虐待者をしっかり拒否することが大事
「本当の自分」を取り戻すには自分が心理的に虐待されていたのならそれをしっかり認めて心理的に虐待した親をしっかり拒否することが大事です。僕はそれをして返すものも返した。片方の親は未だに支配をしようとしている。だけど一切受け取らないし影響も受けない。二度と自分を見捨てることはしない。
虐待者を拒否しないとどうなるか
虐待者を拒否しないとどうなるか。「虐待」を「認容」することになります。すると、自分も同じ穴の狢になり虐待者となります。そして、自覚なき心理的に虐待者となるでしょう。そして、傷ついたことを主張する者に「細かいことで傷つく癖をつけやがった弱い奴」とレッテルを貼ろうとして自分を正当化するようになる可能性もあるでしょう。そして自分の正当化を隠すために「おまえは自分を正当化しすぎだ!気づけ!」と「人のせい」にして生きるようにもなるでしょう。
拒否とは、
自分に向けられた要求・希望などを、いやだと言ってはねつけること。こばむこと。拒絶。
引用元:拒否 – Google 検索
認容とは、
認めて許すこと。容認。
引用元:認容 – Google 検索
虐待者を拒絶していいのです。それが虐待の連鎖を断ち切ることに繋がります。
本当に巧妙に人を傷つけた者は「人の悩みや苦しみを軽視」する。そしてアダルトチルドレンの人を軽視している場合もある。軽視しながら上手く「弱い本人が悪い」と罪悪感を植え付けていく。アダルトチルドレンの人の苦しみには巧妙に人を傷つけた者の痕跡がある場合がある。だからアダルトチルドレンの人の周辺にいる…場合もある。
これも虐待者がアダルトチルドレンの人などに「表現させない」ために使う時もあります。萎縮してる人たちはますます怖くなり表現をやめていく。静かなる圧力。こういった虐待者を知り尽くせば恐怖は減ります。「なんだ、虐待者が自己正当化のために虐待された側を抑圧してるのか。卑しい者だな」と。
本当に強い人と言うのは、「誰にも弱音や辛さを吐き出すことさえ出来なかった真の被害者」の心の叫びを心から聴ける人です。
そんな本当に強い人を必死に否定したがる本当は弱い人たち。真実は意外と逆が多いのです。犯罪者は確かに犯罪を犯した。それは誰の所為でもない。自分の行いです。
だけども犯罪者もまた人の子。心もあれば涙もある。だけど自分の心叫びを吐き出すことさえ出来ない。だから鈍感になるしかないのです。虐待を受け、虐待に気づかないために、鈍感になる。麻痺させるのです。それでも癒されない先に人は罪を犯してしまうのです。
だから人は「本当の自分を取り戻す」ことが大事。その本当の自分を取り戻す道の1つが「表現する」と言うことです。
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