まず、私は細かいことや政治などには詳しくありません。しかし、直感だけは昔から半端じゃないのです。直感だけで通常捕まる少年院からの脱走も、全てすり抜けて逃げました。直感が優れています。
何故、モラルハラスメントに向き合う事が大事か!?それは今、勇気が問われているからです。そして戦争に関係しているからです。つまり、それぞれの勇気の度合いによって戦争になるかにまで繋がっているからです。
「こちらの記事」の動画をご覧ください。モラルハラスメントとは、大きな試練なのです。そして、リンク先に書いてあるように、間違っていることに「はい。わかりました」と従う者がいるから、人を破壊する武器になるのです。つまり、戦争が起こるのは、「間違っている事に、はい。わかりました。と受け取るものがいるから」起こることに繋がるのです。
そして、戦争を起こした後は、目に見えない怨念が無意識(潜在意識)を通して、人々に刷り込まれていくのです。それが世代間連鎖であり、毒親の毒であり、宗教の言う害毒の一部であり、業であるわけです。
素晴らしい記事を発見しました。それは「すごい説得力ー強烈な安倍首相批判=元自衛官(防空ミサイル部隊)の泥 憲和さん。」です。その中で、衝撃を受けた部分がこちらです。
みなさん、集団的自衛権は他人の喧嘩を買いに行くことです。 他人の喧嘩を買いに行ったら、逆恨みされますよね。 当然ですよ。 だから、アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってるじゃないですか。 イギリスも、スペインも、ドイツも、フランスも、みんなテロ事件が起きて市民が何人も殺害されてるじゃないですか。引用元
モラルハラスメントの根の部分です。国レベルのモラルハラスメントです。モラルハラスメントとは、精神的な嫌がらせですから、当然国レベルでもあります。そしてモラルハラスメントとは被害者が可哀相とか言う話ではないのです。被害者も加害者も厳しく言えば喧嘩両成敗であるのです。
被害とは害を被るのです。そして被る者がいるから、それを見つけて加える者が寄りついてくるのです。ですので、被害者でもなく加害者でもない世界に行く事が大事なのです。それが尊重の世界です。とても難しいことです。
日本は巧妙な国レベルのモラルハラスメントを受け、媚び諂おうとしているのです。越して媚び諂うと、戦争を正当化し理由付けをして、上記引用に書いてあるように「他人の喧嘩を買いに行く」わけです。そんなことをすれば引用に記載されているように「アメリカと一緒に戦争した国は、かたっぱしからテロに遭ってる」ように「世代間連鎖も含め、反撃にあう」のです。そして「自覚ないものが、相手が勝手に怒った」と言うのです。
わかりますでしょうか。「他人の喧嘩(課題)に首を突っ込んで買いに行けばテロ(怒りを向けられる)に逢う」わけです。私は前から自己愛性人格障害の方を追いつめている者こそ悪人でモラルハラスメント(すべてがそうというわけじゃない)だと言っています。まさにそれです。追いつめるから、自己愛憤怒を起こすわけです。そっとしておけばいいのです。自分が受け取らなければいいのです。それなのに追い詰めていくと、その結果、場合によっては寝ている間に寝こみを襲われ半殺しになる場合もあるかもしれません。テロの個人版です。そういった者は、無自覚でしょうが自分が相手を追いつめていることに気づかないのです。
感動し身震いするかのような的確な記事に出会いました。私は政治などよくわかりませんが、出来ることは自分の家族や周囲などに対して「無断で侵入することはしないで、間違っていることに「はい。わかりました」と従わないこと」を実践していく事だと思います。一人一人がしっかり勇気を持って、間違っていることに「はい。わかりました」と従わないことが大事だと思います。
そして、集団に怯え、集団の力で少数派を潰そうとする卑怯なモラルハラスメントの仲間にならない事です。モラルハラスメント加害者は単なるモラハラ夫じゃないのです。モラルハラスメントの世界はとても広く、国レベルのモラルハラスメントまであります。
ある人は泣きながらこう言いました。「ずっと怖かった。集団で嫌がらせをしちゃうよ?という空気がずっと怖かった。だけど自分が死んでも曲げないでブレないって決めたら楽になった」と。
今、毒親の苦しみを背負った方は、その親の苦しみも感じるでしょう。子供を殺されたり、親を殺したり、あらゆるところに蔓延する問題の根は「戦争の罪」なのです。これは、複雑巧妙な、しがらみで世代間を連鎖しながら、無意識から無意識に受け継がれるのです。「戦争の罪」から逃れることは出来ません。やるのは清算です。
戦争経験者であるAが戦争時に人の首を切ってしまい、戦後、酒浸り、喧嘩の毎日、来る日も来る日も未清算の苦しみの苛まされて子を虐待。その虐待者の親に育てられたT。来る日も来る日も心を虐待されました。Tはその虐待の連鎖は何なのか、来る日も来る日も辿りました。そして「戦争の罪」だと悟ったのです。
戦争とは、絶対に受け取ってはいけないものなのです。例え殺されようと、間違っていることに「はい。わかりました」と従わないことが大事なのです。怖いことかもしれませんが、間違っている事に「はい。わかりました」と従わなければ、「戦争の罪」は一つ浄化されます。そうすれば、戦争経験者である、人の首を切って苦しんでいる先祖の本当の供養にもなるのです。
出来る限り、間違っている事に「はい。わかりました」と従わない見極め力と勇気を持って生きることが大事でしょう。
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