「自分を可哀想と思うこと」は「成長のプロセスの1つ」です。

自分が自分を「可哀想」と思うことも、とても大事なことです。「成長のプロセスの1つ」です。それを邪魔してくる者は「虐待者」です。

可哀想とは、

弱い立場にあるものに対して同情を寄せ、その不幸な状況から救ってやりたいと思うさま。

引用元(https://www.weblio.jp/content/%E5%8F%AF%E5%93%80%E6%83%B3)

辞書に書いてある通り、「自分を可哀想と思うこと」は「自分が自分の親となり、心の中の小さな自分を、不幸な状況から救い出したいと思う」ことなのです。素晴らしいことだとわかりますよね。繰り返しますが、自分が自分を「可哀想」と思うことは、大切な「成長のプロセスの1つ」です。

これは、辞書にあるよう「不幸な状況から救ってやりたい」という、前向きな意味。それを時々、下衆の勘繰り、邪推から「可哀想の人は誰々のカモになる」など話を捻じ曲げる人もいる。「それは、お前自身、お前の考えなんだよ」と伝えてもわからないでしょう…。だから変なのとは関わらないことが大事。

人は、自分で「意味づけ」をして、その世界に住んでいます。誰かをカモにしてばかりいる人は「他人が誰かをカモにしているように見える」こともあるのです。それは、その者の「世界」です。自分の人生に不要な者は、切り捨てることが大事です。僕らは他人の犠牲になるために生まれてきたわけではない。

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6年もの集大成:サヨナラ・モンスター

あなたの心の奥底には、知らず知らずのうちに抱え込んでしまった感情や思考の纏まりである"モンスター"が潜んでいるかもしれません。『サヨナラ・モンスター』は、「書くこと」でそのモンスターと対話し、心の傷を癒し、本当の自分を取り戻すための第一歩となる教材です。音楽の力を借りて、自分の心の声に耳を傾け、書くことで深い部分の心理的な問題を解放しましょう。今、この瞬間から、あなたの心の旅をスタートさせ、新しい自分との出会いを実感してください。 僕自身もこの方法で、数えきれないほどの心理的問題を解決してきました。その一つ一つが、大きなモンスター(纏まり)を紐解いて、その奥にいる「心の中の小さな自分」を救うことに繋がります。

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