こんな走り書きがあった。「バカはバカなりに努力しろ」
軽度の知的障害と学習障害は「障害」ではない!
私は、こう思っています。
バカなんかじゃなかった。ただ、他の「多く人たち」とは、伸びるところが違うだけで必ず別の伸びるところがあったけど、それがまだ見つからなかっただけ。だと思います。
引用元の記事によると、自死された航さんは小学4年の時に軽度の知的障害と学習障害があるとわかり、通信簿はオール1だったそうです。
これは私の勝手な考えではありますが、軽度の知的障害と学習障害は「障害」ではないと思っています。前々からこのブログでは御伝えしてきていますが、大体小学5年生(10歳前後)で人は勇気が挫けて自分を見失って、見失ったことを忘れていくことをお伝えしています。
世の中には、「個性が大事だと謳いながら、巧妙に個性を潰して洗脳していく仕組み」があります。これに対して最後のあがきのように反発するのが大体小学5年生(10歳前後)までです。個人差は大きくありますが。
つまり、私は、自死された航さんは、この「個性が大事だと謳いながら、巧妙に個性を潰して洗脳していく仕組み」に懸命に頑張られたのではないか。そう思うんです。それを世の中は、「洗脳に染まらない者を、知的障害と学習障害として片づける」場合もあるのかもしれない。そう思うんです。
それに対し、言語化できない思いが「通信簿オール1」という形で現れたのではないか。そう思います。私自身が、小学校の途中まで算数と理科は成績が良く、算数は1年先まで予習していてクラスで2番目でした。その後、世の中が嫌になって、学校も勉強も放棄しました。中学では「通信簿オール1」です。
これは、「個性が大事だと謳いながら、巧妙に個性を潰して洗脳していく仕組み」が嫌だったからです。
つまり、世の中には1割、もしくは、それより少ない者たちは、どうしても「個性が大事だと謳いながら、巧妙に個性を潰して洗脳していく仕組み」に合わせられない、合せたくない人がいる。そういった「支配できない者」を「何かしらの形」で封じ込めてレッテルを貼っていくのが、軽度の知的障害と学習障害という名の「レッテル貼り」ではないか。と思うんです。
「レッテル貼りハラスメント」について新しい記事を書きました。
言葉の攻撃以上の深刻な影響を持つ
レッテル貼りハラスメントとその剥がし方
知的障害と学習障害の説明を引用しますね。
知的障害とは?
知的障害(ID: Intellectual Disability)は、医学領域の精神遅滞(MR: Mental Retardation)と同じものを指し、「知的発達の障害」を表します。すなわち「1. 全般的な知的機能が同年齢の子どもと比べて明らかに遅滞し」「2. 適応機能の明らかな制限が」「3. 18歳未満に生じる」と定義されるものです。中枢神経系の機能に影響を与える様々な病態で生じうるので「疾患群」とも言えます。
学習障害とは?
学習障害とは、基本的には全般的な知的発達に遅れはないが、聞く、話す、読む、書く、計算する又は推論する能力のうち特定のものの習得と使用に著しい困難を示す様々な状態を指すものである。
学習障害は、その原因として、中枢神経系に何らかの機能障害があると推定されるが、視覚障害、聴覚障害、知的障害、情緒障害などの障害や、環境的な要因が直接の原因となるものではない。
つまり、、引用に書いてある「全般的」が曲者だと思うんです。大きな1つのもの、共同体、それらに順応しついてこれない者は、比較の上で「障害」のレッテルを貼るということだと思います。
だた「障害」という言葉自体は、
障害(しょうがい)とは、ものごとの達成や進行のさまたげとなること、
引用元:障害 – Wikipedia
つまり、支配者にとって都合の良いレベルまで達さない者は、知的障害や学習障害として扱い都合の良いレベルまで達するように努力をしろということかもしれない。まるでピラミッド型の支配。
本当は、伸びる部分が、「全般的」とは違うものだったのではないか。それを理解できる人がいないから「バカはバカなりに努力しろ」と人を追い詰める人もいるのだと思います。
繰り返しますが、
軽度の知的障害と学習障害は「障害」ではない!
私は、こう思っています。
バカなんかじゃなかった。ただ、他の「多く人たち(全般的)」とは、伸びるところが違うだけで必ず別の伸びるところがあったけど、それがまだ見つからなかっただけ。だと思います。
本人の利益のために知的障害や学習障害などの言葉を使うのは前向きで良いと思いますが、本人の損害に繋がることの為に知的障害や学習障害などの言葉を使うのは問題です。それが、「バカはバカなりに努力しろ」などとおかしなことを言う者を増やしているのだと思います。
勘違いしないでいただきたいのは、世の中や社会が悪と言っているのではありません。世の中や社会に根付く支配者が結果として悪を多めに生み出していることが多いと私は思っています。
もっと、広い視野で人を見れるようになり、その考えが広まっていけば、「バカはバカなりに努力しろ」ではなく「自分に合った別の伸びる部分を見つけよう。必ずあるから。人生、生きている間、無限の可能性があるんだよ」と言える人が増えてくると思います。
よくある質問 AI生成
この記事に関連するよくある質問をAIが自動生成しました
Q1. 軽度の知的障害や学習障害は「障害」ではなく、個性や能力の違いと考えることは正しいですか?
はい、一般的にこれらは「障害」ではなく、全ての人が持つ個性や能力の違いです。社会や教育の支援次第で、本人の潜在能力を引き出し、適した伸びる場所を見つけることが重要です。
Q2. 「レッテル貼りハラスメント」が子どもや大人に与える影響は何ですか?
レッテル貼りハラスメントは、本人の自己肯定感や精神的健康に深刻な悪影響を与えます。自己否定や孤立感を生み出し、適切な支援や成長の機会を妨げることが多いため、理解と配慮が必要です。
Q3. どうすれば「個性が潰される仕組み」に抵抗でき、自己肯定感を保てますか?
自分の特性や長所に気づき、それを大切にすることが第一です。周囲の価値観に流されず、自分に合った学びや働き方を模索し、自己理解と自己肯定を深めることが、抵抗と成長につながります。
Q4. 言語化できない思いや感情は、どのように表現すれば良いですか?
自分の気持ちを書き出したり、誰か信頼できる人に話すことで言語化できます。また、アートや音楽、身体表現など非言語的な方法も有効です。自己理解を深めることで、心の整理や伝え方が見つかります。
Q5. 社会が「全般的な能力の標準化」を求める背景には何がありますか?
社会は効率や秩序を保つために標準化を重視しますが、それにより多様な個性や能力が無視されやすくなります。多様性を尊重し、個々に合った支援と評価を行うことが、より良い社会づくりにつながると考えられます。
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