※この記事でお伝えしているヤクザとは暴力団のことではありません。従って犯罪者や暴力団を擁護するものではありません。
「ヤクザ」と「暴力団」を一括りにしてするのは「ステレオタイプ」というものです。
以下の引用文をお読み下さい。
ステレオタイプ(英: Stereotype、仏: Stéréotype)とは、判で押したように多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念やレッテル、偏見、差別などの類型・紋切型の観念である。
この記事では、この「ステレオタイプ」によって勘違いしていることを解いていただきたいと思い書きます。
まず、ヤクザ組織は事務所の所在地も公開しています。
「ヤクザ 事務所 所在地」でインターネット検索すれば住所がわかります。よく冷静に考えてみて下さい。あなたが心から犯罪をしたいのなら自分の情報を公開しますか?しませんよね。隠れて犯罪を犯しますよね。
海外の犯罪組織(マフィア)などは住所の公開はしていません。当たり前ですよね。犯罪が「目的」なのですから。目的達成のためで考えれば「住所の公開」はデメリットしかない。
逆に、日本のヤクザは事務所を構えて事務所の住所を公開しています。
犯罪が真の目的ならそんなことするわけないのです。犯罪が真の目的なら半グレやマフィア化したほうがいいに決まっています。だから組織という形が「実は犯罪率を低下」させているのです。
そのことに一般の人は気が付いてほしいです。
以下の引用をお読み下さい。
警察官犯罪件数年間561人に一人
平成18年度の警察職員の定員は総数28万8,451人
そのうち7,524人が警察庁の定員、28万927人が都道府県警察の定員
人口1万人あたり21.97人の警察官がいる計算になる
警察官の犯罪率を計算すると…年間100件の発表のケースとすると5倍で500件
500件として計算すると…28万927÷犯罪件数500件=561人に一人
一般市民は10.000人中年間1.6人と少ない(警視庁犯罪白書)
これは暴力団の犯罪件数より多い
暴力団の犯罪件数よりも多い組織は、”何団”でしょうか?
・・・・・・・・
警察官が勤務中に女子高生のスカートの中身を盗撮するのは、”精神的暴力盗撮団”と命名すればいいのでしょうか。
一般の人は実はヤクザに守られている側面もあったのです。中には危険な人が実際いますよね。私は良く知りませんが昔、ヤクザの事務所に連れていかれた時に「人を殺して慣れた…」と言っているすごく怖い人の目を見た時ゾッとしました。そんな怖い人を生んだのはヤクザ組織ではない。
「人を殺して慣れた…」と言っているような人を産み捨てたのは「血のつながった親」であり「差別」です。それが危険な人を作る基礎となった…。それを囲って出来るだけ犯罪率を低下させる働き(囲い)になっているのがヤクザ組織です。
もしもですよ、僕が昔に見た「人を殺して慣れた…」と言っている人がヤクザ組織じゃなかったらどうなるか想像できますか?ヤクザ組織は厳しい規律があり上の言うことを聞くことが大切です。だから、その「人を殺して慣れた…」と言っている人も「兄貴に怒られるから我慢してんだよ」みたいなことを言っていた記憶があります。(昔のことなので曖昧ですが)
つまり、「血のつながった親」であり「差別」などが生み出した「危険な人」に「我慢させること」が出来るのがヤクザ組織という囲いなのです。だから僕はその囲いを壊さないでほしいのです。どうか、このことについての深い理解をしていただきたいです。
僕の想像と当時の噂ですが、その「人を殺して慣れた…」と言っている人は「強姦」「屍姦」が好きらしく、何でも平気でやってしまう人だったらしいです。つまり、「兄貴に怒られるから我慢してんだよ」は「カッコ悪い犯罪を犯すな」ということなのです。
そこが犯罪率の低下に繋がっていることなのです。勘違いをしないでいただきたいのはヤクザ組織が危険な人を生み出しているのではない。「差別」「虐め」「虐待」などが危険な人を生み出すのです。それが本来「差別」「虐め」「虐待」をした人たちに牙を剥くものですが、それを最小限に抑えようとする働きになっているのが「ヤクザ組織(囲い)」なのです。
だから所在地の公開、筋道、こういったことが大事になってくるのです。
綺麗ごとでは済まされない話です。血のつながった親が子を傷つけること。これが本当に根の問題として尾を引くのです。心の世界で親の愛というのは人の一生を左右するくらいの力があるから、その愛がないと人は壊れてしまうのです。壊れた人たち(犯罪者予備軍)が行き着く先が「犯罪者の世界」なのです。
だけどそれでは日本の治安は悪くなる。だから日本にはヤクザ組織があり、それが囲いとなり、一般の人たちが安全に暮らせるような働きになっている側面もあるのです。
親の愛をもらえず、「差別」「虐め」「虐待」を受ければ、人は壊れてしまうのです。大事なのは「理解」と「温かさ」です。
僕は、この動画を見ると言葉にできない思いがこみ上げてきます。 辛さ、悲しみ、それを乗り越えて自分がまず気づき、そして、大切なことを若い世代へと伝えようとしてくれることは、とても真似できるものではないのです。
この歌は「俺の小樽」という歌で歌詞の中に「おふくろ俺の名を呼んでくれ」みたいな部分がありますが、親の愛というのは人間に最も影響を与えるものです。
以上、「差別」「虐め」「虐待」が少しでも減り、理解が深まることを願っております。
※この記事は犯罪を推奨するものではありません。
※暴力団を擁護するものもありません。
※記事の筆者は暴力団との関りは一切ありません。
※何かあればお問い合わせ下さい。
敵、味方は別として、1人の人間が、ただ、1人の人間を「同じ人間である」と認めることが大切なのだと考えさせられました。 最後に、もう一度ステレオタイプについての引用をご紹介します。
ステレオタイプ(英: Stereotype、仏: Stéréotype)とは、判で押したように多くの人に浸透している先入観、思い込み、認識、固定観念やレッテル、偏見、差別などの類型・紋切型の観念である。
これらの先入観、思い込み、そういったものの元になる情報を飛ばしているのは一体誰か。そこを見ると良いと思います。情報の取捨選択は本当に大切です。その情報を飛ばしている者の中に、情報を歪めている者がいるのです。
なぜ、歪めるのか。歪めることで「差別」「虐め」「虐待」を増やすことに繋げることが出来るからです。「差別」「虐め」「虐待」が増えているということは歪んだ情報が増えていてそれを鵜呑みにする人も増えたということです。
だから、僕たちのような一般の人にできることは、歪んだ情報は受け取らない。吟味する。そして「差別」「虐め」「虐待」を本当に必要としている人を見抜く。見抜いたら受け取らない。これで防ぐことに繋げられるのではないかと思います。
もし、あなたがこの記事に共感してくれましたなら、記事を共有していただけたら嬉しいです。 「差別」「虐め」「虐待」を減らし、本当の意味で犯罪者が減ることを願っています。
犯罪者が減るには、人が「本当の自分」を生きれるようになることが必要です。
「虐待」と「ヤクザ」が一体なの関係があるんだ。そう思う人もいると思います。僕が考えていることですがヤクザになるような人は「虐待によって深く傷ついた人たち」だと考えています。
一般的な人で「虐待された」と言っている人と違う点が「自らの虐待の被害を言うか言わないか」や「自らの虐待に気づくか気づかないか」です。
なぜ、ヤクザになるような人などは、自分が虐待されたと騒がないか。「親思い」だからではないでしょうか。自分を傷つけてでも親を優先する。だからだと僕は考えています。
自分を沢山傷つけた親でも、悪者にしたくない。そういった優しさが根底にあるのだと思います。
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