この記事でお伝えしたいことは、恐怖を知っておくと、恐怖が出てこない場合もあるということ。
先日、僕が住んでいるすぐ近くで、傷害事件が起こりました。爺さん(80歳くらい、身長176cm)が、車の中で口論になった30代女性を、斧で切りつけ、その後乗っていた車で逃亡し、指名手配になったそうです。原因はわかりませんが、二人は顔見知りだそうで、勝手な憶測ですが、金銭と恋愛絡みのトラブルではないかな?と思いました。
事件当時、僕は事件現場から数百メートルくらい離れた家にいたのですが、事件に気付きませんでした。被害者の声も聞こえず、突然、パトカー、消防車、救急車、覆面、色々来て、それで気づきました。僕の家の窓も開いておらず、事件現場の近くに、川もあるので、例えば、助けてと叫んでいたとしても声がかき消されて聞こえません。
気付けなかったことが残念でした。なぜかというと、こういった事件が近くで起こった場合、助けたい!と思うので、事件の時に、そこに行けなかったことが残念でした。
こう言った場合、僕は、恐怖が出てこないです。人によっては、相手が武器を持っていて、体も大きめで、危険な人物だと恐怖すると思いますが、僕の場合は、こう言ったことには恐怖が出てきません。僕の場合は、日常的なコミュニケーションに対して、恐怖?が出るのです(ここはまだ自己理解が出来ておらず未処理)。ただ、これは過去の嫌な記憶からくるものだなと思っています。
聞くところによると、犯人が逃げているから、もし近くにいたらどうしよう、夜中に家に侵入されたらどうしよう、色々恐怖すると言いますが、僕の場合は、こういったことに恐怖が出てこない原因の1つは、子供時代の暴走族の経験が関係していると思います。
子供時代に、誰かがヤクザとのトラブルで指詰めたとか、さらわれたとか、刺されて死んだとか、金属バットで頭をフルスイングで殴られて死んだとか、アイスピックで腹刺したとか、押さえつけて脚をバットでへし折った、耳削がれた、目が潰れた、車ではねた、そういう怖いことを、見聞きして、僕はそんな酷いことをしていませんが、そういうことをする人たちがいました。そっちの方が怖いなと思っていたので、他の強い恐怖を知ったことで、今回の斧で切りつけたような犯人などは、とても小さなこと(恐怖に関して)に思えるのです。
強い恐怖を知る。これは、とても大切なことだと思います。
もし犯人が家に侵入してきて、立て篭もろうとしたり、寝ている間に、僕の寝込みを襲おうとしたら、正当防衛、または、過剰防衛くらいのレベルで、反撃して、縛り上げて、警察に突き出してやろう、そしてそれは必ず、そうなるだろう、そう思えるから(解釈)、恐怖とかはこういったことでは出てこないです。恐怖は感情であり、解釈の結果発生する感情です。
ただ、僕が子供時代、暴走族を経験せず、それに関してヤクザの人などを知らず、真面目に、優等生で生きていたら、こういったときに恐怖が出ていたのかもしれません。(今は一切、悪い人との関わりはありませんが、恐怖が出てこない今回のことから、過去をまた1つ肯定できたというお話です。)
どんなことにもプラス面があります。
恐怖から逃げると、恐怖はますます強くなりますけど、他の強い恐怖を知ると、別の恐怖が減っていくことがあります。ですので、自分が抱えている恐怖、それに向き合えることから向き合って、「知る」を増やしていくと良いと思います。ただ知るだけでは不十分で、複数のことが複合的に働くことで良い変化に繋がりますので、「複合的な働きかけ」を忘れないでください。僕は、サヨナラ・モンスターで複合的に働きかけることで、大きな変化が起こりました。
恐怖を減らしたい、あなたがそう思うなら、その恐怖に向き合ってみてください。怖いし、痛みも伴う場合もある。だけど、それ以上に、得れるものがあります。マイナスとプラスは1セットです。
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