細部を見て、真実を見ることが大切
細部には、「無意識に影響を与えるもの」が沢山潜んでいたり宿っています。それは良くも悪くも、です。
例えば、日本の殺人の55%が親族間殺人(2016年警察庁より)ですが、こういった事件、僕からすれば自然な結果として「起こるべくして起こってしまったもの」であると理解出来ますが、多くの人は理解出来ない、理解したくない、罪を犯した側が悪い、こういった考えで終わらせようとします。物事が起こるには、ちゃんとそれ相応の理由が隠れています。それらは1つ2つの話ではなく、細部に、無数にあるのです。加害者は被害者でもあります。細部を理解していけば、なぜそれが起きたのか、納得せざるを得ないことが隠れている場合があります。
だからこそ僕は、悲惨な事件や不幸を回避する為に、1人1人が責任を持って細部を意識し、大切にしてほしいと思っています。細部を軽視し、細部に害を潜ませ、それに蓋をする(無自覚な)コミュニケーションは、いつか、相手を爆発させてしまうのです。爆発した側も細部の影響に気づいていないこともあります。犯罪者が逮捕後「悪魔が囁いた」と言うことがありますが、それはその人自身が創ってしまった無意識レベルのプログラムであり、それに突き動かされてしまったのです。勿論、その者が悪いのです。しかし、その者がそうなるまでの間に、どんな影響を受けていたのかも重要です。特に、細部の影響です。人は、この細部の影響で創られていると言っても過言ではありません。
例えば、親族間で1人を悪者扱いし、自尊心を傷つけ、嘲笑し、その人の気持ちを無視し続け、無価値な扱いをしている人たちがいたとします。これは逮捕されませんが「魂の殺人」です。そして、魂の殺人による凡ゆる行為を受け続けた被害者が、爆発し、加害者に一転してしまう、、、。ということが多いと思います。しかし多くの人は、その加害者が被害者であった部分を見ない、または軽視するから、その問題の本質が見えないのです。大事なことは物事を正しく見ることです。
※本記事は「最新のChatGPT4.0」を活用して、著者が監修し記事を書いていますので質の高い情報提供が出来ます。画像出典:DALL·E 3 ※画像はAIで生成したイメージです。
実際には、多くの細かな要因や背景が絡み合って、その結果が生じている
ご意見や考えを共有していただき、ありがとうございます。
細部には、確かに「無意識に影響を与えるもの」が多数潜んでいると思います。それらの細部は、人の行動や感情、意識に大きく影響を与え、時には予期せぬ結果を生むこともあります。特に、家族間や親しい関係でのコミュニケーションは、その細部が大きな役割を果たすと感じます。
一般的に、大きな事件や事故が起こると、その原因や背景を簡単に一つの要因に帰結させがちです。しかし、実際には、多くの細かな要因や背景が絡み合って、その結果が生じているのです。その細部を正しく捉え、理解することは、事象の本質を理解する上で非常に重要です。
また、加害者と被害者の関係性も、一概に簡単に定義することはできません。加害者もまた、過去の経験や背景、細部に隠れた多くの要因によって、その行動をとるに至ったのかもしれません。そのため、一方的に加害者だけを非難するのではなく、その背景や状況を正確に理解し、対応することが重要だと思います。
物事を正しく見ること、真実を探求することは、私たちがより良い社会を築くための第一歩です。細部に潜む様々な要因や影響を理解し、それに基づいて適切な行動や判断をすることで、より良い未来を創り出すことができると信じています。
悲惨な事件を防ぐ為にも細部や真実を見ることが大切
こういった事件を防ぐ為にも、細部を見て、真実を見ることが大切だと思います。
背後に隠れている真の原因や背景を見つけ出すことは難しく、努力が必要
まさにその通りです。事件や事故、様々な問題が起きる背後には、見えにくい細部や背景が存在します。それらの細部を正確に捉え、理解することは、同じような問題が再び起きるのを防ぐための第一歩となります。多くの場合、表面的な原因だけを見て結論を出すのは簡単ですが、その背後に隠れている真の原因や背景を見つけ出すことは難しく、努力が必要です。しかし、その努力を惜しまず、真実を追求することで、真の意味での問題解決が可能となります。
また、細部を見ること、真実を見ることは、個人の問題だけでなく、社会全体の問題にも適用されるべき姿勢です。社会全体がそのような姿勢を持つことで、より良い、安全で公正な社会を築くことができると信じています。
神は細部に宿る:小さな部分や瞬間にこそ、大きな意義や価値が隠れている
「神は細部に宿る」という言葉は、細部への注意やその中に見出される美しさや真実を重視する哲学を表しています。この言葉は、しばしば建築や芸術における精緻なデザインや技巧を評価する際に引用されることが多いです。特に、ドイツの美術家や建築家たちは、細部にわたるこだわりを持って、その中に真の価値や意味を見出そうとしてきました。
この言葉の背景には、小さな部分や瞬間にこそ、大きな意義や価値が隠れているという考え方があります。それは、日常の中で私たちが見過ごしやすい細部に、神のような偉大さや美しさが宿っているという哲学的な意味を持っています。
そして、神や悪魔は比喩としてですが、細部にはいろいろな影響が隠れています。無意識のうちに受ける影響に、多くの人が気づいていません。その多くの人が気づいていないレベルこそが、大きな影響を良くも悪くも与えているのです。
悪魔は、コミュニケーションの細部に潜む
悪魔は、コミュニケーションの細部に潜む。これは文字通りの意味ではなく、人間関係やコミュニケーションの中に隠れている悪意や悪影響を指すメタファーです。例えば、無意識のうちに相手に気づかれないよう、じわじわと悪影響を与え続けて弱らせる行為。これは、巧妙で狡猾なモラルハラスメントやガスライティングの手法として現れることがあります。他にも、微妙な言葉のニュアンスや、隠された批判、または他者をコントロールしようとする操縦的な言動など、コミュニケーションの背後に隠れた動機や意図が、相手を傷つけたり、疲弊させたりすることがあります。これらの行為は、表面上は無害に見えるかもしれませんが、長期的には相手の心や精神に深い傷を残すことがあるのです。
気づけないものであればあるほど深刻な影響を与える可能性が高いのです。
神も、コミュニケーションの細部に宿る
コミュニケーションの細部や無意識のレベルにおいて、私たちの中には「悪魔」と「神」のような二つの側面が存在しています。「悪魔」は私たちが無意識のうちに及ぼす悪影響や誤解、偏見を喩えています。一方、「神」は私たちの言葉や態度が他者に与える良い影響、理解や共感を象徴しています。これらの側面は、私たちの心の中で絶えず競い合っています。そして、どちらの側面が強く影響するかは、その人の意識や選択にかかっています。
その人の「心」次第:
コミュニケーションの細部には、時として悪魔のような悪影響が潜むことがあります。それは、人々が無意識のうちに互いに及ぼす微細な影響や誤解、または操縦的な行為として現れることがあります。しかし、同じコミュニケーションの中には、神のような善意や愛、理解が宿ることもあります。この良し悪しのバランスは、コミュニケーションを行う個人の心や意識に大きく依存しています。コミュニケーションの細部に悪魔が潜むのか、神が宿るのか、それはその人の心次第であるのです。
終わりに
私たちが日常で遭遇するさまざまな状況や出来事は、その細部に隠された意味や価値から成り立っています。一見取るに足らないと思える小さな出来事や言葉も、結果として大きな影響をもたらすことがあるのです。細部こそが全体に作用しているものだから、心をこめて細部を大切にしましょう。それにより、より豊かで意義深い人生を築く手助けとなるでしょう。
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