家族の中で操り人形になって、犠牲になっていませんか?
家族の中で犠牲になっているのに犠牲になっていることに気が付いていない人へ…
「犠牲になる人がいて当たり前」になっている家庭で育つと、犠牲になっているのに犠牲だと気が付いていない人もいます。そして苦しくなっていって初めて「自分は犠牲になっていたんだ」と気が付いて抜け出せる場合もあります。
そんな犠牲になってしまう人がいる家庭では自分を犠牲にして見返りを貰うことで安定を保つ仕組みがある場合があります。誰かを信頼していくことは誰にでもあることですし、信頼することは素晴らしいことです。しかし、そこに「見返り」を期待してしまうと純粋な信頼から「見返りの為の信頼」に変わってしまいます。そうすると「やってやったろ?」とか「信じてたのに裏切られた」というような言葉が出てくる場合があります。自分の為にやったのではなく、相手の為にやっているので、自己犠牲に変わっていき自分が壊れていきます。
字の通り「人の為」と書いて「偽り」となるように、自分以外の為と言うのは偽りの場合が多いのです。実際は人の為と言いながら自己犠牲という、一番大事な身近な自分を見返りの為に相手に差し出しているのです。
良い人ほど犠牲になるとも言われるように、自分の心を誰にでも開いて解放するような態度はあまり良くない場合があります。自分を解放すると、依存をして足りないものを補う働きを出す人たちを引き寄せてしまうのです。依存する人は自己肯定感が低いので自分の足りない部分を補う為に、自分を解放している人を利用して補おうとするので、そういった働きの犠牲になっていきます。
そうすると何故か悪者にされる、何故かでっち上げられる、何故か失敗ばかりするというようなマイナスが増えていきます。そして自己犠牲が強まるのでだんだん苦しくなってきます。
防ぐためには自分を誰にでも解放することをやめること。そして自分への攻撃があれば正しく対処することが大事です。決して負け犬根性になってはいけません。自己肯定感を高め、自分の為に自分の人生を歩んでいきましょう。自分の為に行えば、 感謝されたり、認めてもらえなかったとしても傷つくことはなくなります。私は過去に「親の為ならいつでも死ねる!」「堂々と死んでやる!」「怖いものなどない!」と強く思っていた時期があります。これは間違いで見返りを期待した完全な自己犠牲でした。
自己犠牲、自己否定を知らず知らずしていき、他者承認を求め心が地獄のどん底のようになったこともあります。そうなった原因は自分を犠牲にして自分を大事にしなかったからです。日本人は知らず知らず自己犠牲をする方が多くいます。そんな生き方は背景に見返りの心がある場合が多いと気が付き目の前の自分を一番大事に、自分で自分を育ててあげましょう。
あなたは素晴らしい人です。あなたにしかない素晴らしい個性が眠っています。その素晴らしい個性が出てくると、私もあなたも全員価値があるので、それぞれの立場をまっとうすると争うことは不必要になるのです。もし、今何かの犠牲になっている人は、悲しんでいる自分に気づいて、自己肯定感を高めましょう。
自分を救えるのは、自分です。
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