我々は、何の確認も出来ません。確認のしようがないのです。ですので何も判断が出来ない立場なので、判断が出来ない以上、特定の誰かのことを公然の場で勝手に語ることは出来ません。勝手に語ることでこちらが犯罪者になる場合もあるため、です。特定の人を傷つける恐れのある反応は出来ないのです。
そして、この「区別」が本当に大事なことなのです。「表現の自由(外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由、Wikipediaより引用)」と「特定の誰かを指すこと」は、まったく意味が違うことなのです。後者は人を傷つける恐れのあることで犯罪になることもあります。
例えば「ハラスメント加害者ムカつく」というのは、特定の誰かを指しているわけではありません。表現の自由の範囲内です。「表現の自由(外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由、Wikipediaより引用)」に記載があるよう「外部に感情などを表現」は認められている権利。
そして、我々も「表現の自由(外部に向かって思想・意見・主張・感情などを表現したり、発表する自由、Wikipediaより引用)」にあるよう、思想、意見、主張、感情を、自由に、権利の範囲内で発信しています。特定の誰かを傷つける意図は一切ない。「傷ついた」と言われたなら、それは相手の問題です。
「ハラスメント加害者ムカつく」というのは、特定の誰かを指しているわけではなく「表現の自由の範囲内(外部に感情を発表する自由)」です。しかし、「住所〇〇の実名〇〇はカルトだ」と虚偽で悪評を公然の場に書いたとする。これは犯罪に該当するでしょう。個人を特定出来る状況で虚偽を晒したから。
我々が発信していることは表現の自由の範囲内です。それは認められている権利です。そこに近寄ってきて、ぶつかってきて「ほらぁ、傷ついたぞ、どうしてくれる?」と迫ってくるのは、でっち上げています。「自分からぶつかってきて、骨折れた、慰謝料よこせ」というのと、そっくりです。
(https://twitter.com/moral88887777/status/934259100975742976)にあるように、すり替えてくる加害者もいます。で、こういった情報はとても少なかった。非常にバランスが悪いと感じた。そこで、我々は、少し違う視点からの情報も必要だと思い、発信しました。偏りが減り、バランスが少し整うのだと思います。
ストレートタイプの加害者は勿論、害を加えたのであれば加害者です。その加害者を擁護する気はありません。しかし、どうして、陰でコソコソ害を加えている立派な加害者は、嘘と演技と涙を流すだけで、それでチャラになるのか。我々はおかしいと思ったのです。ですので、足りない情報を発信しました。
すると
1、心救われました!モヤモヤがスッキリしました!という声
2、嫌がらせ
この2つの「反応」が最初ありました。
我々が思うことは「2」も自分の加害者性と、向き合わないといけないということ。「1」と「2」は真逆のタイプ。被害者の部分は勿論、癒すことも大切。
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