「弱い犬ほど良く吠える。」この言葉のように僕も弱いので、つい偉そうなことを言ってしまいその後に「あっしまった!」と思う事もありますが、忘れてはいけないことは「謙虚になる」ということ。
人には、こちら側には理解できないこと、知らない苦しみや心の傷を持っていることがあるものですが、つい、そういった事なども考えられずに自己中心的な考えになりがちです。
相手を傷つけるつもりはないのだけれど、こちらの悪意のない言葉を相手が受け取って相手の主観により傷つく場合もあります。そういったことも配慮して謙虚になることも大事なことだなと思いました。
そして謙虚な人ほど実は強い人なんだと分かりました。謙虚=臆病、弱虫ではなかったのです。謙虚とは「相手を敬い、相手の意見を受け入れること」を言います。
つまり臆病者は謙虚にはなれません。相手を敬い相手の意見を受け入れるには勇気が必要です。本当に強く相手を受け止める器のある人にしか謙虚な態度は出来ないです。
弱い人の謙虚はあれは本当の謙虚ではなく、謙虚の名を借りた媚び諂いです。
僕は、謙虚さがないので心の奥が臆病ということですから謙虚な自分を目指していきたいなと思いました・・。
謙虚になるには、自分の主観的に見方ではなく、客観的に人を見ることが出来るようにならなくてはいけません。本当の謙虚さを手に入れるには、自己中心的な妄想の世界から抜け出して、客観的視点を手に入れ、世の中を俯瞰して見れるようになることが必要です。その上で、物事の成り行き、因果関係、点と点が繋がることが分かってくると、自然と謙虚な自分に近づいていけるのです。
謙虚の反対は横柄とか高慢だと思いますが、どちらも客観的視点で見れておらず俯瞰して世の中を見ていないから出来ることです。世の中を自己中心的に見れば、横柄とか高慢でいられなくなります。
客観的視点で見れるようになるほどに、そして、俯瞰して世の中を見ることが出来るようになってくると、人は1人では生きられず、絶えず、恩恵を受けており、生かされていることが見えてくるのです。自分は、生かされているのです。それがわかると、謙虚さも少しずつ身に付いてきます。
コメント