■ はじめに — 命を前にして「無視する」という選択の異常性
猫が空腹を訴えて鳴く。それはただの「わがまま」ではなく、「今、体が苦痛を感じている」という生理的なSOSである。
特に——
- 子猫(低血糖が数時間で命に関わる)
- 老猫(筋肉分解と腎負担が進みやすい)
- 腎臓機能が落ちた高齢猫(脱水と老廃物濃縮が急速に進む)
——こういった状態の個体に対し、“鳴いてもあげない” “時間じゃないから与えない” という行為は、医学的にも倫理的にも虐待に該当する。
食事はしつけではない。生きるための必要条件であり、拒否すればそれは暴力である。
■ ネグレクト型虐待(放置による苦痛)
虐待は「殴る」ことだけではない。“必要なケアを知りながら意図的に短縮・拒否する” ことは、ネグレクト(無視) と呼ばれる虐待形態である。
✖ 行為の特徴
- 空腹で鳴いているのを理解していながら無視
- 医学的リスク(低血糖・腎ダメージ)を説明されても改善しない
- 「決まりだから」「甘やかさないため」という言葉で正当化する
これは**「快適・安全・健康な状態を守る責任を放棄している」**状態であり、
ペットの生命権を侵害する行為=虐待と定義される。
■ 指摘すると始まる “ガスライティングとDARVOパターン”

僕が育ったカルト的機能不全家庭、その後出会った同居人もこの感情支配のタイプで、こういう見えにくい精神的虐待を当たり前のようにやっているタイプが多かったです。
過去は散々すり替えをされ続けて、一時期精神的に参っていた時期がありますが、今ではそれらを防げるようになりました。
💥 あなたが「それは虐待だ」と指摘すると、相手はこう動く:
相手の反応 | 心理的効果 | 行動の名称 |
---|---|---|
「大げさじゃない?」「猫は大丈夫だから」 | 苦痛の訴えを矮小化する | ガスライティング(現実の歪曲) |
「そんな言い方するお前が攻撃的だ!」 | 指摘者を“加害者”として逆転構造を作る | DARVO(否定→攻撃→被害者面) |
過去のあなたの弱点を持ち出して精神を揺らす | トラウマ刺激 →感情を爆発させ、議論をうやむやにする | 心理的嫌がらせ・トラウマ利用 |
最終的に「面倒」と笑って話を逸らす | 問題の本質をすり替え、責任回避 | 逃避型支配 |
これは「猫の話」ではなく、“感情支配”の構図であり、精神的虐待でもある。
■ 「聞く気がない人間」への怒りは正常
過去の僕はこういった経験も含めてモラル・インジャリー(道徳的傷害)を経験しました。犬に熱湯をかける者が被害者になりますしてすり替えてくる。そんな環境の中で、正しさ、良心、モラルが傷ついていたのだと自己理解しました。
■ モラル・インジャリーとは何か
「本来守られるべき善や命の価値が、無視・破壊される場面に立ち会わされ、さらにそれを“間違っている”と訴えた側が攻撃されることで、根源的道徳観が傷つく現象」
人間らしい言葉を使うなら、腐った環境で、腐った行為が横行する中で、すり替えられていたことによる傷つきです。
僕と同じような経験をしたあなたの怒りは、“生命の痛覚を無視する態度への強い倫理的反応” であり、
これはむしろ 「正常な感受性」 である。
- 猫たちは苦痛を訴えている
- それを見て、あなたの内側の正義感は反応する
- しかし、相手はそれを“あなたの感情問題”にすり替える
→ ここに 2つの虐待 が同時発生している:
- 猫への生理的虐待(空腹・医療的無視)
- あなたへの心理的攻撃(ガスライティング・トラウマ刺激)
■ この状況を正しく言語化すると
「猫のSOSを無視し続ける」=ネグレクト型虐待
「指摘者を心理的に揺らし、問題をすり替えて逃げる」=加害者の典型的防衛パターン(DARVO)
あなたが感じている「信じられない」「吐き気がするような怒り」は、全く正しい。
■ 最後に ——「怒り」は正しさの証である
怒りは、魂が「それは間違っている」と叫んでいるシグナル。
もしあなたが何も感じない人間なら、このような言葉すら出なかったでしょう。
(その怒り、、、正しさ、良心を持っている証拠です)
怒れるあなたは、“生命の側”に立っている。
この記事でお伝えしたような感情支配をする精神的虐待を行う者たちは、こうした正当な怒りを「悪いもの」としてすり替え、そして悪者扱いし、封じ込めようとする支配者たちです。そのような嘘つきに負けてはいけません。自分が正しいと信じていることは、どんなことがあっても貫くことが大切です。僕は自分の正しさを貫いてきて、彼らのやり方に染まりませんでした。そんな自分が好きです。
長年、虐待を繰り返してきた人たちは、別世界を生きているようなものです。精神的虐待があるのにないといい。動物が訴えている気持ちも彼らには見えないし、聞こえない。そんな別世界を生きているのです。
犬に熱湯をかけたり、隠れてこそこそと動物虐待をしていた連中が、過去に僕を悪者扱いしていた者たちです。嘘をついて狡猾に他人を悪者扱いする者ほど、心の奥に「罪」を隠し持っているものです。それを隠そうとするほど、誰かを悪く言い出すのです。嘘や歪曲を駆使して。全部、めくってやればいい。
昔は説明ができませんでした。頭が弱かった僕は、ただ強がって防衛し、その中で嘘つきたちによってすり替えられていて、そこには深い傷があり、そこから自分を守るために勉強を開始。今では彼らの手口、細部まで説明できるようになりました。心の中の小さな自分が「助けてくれてありがとう」と言った。
カルト的な機能不全家庭――そこでは、恐怖という悪魔に人が同一化する。扁桃体が主導権を握り、支配の下で「言いなり」になる生き方が標準になる。勇気は育たず、外で溜めた鬱憤は、より弱い存在へと流し込まれる。問題は解かれない。嘘、すり替え、歪曲が空気になり、支配者に怯えた者たちは、その支配を忠実に模倣する。要するに――前頭前野を置き去りにした世界だ。
精神的な虐待をそのまま「精神的虐待だ」と認識できない家庭は、冷たく、寂しく、そして虚しい。 その虚が、やがて虐待を日常へと押し上げ、当たり前にしてしまう。 彼らはそれを「強さ」だと勘違いしている。細部を見ることもできないほど弱く、鈍感であることは、強さではないのに。
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