これは一部の人のことですが、人を嘲笑う人は「理解の限界を超えました」という心理です。理解出来ない事を隠すために嘲笑うことで、自分のほうが上だとイメージして思い込む場合もあります。そして相手よりも自分が上だと思い込むのです。
嘲笑うというのは「人を馬鹿にして笑う」とか「せせら笑う」ということなどです。そして馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味するのです。道理が分からない、事実でないことを事実だと思い込むことを迷妄と言います。
つまり、嘲笑う人自身が迷妄で、事実ではないことを事実だと思い込んでいるので、正しい理解が出来ない自分を認めたくないので、その嘲笑う迷妄である思い込みが、相手に投影されて相手を馬鹿にしてしまうのです。
「馬鹿にする」
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「相手を無知や迷妄だとする」
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「完全な無知や迷妄はいないのに不安だから」
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「相手を無知や迷妄だと思えるようにする」
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「相手を無知や迷妄だと思えるように正しい根拠のない妄想でそう思うようにする」
このように相手を嘲笑う人は、相手の良いところや、まだ知らない部分などを理解出来ないため、自分の理解の限度を認めたくないので、相手の一部分だけを見て無知や迷妄だと思い込んで安心をしようとするのです。
理解することは癒しになるので、人を癒せる人は相手の深いところまで理解が出来ますので、馬鹿だと思う必要性は全くないのです。人には必ず眠っている素晴らしい個性があるので「相手を無知や迷妄だと思えるように正しい根拠のない妄想でそう思うようにする」こと自体が不要なのです。
大事なことは嘲笑う人が何故「理解の限界を超えてまで無理しようとしているか」です。そこの辿ると幼少期などに、知らないことが悪いことだと何度も刷り込まれて思い込んでしまっている過去などがあり、そのことが辛いので忘れようとしていることもあります。そういった相手にも過去の心の傷があるとわかってくると嘲笑されても傷つきにくくなれるかもしれません。
そして、嘲笑をする人も、本当の自分に気付くことで「嘲笑う必要のない自分」を取り戻すことが可能になります。みんな傷ついているんです(#^^#)
中々、嘲笑されたりすると思えないことだと思いますけど、妄想とは、傷ついてしまう人の心の拠り所になっているのです。
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