まず、なぜヤクザが必要か。これは一般人であればあるほど理解ができないことですが、昨今の相次ぐ強盗事件や、騒がれている外国人の迷惑行為などを目の当たりにして初めて、この意味の片隅を理解された人もいるのではないでしょうか。
まず、書籍『子供が非行に走る原因の殆どは「親」と「家庭環境」』の中で、次のようにお伝えしました。いくつか抜粋してご紹介します。
各機能不全家庭が生み出したスケープゴートタイプの人たち。その人たちが背負わせられた周囲の邪悪さ(低能力・劣等感・罪悪感などに関する抑圧された思考や感情)、それを背負ったまま別の場所で形を変えて表現している。それが非行です。それが類は友を呼ぶが如く集結した存在、それが一昔前なら暴走族です。現代では形が違うだけです。それが進化したのが暴力団であり、それがさらに進化してしまえばマフィア化します。つまり、各機能不全家庭が生み出した「未解決問題」が形を変えて、スケープゴートタイプの人たちを通じて、何らかの形で一般人に降り注いでいるのです。その一部が犯罪です。形を変えて別の人を介して返ってきているということです。
このような関わりが出来てくると、暴力団はどんどん地下に潜っていき、徐々に一般人への影響も出てきます。薬物依存に陥ってしまう人も増えるでしょう。そうなると薬物の為の別の犯罪も増えます。例えば、詐欺や窃盗で済んでいたことが、地下に潜る人が増えれば、強盗殺人などをするように人が変わってしまう可能性も否定は出来ません。それまでの心理的な檻として機能していた組織がなくなれば、或いは機能しなくなれば、当然、そうなってしまう可能性があります。
裏社会で生きる人たちを増やしているのは、実は、一般人なのです。一般人の一部が「スケープゴート」を必要としている限り、隅に追いやられて行き場を失う人間が出てくるのは当然のことなのです。このことを理解しないまま、比較的健全な組織であったヤクザ組織を締め上げていけば、結果、何らかの形に変わり出すこともあり、その変わった形による結果が一般人に降り注ぐ可能性があります。
日本のヤクザを締め上げてしまった結果、水面下に潜りマフィア化へと向かい、結果、一般人が怖い目に遭う確率が上がってしまうのです。将来的に「ヤクザの方が良かったな……(優しかったな……)」と言う人、思う人が増えるのではないでしょうか。本当の意味で怖い目に遭って初めて、それまでの全体像が見えてくるものです。そして本当の恐怖支配を舐めてはいけません。見えない「柵(しがらみ)」で逃げられないようになります。心が縛られます。変な縁(えん)を創ってしまうと逃れることが出来なくなるのです。それが恐怖支配の恐ろしさの1つです。
最初にスケープゴートにした人は、本来ならスケープゴートにしたことの仕返しを受けるはずだったのです。しかし、スケープゴートタイプが仕返しをせず、区別された社会の方に近づいていったので、スケープゴートにした側はその仕返しを受けることなく、免れている場合もあるのです。そしてスケープゴートにされた側の心の奥に溜まっている恨み辛み復讐心が、同じ世界(裏社会同士)でぶつけ合っていたり、或いは、表社会の無関係な人に一部ぶつけている場合もありますので(オレオレ詐欺などもそうだと思う)、スケープゴートにした側は、それだけでも本来受けるはずだった仕返しを免れているので、助かっているのです。
この意味がよくわかれば、組織形態がヤクザ組織であることは、一般人にとっても良い方なのです。もっと悪化してマフィア化していけば、一般人に返ってくることもそれだけ悪質巧妙になってしまうのです。
上記は過去に書いたことなどをまとめて2022年に販売したものですが、方向性としては、書いた通りになっていますよね。
最初にお伝えした「ヤクザ」は暴力団のことではなく、暴力団になりそうな人を正してあげられる筋者のことです。どんな世界であっても善と悪、日和見が存在します。世界もそう、そして戦争が起こります。腸内環境だって善玉菌と悪玉菌、そして日和見菌が存在します。そしてまた、その善の組織にも前と悪と日和見がいたり、悪の組織にも善と悪と日和見がいます。これは自然なことであり、世の中はそれで成り立ち、バランスをとっています。だから裏社会の中にも、その善であるヤクザ(筋者)がいれば、筋もへったくれもない暴力団もいるのが自然なことで、どっちか強い方につこうとする日和見がいるのも自然なことなのです。単純にそのバランスを崩し、一方が弱るとその反対が強くなるのです。ヤクザ(筋者)を弱体化させれば暴力団が強くなり、その影響も下に出てきます。
