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突然の事故を防いでくれた親の愛:視点を変えて恨みを感謝へ・・・(十分視点〜飢えた餓鬼からの脱却)

突然の事故を防いでくれた親の愛:視点を変えて恨みを感謝へ・・・(十分視点〜飢えた餓鬼からの脱却) 成長(3)

「事故を防ぐ、それも愛。」

「細部に宿る、大いなる愛。」

「未来への予防線」

はじめに:

書籍「親への恨みはでっち上げ」には、僕の個人的な体験から気づいた最も重要なことを書いています。僕自身も親を恨んだことがあります。そしてその恨みを乗り越えて、区別をした上での感謝の気持ちを持つことができるようになりました。それは自分自身の内面が大きく変わったからでした。

この記事では、その「変化した内面」の1つについてお伝えします。

  • 著者は自身の経験から親への恨みを乗り越え、感謝の気持ちを持つに至った過程を紹介しています。
  • 人間には避けられないヒューマンエラーが存在し、その結果として日常生活で事故が発生する可能性があることを指摘しています。
  • 日々の細部への注意を怠ることなく、事故の予防に努めることが真の愛情であると著者は説明しています。
  • 「親」や「管理者」にとっては、予防措置と細部への注意が特に重要であり、これを実践することが突然の事故を防ぐことにつながります。
  • 真の愛情は、細部に気を配り、事故の元をいち早く除去することで、命を守る行為に他ならないと強調しています。
  • 著者は、自己の変化と成長を通じて、愛情の深さを理解し、他者への感謝の心を育てることができるようになったと述べています。
  • 人間の欲求は底なしであり、心が「飢えた餓鬼」状態にあると、常に何かを求め続けるが、本質的には既に十分な愛情を受けているという視点の重要性を説いています。
  • 親を親としてではなく、人間として理解することで、恨みを超えた感謝の心が育つと語っています。

そして、「事故を防ぐ、それも愛。」「細部に宿る、大いなる愛。」「未来への予防線」というキーワードは、愛情の真実の意味と、それがどのようにして人の成長や予防措置に関連しているかを象徴しています。

(ChatGPT4.0より)

事故とヒューマンエラーの避けられない現実

例えば日常生活で発生しうる、意図しない事故の例の一部として下記があります。

・大切な我が子を不注意で車で轢いて死なせてしまう
・大切なペットを家の中の事故で怪我させたり死なせてしまう

こういったことは人間が生きていれば常に起きてしまう可能性があることです。人間は「ヒューマンエラー(人間が原因で発生する事故やミス等)」が当たり前にある生き物ですから、それを常に認識し、修正や改善をしながら生きる必要があります。

日々の細部への注意を怠り、これを軽視し、安易に考えているところに「突然の事故」が起きてしまうことがあります。細部を見ている人間からすると「起こるべくして起こったこと」とわかるのですが、細部を見ていない人からすると、「そんなつもりじゃなかった……、なぜだ……」となってしまいます。

親としての予防措置と細部への注意

今僕がお伝えしたことは、「親」や「管理者」としてとても重要なことです。これをしっかり認識し、意識して、予防意識と問題意識をもって細部を見て、予防に力を入れているからこそ、「突然の事故」を防ぐことが出来るのです。僕はこれを「愛情の一部」と呼んでいます。巷では美徳の言葉を並べ、口先だけの綺麗事を愛と呼ぶこともありますが、僕はそれを否定します。本当の愛は、「サヨナラ・モンスター」の教材本編、「7、7、愛と感謝を感じる」でお伝えしたように、知恵や知識ありきです。

親の視点の理解と自己の変化

そして前記したことの意味がわかるようになってきて、自分自身が「突然の事故」を予防する視点で物事を見ていけるようになってくると、ようやく「親の視点」で物事が見えてきます。その視点で物事を見れるようになると、「突然の事故」を防ぐことが、如何に大変であり、本当の心や愛情がないとできないことかがわかってきます。つまり本当の愛があるからこそ、無意識のうちに細部を意識し、細部にある「突然の事故の元」にいち早く気づき、それを事が起こる前に除去することが出来るのです。そして「突然の事故」を防ぐことができます。

「突然の事故」は、そのプロセスに気づいていないから突然起こったように見えるのです。

愛情の真実と生き延びる意味

あなたが今生きているということは、誰かが細部を見て、そして守ってくれていたからなのです。つまりこの視点や観点で観れば、今生きている人は誰もが誰かからの愛をしっかり受けているということです。だから生きてこれたのです。もし親からの愛がなければ、あるいは足りなければ、事故に遭って亡くなっていたかもしれません。

恨みから感謝への視点転換

3歳、または5歳以前の記憶はほとんどないことが多いですが、その記憶がない頃に、命に関わる事故に遭っていないから、僕は生きてこれたわけで、それが理解できたことで、自分は十分過ぎるくらいの愛情をもらっていたんだとわかって納得ができました。

愛情欲求に飢えた餓鬼

人間の欲望は底なし沼のようなものです。食欲も性欲も、愛情欲求も、欲すればキリがありません。人間の持つ欲求には本質的に満たされることのない側面があります。これらは生きるために不可欠な欲求で、個人の幸福感や満足感を高めるために重要な役割を果たしますけど、過度に追求すると心身の健康に悪影響を及ぼすこともありますし、中毒や依存症、その他の様々な問題を引き起こすことがあります。

ではどうしたらいいか?

それがこの記事でお伝えした「十分だ」と気づくことなのです。

なぜ「十分」足りているのに、足りていないと思うか? それは「飢えた餓鬼」だからです。

愛情欲求に飢えた餓鬼

愛情欲求に飢えた餓鬼

これは悪口で言っているのではなく、心の成長段階を表す意味で僕は使っています。人間の成長を十段階くらいで表すとするなら、「飢えた餓鬼」は下から2番目くらいです。

心理的な成長:視点転換

恨みや苦しみなどを通し、心理的に成長して、与えてもらうことに対し「十分だ」と思えるようになれば、心が自由になります。そして与えてもらう側ではなく、与える喜びを知り、本記事でお伝えしたヒューマンエラーの修正や改善、突然の事故が起こるプロセスの細部に1つでも多く気づき、予防意識と問題意識をもって突然の事故(不幸)を防ぐようになると、物事を見る視点が沢山変わります。そうやって親や管理者の視点を養いながら更に成長していきます。その成長と共に、感謝の心も育ってくるのです。

おわりに

あなたにも大切な人や、ペット、あるいはお子さんなど、何か守らないといけない存在がいると思います。与えられる側ではなく、与える側になり、そしてより多くの細部を俯瞰して観て、起こるべくして進んでいる物事(突然の事故など)を見抜いて見極めて(全ては無理ですが、1つでも多く予防することは可能)、そこに問題意識と予防意識をしっかりもって防ぎましょう。これにより培われる能力が「本当の愛」であり、それを自分で育んだわけですから、創れる自分になったということです。愛情欲求を貪るように親などに求める必要がなくなります。

これらを経て、親を親としてではなく、1人の人間、苦労して生きてきた人間として観ることができるようになります。それが恨みを消す力となり、感謝の心を育ててくれるのです。

こうして人間は、「飢えた餓鬼」から脱却できます。

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