Q:先日SNSでフォローしてる人が亡くなりました。苦しむのがもう嫌だからと自死したそうです。人は死んだらどうなりますか?苦しみから解放されると思いますか?
質問は「質問箱」から
まず人が死んだらどうなるのか、それはわかりません。誰にもわからないことです。断言してはいけないことです。死んだら戻ってこれませんし、死んだ人と話したという人もいますが、それが事実である証拠など1つもありません。つまり生きている人間は必ず死ぬけど、死は約束されているけど、誰もその答えはわからないのです。死後どうなるかについての事実を人類全体で共有することなど出来ないのです。死後の世界が見える、わかると断言する人は、恐らくは統合失調症などによる妄想か、或いは詐欺師などではないかなと僕は思います(僕も子供の頃は散々騙されました)。わかるわけがないことがわかってしまうと思うのは、何か大きな問題があると思います。僕は子供の頃、シンナーを吸っていました。それは幻覚世界を探検する為でもありました。そういうことをしているうちに現実と妄想の境界性が曖昧になったこともあります(薬物を使うとより危険だけど、薬物を使わず妄想し続けている人も危険です)。あの世が見えるという人たちは、薬物を使っていないだけで、そのようなもの(自分の想像にのめり込み過ぎ)ではないかなと思います。ある意味現実逃避だと思います。僕は死後の世界があるかないか、一切わかりません。個人的に思うこととしては、死後の世界があり、生まれ変わりもある場合もあるかな?と思っています。
こういった考えを持っている為、自死をすると、死後も生まれ変わりも苦しいものになるではないか?と考えています。続きがあると思うので、救いを求めて死んでも、結局は苦しみを増やすだけだと考えています。なので、自分が出来る範囲内で最期までは生きていこう、そう思っています。死後どうなるかわからないけど、成長することは無駄ではない。そう思います。つまり自殺をするともっと苦しくなるだけだと思うから、苦しみを減らす為に出来ることをやって生きた方が得であると考えています。
ではその苦しみを減らすこととは何か? それがサヨナラ・モンスターの考えです。要は、心の深い部分からの転換です。心理学的に言えば「スキーマを変える」ことです。仏教的に言うなら「宿命転換」ですかね(僕は無宗教です)。つまりは心の深い部分を変えていくこと。より高い視点、高い視座、広い視野(親への恨みはでっち上げてお伝えしたこと)を出来るだけ増やすこと。それが心の苦しみを減らす為の王道ですから、それを生きている限りやっていきたいなと思っています。
僕の個人的な考えとしては、自死を選択しても苦しみから解放されることはないのではないか?そう思います。苦しみから逃げても逃げても苦しみはついてくる。だったら苦しみに突入して、核の部分から変えてしまえばいい。そう思います。その為に人間には「思考する力」が与えられているのだと考えています。
つまりパンセが言う(「人間は考える葦(あし)」)ということです。
「人間は考える葦(あし)」、これは、フランスの思想家 B.パスカルのパンセのなかの言葉です。
人間は、自然のうちで最も弱い一本の葦にすぎない。しかしそれは考える葦である
人間は自然界で弱いけど「思考出来る素晴らしい存在」です。自分の頭で考えて自分を苦しみから解放させてあげられる答えを出していく。それが大事なことだなと思います。
僕が知っている人の中で、自分で考えることをやめた人たちは皆、思考停止状態になりおかしな教祖に洗脳されにいきました。そして苦しみを増やしながら依存を強くしていきました。
思考を停止させてはいけない。それ(思考停止)が苦しみの原因の1つになり得るからです。
鵜呑みにはしないで下さい。
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