「みんな仲良く」と教えるから、いじめが起こる場合があるのです。
「みんな仲良く」は「いじめの種」になるのです。やがて芽が出て、花が咲く時に「いじめの花が咲く(結果が出る)」のです。
無理矢理「距離感」を縮めるからいじめが起こる
「みんな仲良く」ではなく、「嫌いな人がいてもいい。その嫌いな人とトラブルにならないために”共有の場”において必要なことと、自分が出来ること」を教育したほうがいじめは減ります。「みんな仲良く」という言葉で、無理矢理、距離感を縮めてくっつけるからいじめが起こりやすくなるのです。
仲良くしたくない…それでOK
人間ですから、嫌いな人、どうしても仲良く出来ない人、生理的に受け付けない人、いて当然です。
例えば「不潔恐怖」を抱いている子供達の中に「清潔恐怖」を抱いている子を入れて、逃げられなくして「仲良くしないとダメだからな」と強制すればいじめは簡単に起こります。
「みんな仲良く」で「無理矢理くっつける」のは「上の怠慢を隠蔽するための美徳の言葉」の場合もあるでしょう。だから最悪自殺が生まれる。下の者の気持ちを無視して、真の解決をしないために、面倒だから「みんな仲良くしないとダメだぞ!」と子供たちを騙す。それを信じるから矛盾の中で鬱憤が蓄積し、それがいじめに変化していく。
だから、仲良くしたくないならそれで良いのです。
嫌いな人と距離を置けばいい
いじめが起こる土壌が出来上がっているのに、そこから咲いた加害者を摘んでも”いたちごっこ”なのです。土壌が出来上がっているのだからいじめは無くなりません。新たな加害者(ある意味被害者でもある)が次から次へと一定の割合で生まれるだけです。土壌の一つが「みんな仲良く」という無理難題を強要する美徳の言葉です。
できっこないことを無理矢理やらせようとするからおかしなことになるのです。「みんな仲良く」と言っているあなたは出来ますか?無理でしょう。そして、加害者も1人の人間であり感情がある。嫌なものは嫌。無理なものは無理。それを無理矢理強要すると、最後には暴れ出すこともあります。
大切なことは「みんな仲良く」ではなく「嫌いな人との距離感を置く」ことです。
嫌なものから逃げたらダメになるなんて馬鹿げている
嫌なものから逃げたらダメになるなんて馬鹿げています。今は、もうそんな時代じゃありません。ちょっと言葉が汚くなりますが、、じゃあ、それを言う人が「嫌いなウンコ」を部屋において生活をすればいいんです(笑)嫌なものから学ぶ、強くなれるのならそうすればいい。それで成長すればいいのだと思います。
僕らは、嫌なものは嫌、だから離れる。関わらない。それが成長に繋がりますので。そして、それこそが心の中の小さな自分に嫌がらせをしない素晴らしいことだとわかりましたので。心の中の小さな自分が嫌がっていることをするのは、自分への嫌がらせです。
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