モラルハラスメントの世界は冤罪が多い。冤罪とは「やってもいないことをやったと扱われる」こと。加害者は被害者に対して「あなたが加害者」だと思い込ませている場合がある。この冤罪的な扱いは周囲も巻き込まれていることがある。加害者は周囲に自分が被害者だと巧みに信じ込ませている場合がある。
このような「やってもいないことをやったと扱われる」ことに効果的なのは「法的手段」です。その吹聴している部分を公然の場で行っていれば内容によっては名誉毀損が成立する可能性が高いです。何事も「証拠を集める」ことから始まっていきます。証拠は「事実」ですので「嘘」に対抗する手段の1つ。
表社会でまともに生きている者ならば「法的手段」に出られることはどうしてもやめてほしいことです。吸血鬼が太陽の光を嫌がるように確かなことで進めていく「法的手段」は太陽の光と同じ意味になるのです。相手に危害を加える反撃よりも認められている正当な反撃である「法的手段」こそが大切なことなのです。
僕も子供の頃に悪いことをしていたのでよくわかりますけど悪さをしていると「法的手段」が怖いものです。「争いなんてダサい!」と言ってでも相手が法的手段に出ないように仕向けたくもなるほどです。
何故ならモラルハラスメントの被害者は「責任」「確かなこと」に弱い。だからモラルハラスメントの被害者に選ばれてしまったのです。だからこそ、「責任」「確かなこと」について学べる「法的手段」こそが成長のためにも必要なのです。
刑務所や少年院にはある程度の虐めがあります。それでいいのです。悪いことをした者は刑事告訴されることもある。そして少年院や刑務所である程度嫌な目に遭う者もいる。そして「恐怖」する者もいる。そういった刺激が「抑止」に繋がっている面もあるのです。虐めも必要悪になっている場合もある。
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