まず、下記の引用文をお読み下さい。法務省の記事からです。
インターネットはとても便利な一方で、他人への誹謗中傷や侮蔑、プライバシーの侵害、SNSいじめ、特定の民族や国籍の人々を排斥する差別的言動(いわゆるヘイトスピーチ)、部落差別(同和問題)に関して差別を助長するような投稿など、人権に関わる様々な問題が発生しています。[mfn]引用文献:法務省:インターネットを悪用した人権侵害をなくしましょう(https://www.moj.go.jp/JINKEN/jinken88.html)[/mfn]
2ちゃんねるなどでは人権侵害とも言える書き込みが平気で行われています。 そして「気にしなければいい」という無責任なアドバイスをする人もいます。「気にしなければいい」という無責任なアドバイスはセカンドハラスメントかのように更に傷つけることに繋がる場合もあります。「気にして当たり前のことを、気にしなければいい」と言うのは「吐き気がして吐きそうな時に、吐いたら許さないぞ」と言っているようなものに似ていて、虐待者の考え方に似ています。
良く考えてみて下さい。 本当に「気にしなければいい」で済みますか? 私は堂々と言います。 「人間ですから、気にします」と、、、。「気にする人が問題ではなく、人権侵害を行っているほうが問題」なのです。気にする人は更なる成長をすればプラスになるのです。
もし、あなたが「加藤」という名前だとして、削除をしてもらえない掲示板に「加藤はゴミ漁ってたぞ」とか、やっても無い事を書かれていれば、誰だって気になるものでしょう。 気にしたらかっこ悪いという思いから「気にしてない」とか「2ちゃん見ない」と言いながら、見ている人もいるでしょう。
そのように嘘や事実を歪曲する無責任なうわさを書かれれば誰だって気にするものです。 繰り返されれば怒る時だってあるかもしれません。人は気にするからこそ、インターネット上で実名を堂々と出せないのです。 本当に気にならないのであればインターネット上でも実名出せるはずです。 気にするのが当たり前なのです。レベルが高くなったって気にするものです。ですから、法務省も「法務省:インターネットを悪用した人権侵害をなくしましょう」と言っているのです。 法務省のページを見てもらうと書かれている事がわかりますが、
被害を受けた児童は将来にわたって永く苦しむこととなるなど,重大な人権侵害と言わざるを得ません。 引用元:法務省:インターネットを悪用した人権侵害をなくしましょう
何故、多くの人が、こういった問題に「無視すればいい」とか「気にしなければいい」と言う、右ならえ思考かわかりますか? それは人権侵害野郎の思考を受け取っているからなのでしょう。 人権侵害野郎にとっては都合の良い考え方なのです。 根底には自分のことを書かれたくない、自分を晒されたくないという恐怖があるから、無意識で人権侵害野郎の思考を受け取っているのです。
そして、無責任に「無視すればいい」とか「気にしなければいい」と言う、右ならえ思考になるのです。 冷静に考えてみて下さい。 「無視すればいい」とか「気にしなければいい」では、ますます人権侵害野郎にとって匿名掲示板は温床になることが分かると思います。 人間は、当たり前に気にする者ですから。
「無視すればいい」とか「気にしなければいい」を実践
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結局気になって疲れる
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「無視すればいい」とか「気にしなければいい」を実践
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結局気になって疲れる
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「無視すればいい」とか「気にしなければいい」を実践
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悪循環のループ
こうなるのです。 ですから、人権侵害野郎の思うつぼになる「無視すればいい」とか「気にしなければいい」という考えを捨てることです。 逆に、「どんどん気にしちゃっていい」とか「人間だから気にして当たり前」という考えを持つほうが良いです。
その上で、「受け取らないトレーニング」をすればいいのです。 「受け取らないトレーニング」とは、
「人権侵害野郎がそう思うことは自由だけど、私(僕、俺)は、その考えを受け取りません。例え、渡そうとして来ても、受け取りません。私(僕、俺)の心は、事実ではない事を受け取らないと決めてるので、受け取れないのです。」
この考え方を「繰り返す」ことです。 繰り返して、思考し言葉にして発することで、徐々に「受け取らない思考」が出来てきます。 繰り返すと、無意識レベルに蓄積されて固定化されるので、自然に「自分にとって不要な考えを受け取らない思考」が出来てきます。 これは本当に凄いですよ! 気にしてしまう方は是非試して下さい。
「継続は力なり」です。
「他人軸」で生きる親は「毒親になりやすい」ものです。 幸せになる道は、「自分軸」で生きることです。 そのことがよく分かるのがゲシュタルトの祈りです。
Ich lebe mein Leben und du lebst dein Leben.
私は私のために生きる。あなたはあなたのために生きる。Ich bin nicht auf dieser Welt, um deinen Erwartungen zu entsprechen –
私は何もあなたの期待に応えるために、この世に生きているわけじゃない。und du bist nicht auf dieser Welt, um meinen Erwartungen zu entsprechen.
そして、あなたも私の期待に応えるために、この世にいるわけじゃない。ICH BIN ich und DU BIST du –
私は私。あなたはあなた。und wenn wir uns zufallig treffen und finden, dann ist das schön,
でも、偶然が私たちを出会わせるなら、それは素敵なことだ。wenn nicht, dann ist auch das gut so.
たとえ出会えなくても、それもまた同じように素晴らしいことだ。
「他人軸」から「自分軸」で生きれるようになる為の、成長材料にもなるのです。
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