ありのままの自分を受け入れてもらったことがなく育ち、親兄弟の望む「特別な人間」になろうと必死だった。そして、どんどん苦しくなっていき、自分の道から大きく外れ、恐怖も緊張も酷くなった。そこから「そのままでいいんだよ」と自分に声をかけることが出来るようになると、心は軽くなっていった。
大切なことは「特別」ではなく「普通」だということがわかった。勇気がないから「特別」を求めてしまう。本当に勇気ある人たちは「普通」でいることが出来る。そして、その普通の中に、素晴らしいことがたくさんあることに気づいている。普通でいる勇気、それが大切だと思うようになった。
子供の頃は、「特別」であろうとして悪いこともした。人が驚くようなこともしてみた。だけど、自分や他人を傷つける結果になったものばかり。「特別」は、支配者にとって都合の良い存在であり、誰かを下にしてしまったり傷つけてしまうことがある。特別を求め、優越したがるには、対象が必要だから。
他よりすぐれていること。他より大きな権限を持つこと。
特別を求めて優越するということは、「他より」優れなければいけない。つまり、「他の人」が劣っている必要がある。「特別であろうとする人」は「劣っている人」に依存している。そして劣っている人を創ろうとし、ダメ出しをしたり、劣等感を植え付けたりすることもある。
上とか下とか、優越するとか、劣っているとか、このような縦の世界よりも、普通でいる勇気を持って、自分の心を「横の世界」に置いたほうがいいなと思うようになった。縦の世界は支配の世界、横の世界は尊重の世界。普通でいることは、相手を上にも下にもせず、尊重することだと思う。
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