僕は「心の中の奴隷の世界」を「モラルハラスメント界」だと思っています。
「奴隷」という言葉を使っていますが、決して馬鹿にしているわけではないことをご理解下さい。僕は、広い意味で人は誰もが最初は奴隷だと思っています。そこから「本当の自分を自分で救い出すのが人生の醍醐味」だと思っています。
心の世界で奴隷の人間は「自ら奴隷であることを望んでいる」のです。これは本人は自覚がありません。そして「奴隷の鎖自慢」をしながら奴隷の鎖を持たない者を「誹謗中傷」して自らの勘違いの正当性を主張しています。
奴隷のように厳しい環境で強制的に支配されていると、それに慣れていき、今まで異常だったことが正常だと感じるように歪んでいき、その結果、自分たちを縛っている鎖の自慢を始めるまで歪むということです。「俺の鎖はこんなに太いぜ」とか「いやいや俺の鎖は輝きが違う」「何言ってるんだよ俺の鎖のこの形見てみろ。他の奴の鎖にはないだろ」と自分たちにとってマイナスになる鎖の良さを勝手に作り出して自慢するのです。
心の状態が奴隷であると、このような奴隷の鎖に縛られていない者を異常だとして「誹謗中傷」して「事実の歪曲を繰り返す」ことなどをしてでもレッテルを貼って自らの正当性を主張しようとする場合もあります。
どう足掻いても自分の奴隷の鎖を断ち切るのは自分しか出来ません。その力もちゃんとあります。だけど、自分でその奴隷の鎖を断ち切ろうとしないのは何故か?それは「本人が奴隷でいることを望んでいる」からです。
自覚がないでしょう。だけど、自分で望んでいるから奴隷の鎖を断ち切ろうとしないんです。奴隷の鎖を断ち切らないほうが自分にとってメリットがあると無意識のうちに感じているはずです。「モラルハラスメント界」にはあらゆる「餌」が転がっています。快楽を感じることのできる「餌」もたくさんあります。
縛られながらでも、その快楽に浸っているほうがマシだと無意識のうちに思っているから自らが「奴隷でいることを望んでいる」というわけです。
奴隷でいることを無意識のうちに望み続ければ、こうなってしまうかもしれません。
あなたは小象の話を知っていますか。小象の話は有名なお話ですが、サーカスの象が小象の時から鎖で繋がれて地面に深く打ち込んだ杭に繋がれている。
そして、小象は逃げようと何度も鎖を引きちぎろうとするが引きちぎれない・・。そして諦めてしまう。ここで思い込むのです。「自分には無理だと・・」
そして大人の象になっても本当は引きちぎる力があるのに「自分には無理だと・・」という思い込みから鎖を引きちぎれる力があるのに引きちぎらない。「自分には無理だと・・」という深い思い込みがあるから。このように自分には力があるのに、出来ないと思い込んでいる部分があるのです。
上記の小象は逃げようとするけど鎖を引きちぎれない。これは子供が10歳前後で勇気がくじけて世の中の矛盾に迎合するときのことを意味します。そして、諦めてしまうのは、人間でいえば「いい子」になるということです。非行に走った子はやり方は間違えてはいるけど、必死に鎖を引きちぎろうと頑張った証です。
そして「鎖に繋がれた従順な大人」になっていくのです。そして大人の世界にはたくさんの「おいしい餌」がありますので、その餌を食べながらゲージの中で自由を満喫するようになるのです。そのことを少し物語っていると個人的に思うのが「およげたいやきくん」です。大人は自由になりたいと飛び出しても、結局釣り上げられ食われる仕組みです。そうならないための道は「責任」をもって生きていくことです。
よく見て下さい。釣り上げられ食われている者たちを。共通しているのが「無責任で餌を欲しがっている」という点です。世の中が如何に「責任」を持たせることに関係したことだらけなのかがわかります。
そして「責任」は、あなたの心を解放し、「自由」へと近づけてくれる素敵なものだということがわかってくるでしょう。
「責任」とは「反応する能力」のことです。あなたが、正しく反応していくようになれば、それは自由を意味することです。心が不自由になるということは、正しく反応できないからでもあるのです。
モラルハラスメントをみればわかると思いますが、お互いに「反応」が正しさからずれています。正しく見て、正しく聞いて、正しく話すことをしていけば、相手の逆鱗に触れることを回避できます。つまり、モラルハラスメントにおける相手のマイナス反応を回避できるのです。
正しく反応していけるようになると、自由に近づけるのです。自由に近づけるということは「本当の自分」に近づけるということです。
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