僕は、過去、家族に飼いならされたことがある。「死んでも家族を助けないといけない」という考えによって雁字搦めになっていた…。そうしないと認めてもらえない。僅かな愛ももらえない。精神の死を避けるために必死に食いついていた。
そして、そこから長く苦しんだことで大きく考えが変わって、本質が見えるようになって断ち切ることが出来た。それからは「承認」も「条件付けの愛」も必要としなくなった。
家族に飼いならされてしまった原因は「承認」や「愛」を求めたからだ。「承認」や「愛」を求めてしまうことは誰にでもあることです。しかし、それを求めることで成長していける家庭もあれば、逆に、それを求めることで飼いならされていく家庭もある。
その時の環境で結果、そうなってしまったのは仕方ない。大事なのは「そうなってしまったことへの解釈」です。その結果、確かに長い間苦しむことになった。しかし、苦しむことで大きな気づきがある。苦しんで苦しんでこれでもかというくらい苦しむと、それまで気がつかなった「その先」がみえるようになる。その先には「本当の自分」が待っている。
飼いならされるということは「餌をもらっている(依存している)」ということ。鎖を引きちぎり、餌を投げれば…、本当の自分に近づけるのです。そうすれば心は解放されていきます。大事なのは「精神的な自立」によって心を解放させること。
機能不全家庭では「依存が良いこと」のように思わされることがあります。例えば「黙って素直に信じていることが大事だぞ」と小さいころから言われるなど。色々な言葉で依存するように仕向けられている場合があります。それは親の寂しさからそうなってしまっていたりもするのです。
ですのでスタートは厳しいですが「精神的な自立」によって心を解放させることを目標にして1歩ずつ進んでいくことが大切です。
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