがひとつあるとすれば、それはこれです。
人は、壊れているほど、罰では変わらないことがある。
不良に罰を与えて変わりますか?
中途半端にやってる不良は罰を与えて変わると思います。
そう、中途半端じゃない人たちに罰を与えたって変わらないですよ。
僕はそこまでではないにしろ、
少なくとも僕はその方向性に軽く足を踏み入れていた側だった。
厳しさは通じなかった。
脅しも通じなかった。
恐怖も通じなかった。
それらは、表面を押さえつけることはできても、心の向きを変えることはできなかった。
僕を変えたのは、人間として扱われた体験でした。
本気で心配してくれる大人がいた。
この人は、自分をどうにか管理しようとしているんじゃない。
この人は、自分を一人の人間として見ている。
そのことを、時間をかけて体験した。
すると、少しずつ心が変わった。
悪いことをやりたくなくなってきた。
まともな方で頑張ることに、少しずつ喜びを感じ始めた。
当然、すぐに深い喜びを感じたわけじゃない。なんとなく、うっすらと感じ始めたということ。
こういう変化は、外から押し込まれて起きるものではないんだと思う。
内側から自然に起きるものなんだと思う。
そして、それを起こすのは、本物の関わりなんだと思う。
僕の話は、厳しさによって更生したという話ではない。
本当に心配してくれる大人との出会いによって、人間不信が溶け、自然な変化が起きた話です。
ここは、自分の人生の中でも、特に大切にしたい部分です。
第十五章 今振り返ると、あの20年は無駄ではなかった
僕は、その後の20年を、心の刑務所のように感じている。
それは事実です。
でも、今振り返ると、その20年は無駄ではなかったと思う。
ただ苦しんだだけではない。
その中で、自分は変わった。
成長した。
自分の責任も、自分の傷も、少しずつ引き受けられるようになった。
昔の自分から逃げずに、その自分を見つめ直して、どこで何が起きたのかを整理していった。
その結果、僕は大きく変わった。
だから今は、自分の人生をこう思っている。
運がよかった。
だけど、それだけじゃない。
運が与えた猶予を、20年かけて引き受けた。
そういう感じです。
でも、その後をどう生きたかは、それだけでは説明できない。
僕はその猶予の中で、心の刑務所に入り、自分を作り直した。
だから、助かった人生を、ただの偶然で終わらせずに済んだのだと思う。
傍から見れば、ただの田舎で暮らしている、単なるどうしょもない人間に見えるかもしれない。
それも当然だと思う。
だけど、その、僕側のその背景にはものすごい深い物語があるわけです。
助かったこと自体は、運だったのかもしれない。
おそらくは人生が終わっていたのが当然の人生だったのに、助かって生きている。
それだけでも奇跡に近いことだと思う。
第十六章 全体をどうまとめるか
ここまでの自分の人生の流れを、全体としてまとめるなら、僕はこう言いたい。
僕はもともと、子供の頃から強い正義感を持っていた。
けれど9歳の頃、あまりにも自分の良心が傷つけられた。その苦しさと無力感と恐怖に耐えられず、10歳くらいで心が折れ、13歳から19歳まで徹底して非行に走った。
ただ、厳しさでは僕は変わらなかった。むしろ反発するだけだった。
少年院では一度逃走もした。けれど、その逃走すら、あとから振り返ると、偽りではなく本物を求める一生懸命さでもあった。
そして、移送された先で、本当に心から心配してくれるまともな大人に出会った。その関わりを半年かけて体験する中で、人間不信が少しずつ溶け、自然に悪いことをやりたくなくなっていった。
まともな方で頑張る喜びを、生まれて初めて知った。
その流れが、19歳以降の自分を変え始めた。
しかし、その後も薬物中毒を含め、心の問題との長い格闘が続いた。
その20年は、僕にとって心の刑務所の20年だった。
でもその20年の中で、僕は自分の加害者性にも被害者性にも向き合い、たくさんの心の問題を処理し、まるで別人のように、いや真逆になるくらいに変わった。
だからこの人生全体は、
9歳で傷ついた良心が、非行と逃走と薬物中毒と20年の心の刑務所を通って、長い時間をかけて元の方向を取り戻していく物語
だったのだと思う。
これが、今の僕の答えです。
おわりに
僕は、自分の過去をきれいに言いたいわけではない。
むしろ、かなり危ういところを通ってきたと思う。
人を殺していてもおかしくない場面があった。
みっともない自分もたくさんいる。
自分の人生が終わっていてもおかしくない場面があった。
刑務所に行っていてもおかしくなかったし、薬物中毒で戻れなくなっていてもおかしくなかった。
それでも、全部回避することができた。
だから、僕はやっぱり思うんです。
運がよかった。
でも、その運は、ただのラッキーではなかった。
そのあとに20年の苦しみがあった。
20年の心の服役があった。
20年の見つめ直しがあった。
そして、その中で、自分は変わった。
もしこの文章にひとつ題をつけるなら、やっぱりこれになると思います。
9歳で傷ついた良心と、心の刑務所の20年。
それが、僕の人生の流れを一番よく表していると思う。
過去は消えない。
やったことも消えない。
心の傷も消えない。
でも、人は変わることがある。
厳しさではなく、本物の関わりによって。
罰ではなく、人間として扱われることによって。
人間扱いされずに傷ついて逃げた僕が、
人間扱いによって再び人間の道に戻ろうとした。
そういう物語だったのです。
そして、助かった人生を、そのまま無駄にせずに引き受けていくことによって。
僕は、そのことを自分の人生で知ったんだと思います。
だから今は、この過去を、通過記録として見ています。
大事なものを失ったことに対する強い感覚の一部。
壊れたまま終わらなかった記録。
傷ついた良心が、遠回りしながらも、元の方向へ戻っていった記録。
そして、心の刑務所の20年を経て、ようやく人間に戻っていった記録として。
以上が、今の僕が自分の人生を振り返って、できるだけ正直にまとめた記録です。



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