自民・麻生副総裁は、「日本でも戦争が起きる可能性は十分にある」と指摘しました。下記動画をご覧下さい。
前回の記事でも、以前の記事でも、僕は「戦争中であっても意味づけ次第で幸せを感じることが出来る」と繰り返しお伝えしているのは、恐らくは、将来的に日本も戦争に巻き込まれていくと予想しているからです。可能性としてはかなり高いと思っています。そんな中でも生きていくわけですから、不幸を感じて、苦しんで、恐れ慄くよりも、幸せや感謝、或いは感動などを感じて生きたほうが良いのではないか。そう思い、その為の良き方法を前もってお伝えしています。簡単な話、意味づけ次第なのです。戦争のようにネガティブなことが大きければ大きいほど、そこからポジティブなものを見つけることは難しくなります。見つけ出す「転換力」が無いと難しいのです。その転換力を鍛えて、養っている人間は、厳しい時代の中でもポジティブなものを見つけ出せるでしょう。戦争になったら、治安も悪くなり、人殺し、強姦魔、色々増えます。頭のおかしくなった者がとんでもないことをやらかすようにもなります。そんな中、どんな良い面があるかというと、人々が真剣になります。今までの平和ボケが一掃されて、人間らしい高潔な心を持ち出す者も増えてきます。どんなことにも、良い面、悪い面がありますから、希望を持てる心を養いましょう。
今は、全体的に少しずつ分断に向かっています。その分断の中で大きな争いが起こり、ある程度、それ相応の犠牲を生んでから静かになると思いますが、その過程(プロセス)は数十年くらいはかかってしまうと思います。この頃、或いはその後に以前(https://bright-ms.net/post-28491/)でお伝えしたように、故・安倍元首相の素晴らしさが理解され始めると思います。平和の為に尽力されていた故・安倍元首相の素晴らしさは平和ボケした時代では理解されにくいのです。故・安倍元首相の尽力による恩恵が無くなり、結果が出てきて、それを味わい、もう本当に嫌だと思い始めて、何故なのか、理由を知り出した後に、理解が深まり、「平和はタダではなかった。少数しかいないまともな政治家の尽力のお陰(陰の功績によるもの)だった」と知るのです。それを知った者たちは「かなり厳しくなる」のです。そう、ちょうど僕らの祖父母の世代が厳しかったように。2度と苦しみを味わいたく無いから自然と厳しさの大切さを知り、厳しくしてしまうのです。その影響が続くのはその子供の世代で、次の世代ではかなり薄れて、その次の世代では皆無です。それがわからない世代になると、平和ボケして、甘ったれて、心理学三大巨頭の1人アドラーが言う永遠の赤ん坊も量産されて、歪んだ考えも増えてきて、それでも尚、自分の認知を変えることもせず、何でもかんでも一緒くたにして「外部の毒」として見做して(虚偽記憶まで創り出して被害者になり済ます者もいる)、自分の毒にも気づかず「毒親が!」と騒ぎ出すのです。そんな者は、僕が書いた「親への恨みはでっち上げ」が如何に大切なことを優しく書いたかさえも理解出来ず、自分の邪悪さにも気づかずに他人の所為にし続けるのです。先人たちが築いた安心安全の基礎を当たり前だと思い込み、我が物顔で自分達は自由だと思い込み、欲望、煩悩まみれになります。そんな者が増えてきた時代になると戦争の危険性が生まれるのです。その心のレベルの低さが全体に浸透した時に、他国から侵食され出すのです。凡ゆる罠(ハニトラも含む)に引っ掛かって絡め取られて操られていくケースもあるでしょう。それが今です(https://bright-ms.net/post-28664/)。まるで他国が「お灸を据えてやるよ」とでも言っているかのように……。そしてまた戦争へと巻き込まれていくという、この繰り返しを人類は行っているのです。平和は100年続かないのです。これがわかっている人間たちは、「人間は愚かな生き物だ」と言うのです。
人間とは歴史に学ばない生き物である。
アーノルド・J・トインビー(イギリスの歴史家・歴史哲学者)
話は戻りますが、、、そして将来的に(戦争に巻き込まれた後)、日本社会は恐らくハッキリと分断されて、2つ、或いは3つに分かれると思います。未来のことはどうなるかわからないけど、1つの可能性として、大きな分断と崩壊、弱体化へと向かっていくことも考えられます。
左派の一部が戦争を望んでいないと言いつつ、戦争へと向かうことをしていますから、起るべくして起こるのではないでしょうか。
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