「人の心に土足で踏み込むな」と勝手に心に踏み込まれたくないと思う人は最初に自分が踏み込むのをやめればいいのです。
「勝手に心に踏み込まれたくない」と言いながら本人は「自分が踏み込んでいる」もしくは「踏み込もうとしている」ことに気づいていない人がいます。つまり「互いに踏み込み気があるから自分も踏み込まれる可能性が出来る」というパターンもあるのです。
ボクシングでイメージしてみて欲しいのですが、パンチを打つにはパンチが当たる距離に踏み込まないといけません。ですから踏み込んだり腰の回転を使ってパンチを打って相手を倒したいということは自分が踏み込むという事。それは「相手にも踏み込まれる可能性がある」という事です。
これは心の世界でも同じで「相手の心に土足で踏み込んだ者は、自分も相手から踏み込まれること」があるのです。「勝手に心に踏み込まれたくない」という人は自分も相手の心に勝手に踏み込んでいる場合がのです。
だって踏み込むのをやめてリングから降りて逃げれば、相手に踏み込まれる事なんてないのですから。追いかけてくれば走って逃げればいい。それと同じなのです。「心に無断で土足で踏み込まれた」と言うのであれば土足で踏み込まれないように鍵をかければいいのです。
心に土足で踏み込まれたら誰でも嫌な気持ちになりますよね。だけど嫌な気持ちにならないために、相手が土足で踏み込んでこないように、心の玄関に鍵をかける事(むやみやたら心を開かない・餌に食いつかない)ことが大切です。心の玄関に鍵をかけるということは「尊重した距離感」でもあるのです。
「何かいいもの来ないかな?」と心の玄関を開けて期待していると、泥棒や詐欺師が無断で土足で心に侵入してくることもあるのです。それでも無断で土足で踏み込まれたら警察を呼べばいいのです。心も同じです。
心の中の警察のようなもの(心の免疫力)はカラダの免疫力とも繋がって、ナチュラルキラー細胞(免疫細胞)が活性化するとパトロールして癌細胞をやっつけてくれます。免疫の仕組みは警察や軍隊に喩えられることがあります。癌細胞は犯罪者などの喩え。しかし、ナチュラルキラー細胞(免疫細胞)が活性化しないような生活をすると免疫力も低下し癌になりやすくなります。更にはストレスも増え自己免疫疾患にもなりやすくもなるでしょう。
自覚があっても無くても自分も相手の心に土足で踏み込む気があるから相手にも踏み込まれる隙を作るのです。距離感が近い馴れ合いの関係を作ってしまったのです。だから相手にも心に土足で踏み込まれるのです。
あとは、心の世界で悪事を働いている者は「人の心に土足で踏み込むな」と過剰に騒ぐこともあります。心の世界で悪事を働いてばれていない者は勘繰りが激しくなります。
例えば心の世界で冤罪に引っ掛けられたり騙された人は心の犯人を捜します。警察が犯人を捜すように。犯人がどれだけ「人の心に土足で踏み込むな」と言っても心の裁判所の令状が出ていれば心の警察が心の世界に土足で踏み込んでくることもあるのです。
犯人が「人の心に土足で踏み込むな」と騒いでもどうなるものでもないのです。
大事なことは最初から「踏み込まず踏み込まれず」と言うバランスの良い関係です。
最初に自分から相手の心に土足で踏み込むんで悪さをしておきながら、相手から同じように土足で踏み込まれ始めた時に「人の心に土足で踏み込むな」というのは犯人が騒いでいるようなものの場合もあるのです。すべてがそうではないですが。
人はどんなに心の世界で隠れて悪事を働いてばれないでいてもいつか必ず裁きに遭います。何故か。自分で自分の潜在意識(無意識)にしっかりと刻んでいるからです。「嘘つきは泥棒の始まり」と言います。「心の泥棒は土足で人の心に侵入する」のです。そして人は確認もなしに自分がしていることを人からされていると思う場合がある…。
よく言われることですが「自分の蒔いた種は自分で刈り取る日が来る」のです。
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