人間は、感謝の心を養うことで、そこから次のステップに移行します。
物事の背景を知ることが有難うに繋がる
その感謝の心を養うには色々のやり方があるのですが、その1つに「物事の背景を知ること」があります。物事の背景を知ることで、その背景にある1つ1つのこと、誰かがやってくれたこと、それが有ることが、実はとても難しいことだったと気づける場合があり、その気づき、気づきの連続によって、本当の意味での感謝の気持ちを持てる場合があります。有ることが難しいことに気づき、それと併せて「感謝できない人が感謝できるようになるために大切なこと!」でお伝えしていることが起こることで、「ありがとう(有難う)」という気持ち(深い感謝)が、心の深い部分から起こることがあります。
人生は有限
人生、命は有限です。下記記事に書いたように、
人生はあっという間に終わってしまいます。
そして絶対に避けることが出来ない死、、、お金も、名誉も、誰かを連れて逝くことも出来ません。人は一人で生まれてきて、一人で死んでいくのです。そんな人生の最期に、恨み辛みで終えるのか、恐れながら感謝のフリで終えるのか、、、それとも深い感謝の心で終えるのか。それは残された時間(命)をどのように使っていくかにかかっているのかもしれません。人は「変わる」と決めたら変わります。変わらないのは無意識のうちに変わらないと決めているからです。だから本気になった人だけが変わります。
区別をした上での感謝の気持ちを親に対しても持つことが出来ました
これまで自分が生きてきて、誰かに育てられて、教えてもらえて、助けてもらえたこと。その背景にあることはほとんど知らないはずです。知ろうと思えばもっと沢山のことがあったことに気づけます。例えば僕の場合は、宗教の強要や洗脳、親から騙されたこと、家族間でスケープゴートだったこと、ガスライティングを受けて、冷たい濡れ衣を着せられていたことなど、色々とあったことで恨みを持ったこともありましたけど、最終的には区別をした上での感謝の気持ちを親に対しても持つことが出来ました。その理由の1つに、「親への恨みはでっち上げ」に書いた次の2つのこと、、、
1つ目:十分だと気づいた
1つ1つの物事に対し、理解が深まってくると、親からされてきた良かったことは、有ることが難しいことだったのだと、親が子を思うからこそ出来た事もあるのだとわかるようになりました。
それがわかってくると、9歳以前のこと、そして9歳から13歳のほんの少しの良い記憶、そして亡くなる数年前からの良い記憶、これだけで十分じゃないか。十分すぎるくらいあったじゃないか。そう思えるようになったのです。第9章 心を晴らすには 有難う から
2つ目:愛があったことに気づいた
親への恨みを持っていたことがあったけど、母の心の苦しみ、立場、色々わかってきて、僕が事故で死なず生きていたのも、親の愛があったからなのだとわかります。
愛があるから、その愛が、子供が事故に遭わないように、死なないように、無意識のうちに注意することが出来るのです。
僕自身、殺処分されるはずだった保護猫を飼って9年(この文章を書いた時点で)になりますが、この9年、猫が怪我しないように、殺されないように、死なないように、細かいところまで注意し続けてきて、サヨナラ・モンスターの書く作業をしている時などに、ふと思ったのです。
「俺が今生きているのは、親が細かいところまで注意してくれて、気配りをしてくれていたからだ」と。こういった気づきも、「恨み」が「感謝」に変わることに繋がったのです。
有ることが難しいこと(親からしてもらったことなど)は沢山あったのです。第9章 心を晴らすには 有難う 自分を心の拠り所に
親の背景を知り、
愛があったことを知り、
そして、十分だとわかったのです。
俺はなんて欲張りな人間なんだと、そう思ったこともありました。子供の頃にもらった愛だけで十分なのに、それでも足りないと思って、親の背景も知ろうともせず、有ることが難しいことが沢山あったのに、過去にあったのに、それを見ることが出来なかったのです。有ることが難しいことが沢山あったことに気づいたら、ありがとう、そう思えました。
人は物事の背景を知ることで、心の成長材料が増えて、そして感謝の心が養われる場合があります。
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