自己憐憫に関してはマイナスイメージが強いですが、どんな物事も、良い面もあれば悪い面もあります。自己憐憫も同じで、良い面もあります。そんな自己憐憫の良いところを書いた電子書籍「自己憐憫からの脱出(克服)」に、また高評価(星五つ)が届きました。
僕の場合は、自己憐憫の感情を感じたからこそ、それが良い方に作用し、自分のプラスになりました。もし、自己憐憫を感じていなければ、僕は今でも、人を傷つけることに対し、何も感じない、或いは感じることが少ない人間のまま(心を麻痺させたまま)だったかもしれません。
電子書籍の中で、僕自身、自己憐憫の感情を感じたからこそ変われたことについて書いていますが、 自己憐憫の大切さ、、、これが広まれば、世の中から虐待、や犯罪が減ったり、自分のことを深いレベルで大切に思える人が増えると僕は思っています。多くの人が、自己憐憫を通して人間的に成長すれば、他の人を傷つけることが減るはずです。その為にも、この電子書籍に書いたことが広まって欲しいと思っています。
僕が危険だと思っているのは、「自己憐憫は悪い!」という風潮です。これは、ありのままの感情を感じることをさせない働きとなる場合があります。つまり、心に蓋をしてしまうということ。それにより、感情が未消化となり、心の奥に蓄積して、それが複合感情となり、肥大化し、問題を生み出すようになってしまう場合もありますから、それが「大きな問題や事件」に繋がってしまう可能性があると思い、危険だなと思っています。勿論、自己憐憫に浸り続けてしまい、自分自身が腐ってしまってはいけません。
自己憐憫を感じることでダメになっていく人もいれば、逆に良くなっていく人もいる。この違いは何なのか、それが「無意識レベルの目的」です。自己憐憫が人を良くするか悪くするかではなく、その感情を感じる目的、そこが重要な部分なのです。自分をダメにする目的を持っている人が自己憐憫を感じていればダメになると思いますし、自分を育てていく目的がある人なら、自己憐憫を感じることで、自分の心を育てることも出来ます。結局、自分の目的次第なのです。心理学三大巨頭の1人アドラーは、「感情には隠された目的がある」と言いました。感情は、目的達成のための使うものなのです。自己憐憫という感情をどのように使って目的に繋げるか、それは人それぞれなのです。
電子書籍「自己憐憫からの脱出(克服)」に書いたこと、これを通して、自分や周りの人を大切にする目的、、、そのような目的を持ち、その目的のために自己憐憫の感情を使用していけたら、きっと、深いレベルの憐憫、憐み(人の痛みを理解して、相手に何かしてあげたいと思う気持ち)に繋がっていくと思います。これは人道的なものです。憐憫は、人道的な方へ促してくれる感情なのです。
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