
DVの男性が、暴力の後に別人のように優しくなることはよくあることです。
僕自身も、過去に暴力をふるったことがあります。だからこそわかることがあります。
DVは恐怖支配
DVをする人は「自分の怒りを理解して欲しいから殴る」のです。そして無意識的ですが、強制的に相手に「理解した態度を無理やりさせることで伝わったと勘違いする」ので、その後、鎮静するわけです。しかしDV男の根本原因が解決されていないので、また同じことが起こるのです。これは、DVされる側からすると、たまったもんじゃないし恐怖の刷り込みで卑劣な行為です。
目の前の人のせいにしていることもある
DVの男性は無意識の連鎖の影響がまったく理解できていないのです。心を静め、暴力をふるっている相手が誰に似ているか?誰を感じるか?目を背けず逃げず見てみましょう。暴力をふるった相手の何がイラつくのか、何が不満なのか。そして、そのイラつくことや不満と関係がある過去の出来事は何なのか。よく考えてみることが大事です。
実は、その怒りは目の前の暴力を振るわれている人への怒りではないこともあるのです。自分の未解決問題に似ていることを発する目の前の人のせいにしていることもあるのです。
過去の未解決問題・未処理の感情
自分自身の未解決問題・未処理の感情の怒りの場合もあるのです。親に意見を言えない自分、友人に意見を言えない自分、上司に意見を言えない自分。
まずは卑怯な自分と傷ついた自分に気づくことが大事です。本来、守るべき存在を傷つけることは、自分を傷つける行為です。大事な存在を傷つけず、守ってあげましょう。本当に怒りをぶつけなければいけない相手は他にいます。自分との闘いです。
自分でも気づいていない心の傷を抱えている可能性
DVをする男性は、自分でも気づいていない心の傷を抱えている可能性があります。その心の傷に気づかずに一緒にいる人が刺激をしてしまって、そして過去のトラウマ記憶などが蘇って暴力を振るう場合もあるでしょう。
つまり心の奥に「被害者性」が隠れている場合もあり、もしそれがあるのなら、そこを「書くこと」で少しずつ意識に上げて、そこに溜まっている感情を解放していくことで少しずつ心が癒されてきて、自分の被害者性と向き合えるようになってくると自分の加害者性とも向き合えるようになることもあります。そんな自分を変えたいと思うのなら「サヨナラ・モンスター」を試してみて下さい。書くことで心の深い部分に変化を起こしていく方法ですので、良い変化が期待出来ます。
「サヨナラ・モンスター」を試す前に、下記の本の第3章を読んでみて下さい。
第3章の「憐憫の感情は暴力性を鎮める」あたりの知識が役立つでしょう。
第3章 自己憐憫の良いところ
自己憐憫を肯定的に捉えると
自己憐憫を通過する勇気
情動性の涙が深い部分を変える
自分で自分の心を救う人は支配されない
自己共感力と温かい心
憐憫の感情は暴力性を鎮める
怒りを鎮めてくれる
憐憫はカタルシスと深い関係がある
トラウマとの関係