はじめに
メサイアコンプレックスを持つ指導者が政治に介入しても、政党には不利益になることが過去の研究から判明しています。
政党に不利益になることがわかっているように、1つの家庭においても同じです。メサイアコンプレックスの持ち主が築く家庭も、家族に不利益になることが多いので、家庭は崩壊へと向かいやすくなります。機能不全家庭。
だからメサイアコンプレックスを抱えている信者の家庭は、貧しくなったり、子供が非行に走ったり、或いは自傷行為、心理的な問題を抱えやすいのです。無意識のうちに、メサイアコンプレックスに突き動かされて、不利益や有害なことを増やしているからです。
これらを辿ると親のメサイアコンプレックス、更に辿ると宗教的信念の歪みや悪影響がある場合もあります。
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オーストラリアのモナッシュ大学に所属する学者の研究
この研究[mfn]参考文献:(PDF) The Leadership Contest: An end to the ‘messiah complex’?(https://www.researchgate.net/publication/321880005_The_Leadership_Contest_An_end_to_the_’messiah_complex’)[/mfn] では、「メサイアコンプレックス」とは、政治的指導者が自らを国や政党の救世主として位置づけ、その個人の魅力やカリスマに大きく依存する選挙キャンペーンの戦略を指しています。2013年のオーストラリア連邦選挙とケビン・ラッド元首相のキャンペーンを事例に取り上げ、このコンプレックスがどのように選挙戦に影響を与えたかを分析しています。
研究から明らかになった主な点は以下の通りです:
- 個人の魅力に依存するキャンペーンの限界:ラッドのキャンペーンは初期には成功を収め、支持率が上昇しましたが、選挙戦が進むにつれてその方法が批判されました。政策提案が計画的でない「思いつき」と見なされ、選挙戦のカオスと無秩序を象徴するものと批判されたことから、メサイアコンプレックスに依存するキャンペーンの持続可能性に疑問が投げかけられました。
- 政治的安定性への影響:ラッドのキャンペーンスタイルは、党内の政治的安定性にも影響を及ぼしました。キャンペーンの方向性と戦略を個人が支配することで、政党組織の計画が狂い、党内のコミュニケーションや協力が崩れる原因となりました。
- 政党と政策よりも個人が前面に:この選挙戦では、政党の政策や実績よりも、個人の魅力やカリスマが前面に出されました。これは、選挙キャンペーンがますます「大統領選挙式」になっていることを示しており、政治的議論が個人の能力や人格に焦点を当てる傾向があることを示しています。
- メサイアコンプレックスの終焉:ラッドのキャンペーンの失敗は、政治的指導者が単独で選挙戦の運命を左右することの難しさを示しました。選挙キャンペーンが個人のカリスマに過度に依存することのリスクを浮き彫りにし、政党の組織力や政策の重要性を再認識させる結果となりました。
この研究は、政治キャンペーンにおけるメサイアコンプレックスの限界と、政治的リーダーシップに対するよりバランスの取れたアプローチの必要性を示唆しています。個人の魅力に頼ることの短期的な利益にもかかわらず、長期的な政治的安定性と成功には、政策、組織力、そして党全体としての協力が重要であると結論づけています。
この研究は、オーストラリアのモナッシュ大学(Monash University)に所属する学者によって行われました。著者は以下の二人です:
- Paul Strangio – モナッシュ大学の政治学の教授または准教授である可能性が高いです。彼はオーストラリア政治史、特に指導者やリーダーシップに関する研究を行っている学者です。
- James Walter – 同じくモナッシュ大学の政治学や歴史学に関する教授または准教授です。オーストラリアの政治的リーダーシップや政策形成プロセスについての研究を専門としています。
この研究は、「Abbott’s Gambit: The 2013 Australian Federal Election」という書籍の一部として掲載されており、2013年のオーストラリア連邦選挙を分析した一連の研究の中で、特に「The Leadership Contest: An end to the ‘messiah complex’?」という章で、政治リーダーシップの問題、特に「メサイアコンプレックス」と呼ばれる現象に焦点を当てています。この研究では、選挙キャンペーンがどのように個人のカリスマやリーダーシップスタイルに依存するようになったか、そしてそれが政治的結果にどのように影響するかを探求しています。
彼らの肩書きや専門分野は、モナッシュ大学の政治学部または関連する学部に所属していることから、政治学、オーストラリア政治史、リーダーシップ研究に関する深い知識と専門性を有していることが示されています。この研究は、政治的リーダーシップの性質と選挙キャンペーン戦略の進化についての理解を深めるのに貢献しています。
終わりに
過去の研究からわかっているように、メサイアコンプレックスでは限界があるのです。政治的指導者は特に、メサイアコンプレックスを抱えていないか、このコンプレックスに突き動かされていないかを、自問自答し、自己認識や自己理解を深めるべきです。このような自己反省は、効果的で持続可能なリーダーシップを育む上で不可欠です。
政治的指導者だけではなく、人に影響を与える立場の人は皆、このコンプレックスを無意識下に抱えていないかを認識し、理解できるように、勉強もするべきです。リーダーが自己の内面を理解し、その行動や決定がどのように他者に影響を及ぼすかを深く理解することは、より公正で包括的な社会を築く上で重要です。
また、メディアや公衆も、リーダーを評価する際には、そのカリスマや表面的な魅力だけでなく、その政策、ビジョン、そして実行能力に焦点を当てることが求められます。社会全体がリーダーシップに対するよりバランスの取れた視点を持つことで、メサイアコンプレックスに基づく政治から脱却し、より健全な政治文化を育むことが可能になります。
最終的に、政治的リーダーシップは、個人の魅力を超えた場所に存在します。持続可能な社会と民主主義を築くためには、共感、協力、そして共有されたビジョンが必要です。メサイアコンプレックスの限界を認識し、それを超えたリーダーシップを目指すことが、私たち全員にとっての課題です。
メサイアコンプレックスが無意識下で肥大化し、深刻な状態になっていくと「カルト化」の危険もありますので注意が必要です。
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