悪いことをやめたいのなら、自分を大切に扱っていけば良い。
僕自身、悪いことをやめることが出来たので、ここでお伝えすることはとても価値あることだと自分で思っています。
参考になれば幸いです。
人は、人として扱ってもらえると悪いことが出来なくなる
僕は子供の頃、「悪いこと」を平気でやっていた。そして、とある施設に入ることになり、そこで「悪いことをやめたい」と思うようになった。この大きな心の変化が起こったのは「人間扱いされた」と心から感じたから。人は、人として扱ってもらえると悪いことが出来なくなる。
僕が育った環境は「デタラメ」なことが罷り通る環境だったので、その「デタラメ」なことをする者が、いいようにコントロールしていた環境でした。ですので、やってもいないことをやったと扱われたり、1つの事実が100倍くらいになっていたり、そしてあらゆることをダメ扱いされ、人間扱いされていないと感じることがたくさんあった。
で、その時は、それを「自分は人間扱いされていない…」とは気がついていません。ただ、心は苦しい、悲しい、寂しい…、理由はわからないし、考えもしない。そこからただ逃げたく逃げるために薬物に逃げていた。そんな中、前記したとある施設に入ることになり、そこで「悪いことをやめたい」と思うようになった。それは、「人間扱いされた」と心から感じたから。
そこでの生活は、軍隊のような厳しい生活でした。運動は、時々きつくて吐く人もいるくらいの運動で、吐いたからと言って休ませてもらえるものではなく、吐いてもすぐ継続しなければいけない、そんな運動です。1時間休むことなく、強化体育を毎日行うわけです。
そんな厳しい生活でも、そこには「正しさ」がハッキリとありました。つまり、僕が育った環境に合った「デタラメ」なことが罷り通る環境ではなかったのです。そんなデタラメなど1つたりとも通らない、そんな感じです。ですから、生活の全体を身をもって体感し、知った時には、僕にとってはとても居心地がよく、温かい家庭のように感じられることもあった。
だから、子供だった僕は、もう一度人を信じてみよう、そう思って生活を頑張った。その施設の先生の言葉を信じて頑張った。そして、先生には最後まで裏切られることなく、生活をしっかり見てくれ、みんなの前で「菅原のように、お前らも頑張れよ」と言ってくれた。そして、施設にある進級に必要な成績も、他の人がまず取れない大きなBをとったこともあった。
・機能不全家庭では、やってもいないことをやったと扱われたり、1つの事実が100倍くらいになっていた
・とある施設では、デタラメが無く、物事を正しく見てくれる素晴らしい環境だった
このように、物事を正しく見てくれる、デタラメは通さない、そういった環境で僕は人として扱われた。これは僕にとっては青天の霹靂で、それまでのあらゆる「思い込み」が破壊される経験だったのです。つまり、機能不全家庭で「不良品」として扱われ続けて育ったのに、とある施設では「良品扱い」され続けたということ。
衝撃でした。だから、昔のことなのに、今でも鮮明に思い出します。僕の心の中に、この記憶が強く残っていて、それが「悪いこと」をしたくない、ブレーキのような役割になっているんです。「人間扱いされた(大切に扱われた)」ということは「心のブレーキ」になる。
そして、とある施設で人間扱いされたように、今度は自分で自分を大切にしていけば良いのです。そうすれば、悪いことなんて出来なくなる。自分を大切に思えるようになると、自分にそんなことはさせられない、そう思えるようになるのです。
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