傷つきやすいのは狡賢いから?いいえ、傷つきやすいのは繊細で強いからです。
「繊細で、強い?」
「はい、繊細で、強いから」です。
実は、真の強さは繊細であることです。逆に、真の弱さは鈍感であることなのです。
繊細でいると、傷つきます。苦しくなります。細かい部分まで知ってしまいます。それだけ恐怖も不安も出ます。それでも、自分がそれを無意識のうちに選んでいるのは強いからです。強くないのなら繊細ではいられません。繊細ではない自分になる道はいくらでもあります。逆に、鈍感であるということはアルコール依存症のようなもので、何も感じないように逃げているだけです。逃げずに、現実を知ろうとするからこそ、人は繊細になっていくのです。
我々の社会において、今、便利なものが沢山ありますよね。それらは全て「繊細さが有ったが故に生まれたもの」です。繊細とは「細くて小さく、 感情や感覚が細やかなこと」という意味です。あなたが着ている洋服も、乗っている車も、どれもこれもが「細かい部分がしっかりしている」のです。細かい部分をしっかりさせるには細部に対しての徹底した感覚も必要です。つまり細かい部分をしっかり見れる繊細さ無くして成り立つものではないのです。すべては「繊細さが有ったが故に生まれたもの」です。
それだけの繊細さから生まれた便利なものを社会に残したということは立派な社会貢献ですよね。そして、それだけの社会貢献を形としてしっかり残せるということは、それだけ人間的な成長をされているからです。つまり、強い人間だからこそ、繊細さを大切に、そこから創造出来たのです。
繊細であるほど、人は強く、そして傷つきやすいのです。
繊細さとかけ離れた者で、嘘つきな者は、細かい部分まで本当のフリは出来ません。どんなに精巧な偽物でも、細かい部分のどこかが本物とは違うものです。それと同じです。だから嘘つきは繊細を嫌うのです。そんな嘘つきが、誰かを逆に嘘つき呼ばわりするときに、「傷つきやすいのは狡賢いから」と言うことがあります。
つまり、嘘つきは加害者です。加害をしている自分を自分でわかっています。だから、自分の加害によって傷つけたことを隠ぺいするために、「傷つきやすいのは狡賢いから」としておくのです。こうしておけば、その人が傷ついたのは加害者の所為ではなく、狡賢いからと原点をすり替えることが出来ます。そうやって加害を隠しながら人を傷つける嘘つきもいます。
以下の臨床心理士の方のツイート文章をツイッターで見た時に「この人すごい。現実を見ている」と思いました。
見に覚えのない事を吹聴されたり、陰口を言われたり…
潔白だからこそ気が気でなくて証明したくなるよね。
だけど口で対抗したって、口が上手い人やそれを信じて多数派になった集団には敵わない。
潔白はきっと時間が証明してくれる。
誠実な行動を積み重ねていけば、きっと誰かが見ていてくれる。— 竹田美由 | カウンセリングカフェ𝘭𝘪𝘭𝘤𝘢𝘧𝘦 (@LILLIL39) October 22, 2018
こちらの臨床心理士の方のツイート、本当によくわかる。潔白だから「違うのに!」と証明したくなる僕もそうだった。証明するために「嘘つきがいる」ことを主張する。すると嘘つきは「自分が嘘つきだから他人を信じられないんだよ」などと何処までいってもすり替えてくる。やり取りをすればするほどイライラするし、頭にくることもある。そして潔白な側が怒ると嘘つきは「自分は被害者だ」と主張している。この者の茶番劇に巻き込まれているのです。攻撃されて反撃したり怒ったりすると、次は加害者に見せかけられる。どこまでいっても腹黒いやり方なのです。
このような「人を傷つけずにはいらない者」が「嘘つき」なのは「嘘」が二次的、三次的に人を傷つけるからだ。つまり嘘を多用するのは嘘が人の心を抉れるとわかっているから。そんな者は「面白い」という言葉を時々無意識のうちに発している。人が傷ついて困っているのが面白いそうです。そして「”傷つくのはズル賢いから”」と良心な欠片も無い言葉を発する。震災で被災した犠牲者遺族がズル賢いわけが無い。
心の傷は深ければ深いほど簡単には癒えません。そして傷が深いほど、その傷の周りに無数の未処理・未消化の感情が纏まって絡み合っています。それを一つ一つ「理(物事の道筋)」を持って時間をかけて解いていく。そうやって傷は癒えていくのです。そして解く過程において、様々な人間的成長がある。
「傷つくのはズル賢いから」と言っている者自身が、ズル賢いことを考えて「傷ついた…」と嘘を放ち、「心の傷」を悪用してきたのでしょう。 その先に待っているのは「被害妄想」です。実際、被害なんて無いのに、被害を受けている不安に苛まされます。嘘の傷(嘘被害)を語り続けたら癖になります。
そして、嘘被害、嘘の心の傷を語り続け、癖になると、「傷ついた人たち」を見て「なんてズル賢いんだ!」と見えてしまうでしょう。それは自分を映し出していると思います。 「傷ついた」と言っているのはズルい人だからではなく、傷ついたから、ありのまま「傷ついた」と言っている人が殆どです。
人の心を傷つけている者ほど、心の傷を大したことないとする。それなのに、相手の心を刺して自分を被害者に見せかけるときだけは「私が被害を受けているのは…」と自分の嘘被害、嘘の傷を主張し出すのです。どこまでいっても腹黒く、平気で嘘をつく者が「嘘」に魅了された者です。簡単に嘘をやめることはないでしょう。
そういった者もこの世にはいるんだ…、という現実を認めた上で、彼ら嘘つきに手口を知り尽くし、見抜き、関わらない選択をするほうが良いです。知り尽くしていないと、どこかで引っ掛けられたりしますので、知り尽くしておくことで安心することが出来るのです。
僕自身、嘘つきに対して、恐怖を抱いていました。とても強い恐怖です。そして、嘘つきを知れば知るほど恐怖は減っていきました。あなたが恐怖しているのなら、知るべきことを知らないからです。知ってしまえば怖くなくなるのです。僕は、サヨナラ・モンスターの方法で、自分の恐怖を減らしました。
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