昔書いたことですが、非行に走り不良の道に進むと、殆どが悪い道に進みます。引っ張られていきます。そして一部の人間はより嘘つきになります。嘘つきは泥棒の始まり。と言います。10年も前から僕は「次は強盗だよ」と何度も言いました。当時、「みんなに聞いちゃえ」というお小遣いサイトの一部であった記事配信の文章を読んでいた人なら記憶にあるでしょう。で、その通り、今、強盗が増えているわけです。つまり、嘘つきは泥棒の始まり。泥棒は強盗の始まり。強盗はいきなり強盗をするようになるというよりは、それまでの過程で、嘘つきや、泥棒的なことをしている可能性が高いのです。それと交友関係の悪化など、様々な要素が合わさって強盗をするようになるのです。僕が子供時代は言っていた少年院で「強盗致傷」で入ってきた東京のOという人物がいましたが、やはり、他の人間とはちょっと違い、嘘をつきやすく、いい加減なところが多い人間でした。その前には窃盗を繰り返していました。
1、嘘つきは泥棒の始まり。
(1と2の間に、嘘の悪化による詐欺が含まれる。オレオレ詐欺など。)
2、泥棒(詐欺)は強盗の始まり。
3、強盗は強盗殺人の始まり。
3の辺りが平気でできるような人格となれば、使い捨ての駒として利用されてしまう可能性があります。だから、そうなる前に、筋を通して(首尾一貫・道理をもって)生きる癖を身につける必要があるわけですが、3まで悪化した人間に教育できる人間など殆どいません。その困難な教育、一般人では到底無理な教育を、裏で買って出る存在がいたわけで、それが1割もいないと思われる任侠心ある筋者なわけですから、それと暴力団を無理解から区別せずに一括りにして締め出して行動を極端に封じたら、簡単な話、裏社会にはソシオパス(反社会性パーソナリティ障害)の悪化、サイコパスのような人間が増えてしまい、結果、連鎖を通して、下へ下へと悪影響が流れながら、下の人間が邪悪となり、指示役や実行役を操り、社会に対し、恐怖を伴う衝撃や損害を与えるようになるわけです。
その一例が、強盗の増加であると、僕は10年も前から考えていて、その通りになってきていると感じるのです。別に、僕の言ったことが当たったでしょ?と自慢げに言いたいのではありません。ただ、僕が書いている正しいことを、正しく理解できる人が一人でも増えて、そして将来の犯罪者を増やさないような教育や、子育て、家族関係を築いてほしい。そんな家庭が増えるような社会、国になって欲しいと思っています。
現実どうですか?汚いこと、腐敗が横行し、それに靡いて、ゴマを擦って、腐敗と戦う優れた人物は殆どいません。僕が知る限り、腐敗と戦って腐敗に染まらず信念を持って生きていると思う人物の一部は、まず、故・安倍元総理です。安倍さんは3つの敵がいると言っていました。そして次に、米国の次期大統領、トランプさんです。あの歳であの信念と情熱を持ち続けて生きることができるのは、決して自分のためだけじゃないはずです。家族のため、子供のため、米国民の未来、子供達のために、腐敗を通してたまるかと、二回の暗殺未遂も乗り越え、不正をする側に打ち勝ち圧勝。あれこそが大統領に相応しい人間であり、偉大な人間の生き様であると僕は思います。
日本人は、このまま腐敗に染まり、心を汚し続けてはいけないのではないでしょうか。もっと大切なことのために、信念を持って、情報操作に踊らされず、真実を見抜く洞察を持ち、強く生きないといけないと僕は思います。これからもさらに厳しくなってくると思います。そしてトランプさんが大統領になり、その後、来年あたり、大きな大変な出来事が起こると、、、思います。
僕が伝えたいことが伝わったら、嬉しいです。一人一人が腐敗を見抜く洞察力を持ち、そして染まらない信念を持ち、流されず、情熱を持って本当の自分を生きることができるようになっていけば、日本は良くなっていくと思います。死ぬまで本質にも気づかないで生きるなんて、悲しいことだと思います。
最後に、、およげ!たいやきくんの歌詞を読んでほしいと思います。
およげ!たいやきくんの歌詞は、日本人の生き方を物語っていますか?
