今回のテーマは「憎い毒親を許さないといけないのか?」です。毒親に育てられた経験のない方や、現時点で毒親の方、隠れて虐待をしている人などには不快になる記事だと思います。
よく中途半端な人間が、毒親から傷つけられた人に対して「早く親を許せるようになりましょうね」なんて言葉をかけることがあります。そして更に毒親に育てられた人は傷を深めることになるのですが、「早く親を許せるようになりましょうね(内心:いつまでも親のせいにしてるイタイ奴めっw)」と言葉がけをする者は、これは早い話、とんでもない言い方です。無知で何も知らないから出てくる言葉であって、比較の上で安心しようとしているのです。ですから受け入れる必要はまったくありません。ゴミ箱にポイッと捨てると良い価値観です。
まず「許す」という言葉の意味すら勘違いしています。「許す」と言うのは「許可する」という事です。「見てみぬふり」する事や「相手を無許可で通過させる」ことではありません。
つまり、毒親からの精神的な嫌がらせを許すという事は「毒親からの精神的な嫌がらせを受けることを許可する」という事です。言葉は悪くなりますが、アホじゃないかと思います。究極のマゾなのかアホなのか。どこの世界に毒親からの精神的な嫌がらせを受けることを何の対処できずに許可する必要があるのかってことです。如何でしょうか。勘違いが解けましたでしょうか。
むやみやたらに「早く親を許せるようになりましょうね(内心:いつまでも親のせいにしてるイタイ奴めっw)」というのは悪い支配者なのです。モラルハラスメント加害者などが、人の心の権限を奪う時に「早く親を許せるようになりましょうね」と言い、外部の影響を許可させようとする場合もあるのです。それがモラルハラスメント加害者の常套手段です。
パソコンで考えると簡単に理解できるでしょう。自分が管理者権限を持っているパソコンを使用し、外部の者から攻撃を受けたとします。そこでセキュリティソフトも解除し、アクセスも許可したらどうなるか?その上で、大事なお金が入っているネットバンキングを利用していればどうなるか?そのうちお金が盗まれます。心もそれと同じことです。
心に細工をしたり攻撃をしたり搾取をしたり騙したりする毒親を「許す」と言うのは「許可する」という事ですから、むやみやたらに許可するという事がどれだけ愚かなことか。 許すと言うのは、自分が管理者として、相手をしっかり監視できる力を持って、万が一の時に責任もって対処できるようになって初めて許せるのです。
つまり、毒親が悪さをしようものなら、いつでも管理者である自分が悪さに制限をかけれるようになって初めて「許可」すれば良いのです。 ですから、他者に「早く親を許せるようになりましょうね(内心:いつまでも親のせいにしてるイタイ奴めっw)」と言われても、一切受け入れなくても良いのです。
ですから、「毒親?あーそんなもん許可しないよ。姑息な手口なんか許可する必要ないじゃん」でいいのです。後は自分が更にレベルを上げていけばよいのです。
自分が自然に許せるときと言うのは、自分が過去を理解し、同じ失敗や同じ傷つくことを起こさないようになって初めて許可するのですから、そこで本当の自然な許しと手放しが出来るようになるのです。許可する力を上げるには学んで知識をつけていく必要があります。 許し方: 他人を許すには、正確な“知識”が必要です。という本もおすすめです。
今回の記事で、今まで腑に落ちずにいたことが腑に落ちる方もいるかと思います。親を許せないことがおかしいのではありません。自然なことです。毒が多ければ多いほど、許可する力も必要です。ですので許可する力を上げるために学ぶことを開始して、自然に許可できる時がくるまで成長していけばよいのです。
相手の為でも毒親の為でもなく、自分のために許せる自分、つまり許可する力がある心の管理者になる為に、許せばよいのです。まだ許せないのなら、それは許可する力が無いという事です。同じことが起こったら対処できない不安があるから許せないのです。同じことが起こったら、起こる前に仕留めて食い止める能力を身に付けると、自然と許せる時が来ます。許せることが増えると、たくさんある心の扉を管理者権限で開けるようになるのです。
あくまでも、これは私の考えですから、鵜呑みにせず、噛み砕き、吸収できる部分だけ吸収して下さると嬉しいです。
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