「およげ!たいやきくん」の歌詞には、確かに日本人の生き方や社会観が反映されていると考えられます。この歌が描くたい焼きくんの物語は、以下のような観点で日本社会の特徴や人々の心情を象徴していると言えるでしょう。
1. 労働観と社会の枠組み
- たい焼きくんは日々焼かれて売られるという「仕事」を繰り返しており、ある意味で労働者のような存在です。彼の「毎日毎日、僕らは鉄板の上で焼かれていやになっちゃうよ」という歌詞は、同じことの繰り返しや、仕事の辛さに不満を感じる気持ちを表しています。これは、日本の多くの人が経験する長時間労働や社会のルーチンに対する疲れを反映していると言えます。
2. 自由への憧れと現実とのギャップ
- たい焼きくんが「海に出たい」という願いは、現状から抜け出して自由になりたいという欲望の象徴です。これは、日本社会でよく見られる、集団生活の中で個を抑え、ルールに従うことが求められる状況と対照的です。自由な冒険への憧れと、それが叶わない現実のジレンマが表現されています。
3. 一時的な幸福とその儚さ
- たい焼きくんが海に出た後、彼はしばらくの間自由を謳歌しますが、最終的には魚に食べられてしまいます。これは、「自由を得たとしても、幸せは一時的なものであり、現実には限界がある」という儚さを感じさせます。日本の伝統文化や文学には、物事の儚さを美徳とする「無常観」という価値観が根付いており、それがこの歌詞にも反映されていると言えます。
4. 集団と個人の関係性
- たい焼きくんの選択は、集団から離れることで個人の自由を追求しようとするものです。しかし、日本社会では「和をもって尊し」とする価値観が強く、個人よりも集団を重んじる傾向がありました。そのため、たい焼きくんが集団から離れて自由になろうとする姿は、ある種の反逆心を含み、個人と集団の関係についての考えさせられるものになっています。
5. 人間の「生きる意味」への問いかけ
- 「およげ!たいやきくん」のストーリーは、私たちが「働くことの意味」「生きる意味」を問いかける構造になっているとも言えます。たい焼きくんのように「焼かれる」日々を送るだけで満足できない人が、より意味のある生き方を模索している状況が暗に描かれています。これは多くの日本人が共感するテーマであり、彼の行動が大人たちの生き方や価値観を批判する視点としても解釈できます。
結論
「およげ!たいやきくん」は、子供向けの楽曲でありながら、日本の社会観や人々の生き方、価値観を象徴的に映し出している作品といえるでしょう。たい焼きくんの冒険とその結末には、日本人の労働観や自由への憧れ、そして儚さを伴う生き方が表現されており、1970年代の日本社会の一部を反映しつつ、現在でも共感されるテーマが詰まっています。
釣り上げられない自分へと成長することが大切です。
僕は政治の世界もヤクザ社会も殆ど知りませんが、厳しい世界の中で釣り上げられず生きれる人間こそが「本物」だと思います。ハニトラにも引っかからず、尽力された故・安倍元総理は偉大な人だった、そう思います。そんな安倍さんを慕うトランプさんもまた、悪者扱いされ、スケープゴート、魔女狩りに遭っていましたが、それで負けずに強く生きている姿は、感銘を受けます。SNSなんかで小物の虚言や煽動などに踊らされているようでは話にもなりません。まずはSNSという支配の海から、健全な陸に上がり、そこで自分をしっかり確立しないといけません。
以上、ふと思ったことを書きました。
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